犬の短歌「寒くなりし」~斎藤茂吉 戌年にちなんで - 短歌のこと

斎藤茂吉 未分類 短歌

犬の短歌「寒くなりし」~斎藤茂吉 戌年にちなんで

更新日:

斎藤茂吉にも犬を詠んだ歌がある。赤光の有名な二首「長鳴くは」「さ夜ふけと」は省いて、下のものを

寒くなりしガードのしたに臥す犬に近寄りてゆく犬ありにけり「暁光」
目のまへの売犬の小さきものどもよ成長ののちは賢くなれよ「つきかげ」
わが家に隣れる家に或る一夜やむに止まれぬ野犬子を産む「つきかげ」

スポンサーリンク

一首ずつ。

寒くなりしガードのしたに臥す犬に近寄りてゆく犬ありにけり

佐藤佐太郎は「永井ふさ子とのことを背景として受け取れる歌である」と言っている。茂吉の歌にはあらゆる動物や虫の類に至るまでが、自分になぞらえて詠まれているので、あるいはそうかもしれないし、そうではなくても、寄り合う動物の姿にふと心が惹かれるような心持ちだったのかもしれない。

だとしたらむしろ、そのように読むことで、恋愛初期の強烈な思慕が、癒されるようなほのぼのとしたものを茂吉がそこに見たのだったのかもしれないと思う。

その前後の一連、「うづたかき落葉のうへにそそぐ雨われの乱れをしづかならしむ」「彼の岸に至りしのちはまどかにて男女のけぢめも無けむ」を見ると、そのようなまどかさとは反対の葛藤の中にあって、ふと和まされた生き物の原初の姿なのかもしれない。

目のまへの売犬の小さきものどもよ成長ののちは賢くなれよ

「目の前の」は、これも小池氏同様に、目の前の犬に語り掛けている。「小さきものどもよ」で、まだ幼い犬であることがわかる。今のように犬が愛玩の対象ではなかった頃は、「賢い」ことが犬の誉め言葉であったが、やはり作者と動物の心理的な距離がはかられる。

そして、茂吉はまだ年少の時に、「賢い」ゆえに養子にもらわれた人であった。さらに東大に合格したので、30歳を過ぎて婿となった。そうでなければ書生と勤務医のままで一生を終わったろう。

実際皆にも勉学に励むよう、たえず言われ続けただろうことは、想像に難くない。そのように厳しい環境で育ったことを思ってみると、一層感慨が深い。

この歌は「茂吉秀歌」に佐太郎の解説がある。

わが家に隣れる家に或る一夜やむに止まれぬ野犬子を産む

自分の家の出来事でもない、おそらく伝聞なのだろうが、近隣の些末なニュースが題材だが、「或る一夜」で、一片の物語のような趣すらある。
本は「やむにやまれぬ」の七音、第四句だけで、この歌はつまらない報告から、辛みのきいた一首の佳品に生まれ変わった。」という。

初句から技巧が凝らされている。「隣家」三音で済むところを、わざわざ持って廻って「わが家に隣れる家」とくだくだしい表現をしたところも、省略の文学である短歌修辞の要諦を、殊更に逆手に取って、特殊な効果を狙ったのだろう。
「やむに止まれぬ野犬」の頭韻効果も、上句の「家」の反復と照応して朗誦性を持つところも重要だ。

この歌のどこに作者の犬への同情があるのかというと、やはり「やむに止まれぬ」だろう。犬の気持ちを代弁し、弁護する側に立っているということだろう。

なお、「目のまへの」については、塚本の「茂吉秀歌」には、「あまりの天真爛漫さ加減に唖然とし、何か反語的な毒でも含んでいるのではないかと疑ってみるのだが、意外にも真情流露の作とおぼしい。」とあるのみで、茂吉の生育環境には触れられてはいない。

-斎藤茂吉, 未分類, 短歌

Copyright© 短歌のこと , 2018 All Rights Reserved Powered by STINGER.