赤光

猫の舌のうすらに紅き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり/斎藤茂吉「赤光」短歌

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斎藤茂吉「赤光」から主要な代表歌「猫の舌のうすらに紅き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり」の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。

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猫の舌のうすらに紅き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり

現代語訳

猫の薄赤い舌の手ざわりのこの悲しさを初めて知ったのだ

出典

「赤光」大正元年 7折々の歌

歌の語句

知りそめにけり 知るのあとに「そむ」漢字は「初む」の複合動詞

「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形

けり・・・詠嘆の助動詞

表現技法

「紅き」は本来猫の舌の色を表すが、その形容詞のあとに「手ざわり」がきて、それを修飾するような語順となっている。

鑑賞と解釈

繊細で感覚的な歌。猫の舌によって生じた微細な心の陰りを表現する。

また、その感覚を新しい「悲しみ」と名付けたので、読み手にもそれが伝わる。またこの歌は、淡い悲しみを知る前と後との時間の経過をも暗に含んでいる。

「紅き手ざわり」について、作者は

一種の心持を原語で表す場合、特にある事象に触れて一種の心持の揺らいだ場合には、その事象と関連して感覚的に表すことがある 「短歌雑論」斎藤茂吉

また、「知りそめにけり」は一つの覚醒を暗示し、「総じて覚醒には歓喜と驚愕と悲嘆とを随伴することが多い」(「作歌四十年」斎藤茂吉)

佐藤佐太郎の評

視覚と触覚とを一つの混合した経験として、「うすらに紅き」からすぐ「手ざはりの」とつづけている。そして、この驚くべき新鮮な感覚を通して、うらがなしい情調を表白したのが、若々しくもあり、健康でもある。作者自ら「知りそめにけり」は、春の目ざめなどと同様の一つの覚醒を暗示しているという。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)

 

けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬りたるかな

 

現代語訳


今日もまた向いの丘に人がたくさん群れていて誰か亡くなった人を葬ったのだなあ

出典

「赤光」大正元年 7折々の歌

歌の語句

群れゐて・・・群れていて
葬りたるかな・・・「葬り」ほうりと読む。たるは足りの連用形
かなは詠嘆の終助詞

表現技法

句切れはない

解釈と鑑賞

青山にあった茂吉の家は谷を隔てて青山墓地に面していた。
作者は「きわめて露骨な現実的なことだが、結句の葬りたるかな」と「かな」などを用いて幾分柔みをつけている」

そのあとは「受け持ち患者」のことを詠んでいるので、職業柄人の死に多く接しながら鋭敏なところもあったのだろう。
北杜夫によると、当時の病院は患者の死が毎日のように起こったそうで、茂吉も管理の問題など現実的な意味で心を痛めていたのであったに違いない。

作者の焦点は、下に佐太郎の言う「客観」視にあったようだ。

谷をへだて距離を持って見る「向ひの岡」の「葬り」には、細部が没してただ人の群れと、その象徴的な動きだけが見えている。(中略)死をとむらう生者の行為の寂しさというものが、現実のやや遠い風景として客観されているところに作者の感動がある。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)

同じ青山墓地にて詠んだ「夏の夜空」の歌は、木下杢太郎が「今まで人の省みなかった美しさを発見したものだと言ってほめたという。
杢太郎とは交際があり、茂吉の歌もその詩の影響を受けた。

一連「夏の夜空」他
墓原に来て夜空見つ目のきはみ澄み透りあるこの夜空かな
なやましき真夏なれども天(あめ)なれば夜空は悲しうつくしく見ゆ

 





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