蒲生野問答歌「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の解説  

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蒲生野問答歌「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の解説

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額田王の有名な蒲生野問答歌「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」に関する詳しい解説、額田王の専門歌人性や、宴席での問答歌という性格について「セミナー万葉の歌人と作品」からまとめます。

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額田王の蒲生野問答歌

天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時に、額田王の作る歌.

 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (1-20)

皇太子の答ふる御歌

紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも (1-21)

紀に曰く、天皇の七年丁卯(ていぼう)の夏五月五日、蒲生野に従猟(みかり)す。時に大皇弟(ひつぎのみこ)・諸王(おほきみたち)・内臣(うちつまえつきみ)また群臣(まへつきみたち)皆悉(ことごと)従ふ」といふ。

 

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歌の背景である遊猟と宴について

私的な相聞歌ではなく、遊猟後の宴席で公表されたものである。そもそも額田王においては私的な恋歌はみられないとされ、その専門歌人性が取り上げられてもいる。

天智朝における五月節の記録を見ると、「直(ただ)に遊びとのみには在らずして、天下の人に君臣祖子の理を教え賜い趣(おぼむ)け賜ふ」政治教育的意義を持つ五節の舞を皇太子、群臣が共に、奉仕、和楽の意味で天皇に奏したという。

宴の演目を含む、歌の披露は舞の所作を伴い、準備と演出のもとで行われたとの推測がされる。男女の恋を示す内容については、遊猟の遊楽気分、それと宴の席そのものにも歌垣の影響の指摘がある。

 

歌の内容と読解

「紫野行き 標野行き 」の主語は、宴の場をもなぞらえて一日の遊びを想起しつつ、歌い手額田王を含めた集団が「行き」の主語とされる。つまり、宴の参加者皆がその日の野の行き来にあったということが鑑賞の前提にある。

専門歌人の技巧

恋の場面を構成する下の句「野守は見ずや 君が袖振る」 は、額田王による自らの舞の所作と共に歌の中の媚態が表現された。

人妻という立場の暗示、歌の中の禁忌は実際の野守ではなく女性の作る禁忌であり媚態なのであるが、そのいずれもが専門歌人らしい技巧である。

皇太子の答える歌の「憎し--恋う」の反語的表現は歌の技術であり、「人妻」の語を導き出す伏線になる。女性の立場の証は前の歌を受けたもので、その上で「禁忌」を超えた愛情告白、恋の成就が歌われる。

二首一組の機微と物語性

「憎し--恋う」の反語的表現は、女性側の提示する禁忌と情愛に対応し、「人妻」との禁忌の強調を経ながら、その消滅という一つのテンションを形作る。

二首を一続きにして顕れる機微と物語性が、この一組の歌が好まれた所以だろうと思う。

宴会で披露された歌

当日の宴では他に多くの歌が詠まれ、両首をはじめとする歌の賑わいは、

「賜宴(しえん)の論理として、天皇に捧げられたので、その聖代をことほぐ意味を持っていた。」

噛み砕いて言うと、遊猟も宴も盛大であればあるほど、天皇の権勢を表し得る満足すべきものであったということだろう。

昭和四十年後半頃にそれまでの相聞歌という説に対し、宴の席の歌とする説が出されたという。

それを以て、狩の野と宴席がシンクロする歌本来の意義が初めて後代の人に伝えられたのだと思うと、尚更感慨深い。




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