伊藤左千夫

伊藤左千夫の短歌代表作「九十九里詠」九十九里の波の遠鳴り日のひかり青葉の村を一人来にけり

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先日、知人が九十九里の海の写真を送ってくれた。撮影の仕事をしている方なので、飛行機の相当高いところから見た風景だった。
浜辺よりも海の方がはるかに広かった。

私は九十九里浜には行ったことがないのだが、しばらく眺めていて、やはり普通の海や渚とは、スケールが違うのだということがわかって、それが伊藤左千夫の歌を理解するよすがとなった。

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伊藤左千夫の代表作「九十九里詠」

 

伊藤左千夫の代表作ともいえる連作九十九里詠に、九十九里絶唱と言われる七首がある。

人の住む国辺を出でて白波が大地両分け(ふたわけ)しはてに来にけり
天雲の覆へる下の陸(くが)広ろら海広らなる崖に立つ吾れは
天地の四方(よも)の寄合を垣にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り
白波やいや遠白に天雲に末辺こもれり日もかすみつつ
高山も低山もなき地の果ては見える目の前に天し垂れたり
春の海の西日にきらふ遥かにし虎見が崎は雲となびけり
砂原と空と寄合う九十九里の磯ゆく人等蟻の如しも

その前の「磯の月草」と比較すると、こちらよりも、より砂浜の壮大感がまさっている。
習作を繰り返して、徐々に完成されていったのだろう。比較されたい。

九十九里の磯のたひらはあめ地(つち)の四方(よも)の寄合(よりあひ)に雲たむろせり 
ひさかたの天の八隅(やすみ)に雲しづみ我が居る磯に舟かへり来る
ひんがしの沖つ薄雲入日うけ下辺の朱(あけ)に海くれかへる

九十九里の波の遠鳴り日のひかり青葉の村を一人来にけり 

他に亡くなる数日前に詠んだ歌にも故郷の九十九里浜が詠まれている。いわば晩年の九十九里詠となる。

九十九里の波の遠鳴り日のひかり青葉の村を一人来にけり

現代語訳と意味:
九十九里の浜の波の遠鳴りが聞こえ、日の光が揺れる青葉の季節の村に一人で帰ってきたのだよ

表現技法:
3句切れ。
「波の遠鳴り日のひかり」に弾むような反復(リフレイン)がある。
「けり」は詠嘆。「…だなあ」

この一連の他の歌も美しい。

椎森(しいもり)の若葉円(まど)かに日に匂ひゆききの人らみな楽しかり
稍遠(ややとほ)く椎の若葉の森見れば幸運(さち)とこしへにそこにあるらし 

斎藤茂吉の左千夫に学んだ歌

斉藤茂吉の「赤光」の最初の方の一首は左千夫に影響を受けたものだろう。
伊藤左千夫に師事した茂吉は初期にはその作に学んだと思われる。

以下が茂吉の歌

あめつちの寄り合ふきはみ晴れとほる高山(たかやま)の背に雲ひそむ見ゆ

 

左千夫の『紅黄録』より九十九里浜の描写

前年、明治41年の小説『紅黄録』より九十九里浜の描写。

「朝の天気はまん円な天際(あまぎわ)の四方(よも)に白雲を静めて、洞(ほら)の如き蒼空はあたかも子ら四人を真ん中にしてこの磯辺をおおうて居る。単純な景色といはば、九十九里の浜くらい単純な景色はなからう。
山も見えず川も見えず勿論磯には石ころもない。只々大地を両断して、海と陸とに分ち、白波と漁船とが景色を彩なし、遠大な空が上をおおうてるばかりである。磯辺に立つて四方を見廻せば、いつでも自分は天地中心になるのである」

これを短歌と併記した際、「それにしても散文に比べて歌の格調と気韻の何と高く深いことか。『磯の月草』で信州の山と並ぶ雄渾の調をなし得た左千夫は技法的にはさらにそれを進めて、人の世の無常の外に壮大に荘厳に広がる九十九里詠を歌い上げた。」(同小谷稔)

土屋文明の「九十九里詠」評

元になった景色は同じで、内容も「流れているものと共通する部分がある。」のは間違いないのだが、散文から受ける感興と歌から受けるものとでは明らかに違いがある。
その「調」に関連することについて、土屋文明が『新短歌入門』で九十九里詠を挙げて書いている部分がある。

(子規の歌と比べて)全体を詠み終わった時の気合いが違う。歌のほうではこれを 歌の調子と言っている。
歌の調子というのは必ずしも音楽的の調子ばかりでなく、歌の内容上からの感情の緊張弛緩が重要な要素となっているので、はなはだ複雑な、理論的に補捉し難い概念たるを免れないが、この調子を呑み込むと言うことが歌を作る上にはぜひとも必要な重大事である。(中略)
この左千夫の作のごときは、高く偉大なる調子を有している歌として現代においては匹儔(ひっちゅう)を見ないところである。

 

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