土屋文明歌集『往還集』『山谷集』鶴見臨港鉄道他『六月風』より  

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土屋文明歌集『往還集』『山谷集』鶴見臨港鉄道他『六月風』より

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土屋文明の歌集『往還集』『山谷集』『六月風』より、短歌の代表作品を取り上げます。

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土屋文明の短歌より

休暇となり帰らずに居る下宿部屋思はぬところに夕影のさす

冬至過ぎてのびし日脚にもあらざらむ畳の上になじむしづかさ

大正十五年 春夏雑詠

我が歌に人の賜ひし銭をもて買へるあを瓶(がめ)みずすがすがし
先頭にゆきたしという幼子をひた然り居り吾も汗ばみて

落ち葉を焼く 昭和二年

幾年ぶりのことならむ子供等と落葉やくに先ず吾がうれしけれ

枯れすすき今しばしおけ一束(ひとつか)の葉ぬれしぬぎて雪もふるがね

--「ふるがね」は「ふるように」の意。

参考:奥山の菅(すが)の葉凌ぎ零(ふ)る雪の消なば惜しけむ雨なふりそね

うちつづく尾花の丈の高ければ花粉はかかる頭の上(うへ)より

幼き日天(あめ)に霧らへる雪と見し清水の嶺呂(ねろ)を今日ぞ越えける

越後より干鱈を背負ひ越え来にし人はゆくなり尾花が原を

泥鰌(どぢやう)うりて帰る翁も声かけぬ上毛(かみつけ)越後の国ざかひの山

整はぬ春の芽ぶきの下道(したみち)に日にゆるみたるアスファルト踏む

故人(なきひと)のわづかばかりの印税をわれ受取りに丸の内に来ぬ

昼やすみの帽子かぶらぬ人なだれ包(つつみ)を持ちし吾は横ぎる

うららかなる春の衢(ちまた)をかへり来て火の気たえたる部屋にやすらふ

--「故人」は伊藤左千夫。

暑き日のさせる朝戸よ路地の上に青き松の葉散れる静けさ

へりてゆく金魚の鉢に今宵また買ひ来りりたるひとつを放つ

あかつきにみんみん蝉の競ふこゑ今日は今日する仕事をぞ思ふ

 

土屋文明『山谷集』

「山谷集」より

昭和六年 屋上栽草

朝日影あつき明日に屋根にいでて心はなぎぬ植ゑし山草

物干の上に水培(か)ふ山草の色のうつろふ時は来ぬらし

己(おの)が生(よ)をなげきて言ひし涙には亡き父のただひたすらかなし

人悪くなりつつ終へし父が生のあはれは一人われの嘆かむ

うつり激しき思想につきて進めざりし寂しき心言ふ時もあらむ

同 昭和六年 鶴見臨港鉄道

枯葦の中に直ちに入り来り汽船は今し速力おとす

二三尺葦原中に枯れ立てる犬蓼(いぬたで)の幹(から)にふる春の雨

石炭を仕分くる装置の長きベルト雨しげくして滴り流る

嵐の如く機械うなれる工場地帯入り来て人間の影だにも見ず

稀に見る人は親しき雨具して起重機の上に出でて来(きた)れる

貨物船入り来る運河のさきになほ電車の走る埋立地見ゆ

吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は

横須賀に戦争機械化を見しよりもここに個人を思ふは陰惨にすぐ

無産派の理論より感情表白より現前の機械力専制は恐怖せしむ

群がりて蓼(たで)の芽紅く萌えいづる空き地は既に限られてあり

--「無産派」は当時の無産階級の政党。

「戦争の中の個人よりも大資本大企業の中の個人の問題を、この時点においてこの作者はすでに痛切に感じ取っているのである。」(『日本の詩歌』中央公論社解説)

北海道雑詠

荒草に馬鈴薯の紫の花咲けり立ちて働く人を見ざりき

木を売りて移民は賭博にふけるといふたどきも知らぬ雪ふりつめば

紫の花の馬鈴薯のまづかりし幼き記憶おもひいでつも

 

『六月風』稲村が崎 羽根沢種芸園分区園他

枯芝の中に据ゑたるポンプさびて今し岬の夕日の時か

ひめうづの早き芽集めつつ思ふ一人ぐらゐは仕合(しあはせ)になる人なきか

岩の間の寒き水より掬ひ上げてすきとほりたる魚(いを)のかなしも

「『一人ぐらゐは』云々は作者の周囲の主としてアララギの人々、特に先年来家庭に傷ついていた茂吉を念頭に持っていたのではないかと私は解している。(山本健吉)」

怠りてありと思へど此所(ここ)に来て腰をかくればいつまでも飽かず

年々に頭きかなくなる時にゆきて息(いこ)はむ地(つち)の上にただに

幾いろか蒔きにし種子(たね)はまりいでず今日は収めむ青紫蘇の実を

来りて人参まきし五月より秋のすがれとなりにけるかも

自ら実生の合歓の苗ひと本(もと)守りて来しもうらがれそめつ

「羽根沢種芸園分区園」「当時東京市民に土地を区切って貸して、固有に野菜作り等をさせる施設ができ、文明はこれを借りて、独自の思いつきの蔬菜類を作った」(解説文)

「うらがれる」(末枯れる)は、冬が近づき草木の枝先や葉先が枯れること。

西の海の雲の夕映いつくしき光の中に妻をみにけり

きょうまでに老いたることもあはれにて若葉夕てる山に向かふも

夕光(ゆうひかり)うするる山に手をとりてつつじの花も見えなくなりぬ

蜩のなきていくばく朝影のうつろふ中のみんみんのこゑ

虎見崎

遥かにしなみ伏す低き国の崎海につきむと水くぐり見ゆ

砂曇(すなぐもり)沖とほくいでて吹かれ居り吾が立つなぎさただに澄みつつ

国の上に光はひくく億劫(おくごう)に湧き来る波のつひにくらしも

たまきはる吾が齢(よ)は知らず立ちかへりひとり声呼ぶ枯草の崎

この海を左千夫先生よみたまひ一生(ひとよ)まねびて到りがたしも

故郷山

明時(あかとき)に二度(ふたたび)なけるほととぎす故里(ふるさと)の山に吾はめざめゐる

夜々の梟も今思ひがなしあらはなる臥所に育ちたりけり

一生(ひとよ)の喜びに中学に入りし日よ其の時の靴やあり吾は立ち止る

瀬波岩船

苦しみを常と考へ来し方もすこし改めむ今日の安けし

斧の音ひねもすひびくひねもすに印(しる)して倦(う)まず鉛筆の丸

三首目は『小安集』由来の作品。

最後は選歌の作業を詠んだもの。




-アララギ

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