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歌人の安森敏隆氏死去 ケータイ短歌介護短歌の提唱者

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11日のニュースを見落としたらしく書くのが遅れた。

安森敏隆氏死去 歌人、ケータイ短歌提唱

ケータイ短歌を提唱した人だというのは初めて聞いた。
携帯、ではない。ケータイ短歌。

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短歌というのは、それ自体が一つの文学媒体なのだが、ケータイもまたひとつのメディアであり、ケータイの登場により、逆に短歌の一ジャンルが登場したというのは、面白い。
ケータイ短歌を軽く見る人もいるが、短歌人口の、特にそれまで分布に偏りがあった若い世代に愛好者を増やしたのは間違いない。

安森氏がケータイ短歌、介護短歌というネーミングをしたことで、それぞれそのカテゴリーを目指す人がさらに増えたのも疑いないことだ。
そう、新しく命名したことで、ケータイは安森氏によって、すてきな短歌を産む母体となったのだ。

介護短歌についての安森氏の言葉

介護の歌は1人じゃ歌えない。介護する人と介護を受ける人、双方の愛憎入り乱れた交流があって初めて歌が生まれる。
人間はね、愛があるから歌うんです。介護の歌は愛の歌、相聞歌なんですよ。

一方、ケータイ短歌はというと、個人の内面的なモチベーションよりも、ケータイというメディアが産んだものだと考える。

主要なメディアが、パソコンから携帯に変わるにつれて、ネット上の筆記形態にも変化が及んだ。

キーボードの打ちにくい携帯では入力が困難なため、長い文章を皆が書かなくなった。ブログやSNSの日記欄は衰退し、ツイッターやラインでの交流が主流になった。

そして、それ以前から言われていたネットの双方向性は、文が短くなると同時に、一層強度を増した。

常時接続のない時代は、見る人の利便性からもまとまった文章を載せるホームページが皆の目指すところだったが、今は提示すなわち参加となり、短い字数でものを言い尽くす発話が必要となった。

ツイッターなら、ソースを表示されると、それについて皆が応えるものを一斉に書く。一人ではなく、皆が投稿したものをまとめて読める。

短い文章の集合体がさらに一つの論を組成する。瞬時に可視化される世論は、あたかも同じコンセプトの投稿を一誌に集める短歌誌のような趣だ。

その磁場で、人が書こうとしたものが短歌であったというのは、当たり前でもあり不思議なことでもある。

プロメテウスの火のごとく、人がケータイを持って始めた新しいブンガクがケータイ短歌だったと言っていい。そして、命名に拠って「ケータイ短歌」が生まれた。

人は手のひらの上に歌を詠み、歌を読む。
歌をポケットにしまい、歌を空に向かって飛ばす。
その新しい火を絶やさないでほしいと願う。

安森氏のご冥福をお祈りします。







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