どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも 斎藤茂吉「赤光」 - 短歌のこと

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どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも 斎藤茂吉「赤光」

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斎藤茂吉「赤光」から主要な代表歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。

歌の意味と現代語訳


どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも

現代語訳

どんよりと空が曇っていたので再びは空を見上げなかったのだ

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出典

「赤光」大正2年 8 みなづき嵐

歌の語句

どんよりと・・・現代語ということが意識して使われた
見ざりけるかも・・・ざり 否定の助動詞
          けり 過去・回想の助動詞+かも 詠嘆の終助詞 

表現技法

句切れはない
「とき」でつなぐ形 
参照:ほのかなる茗荷の花を目守る時わが思ふ子ははるかなるかも

解釈と鑑賞

刑務所に精神鑑定に出かけた折の歌らしい。

石川啄木の

どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな

の影響が指摘されている。

重々しくこめた曇りだけをいって、端的に生活の憂鬱を表現している。「二たび空を見ざりけるかも」といって、作者の意識に印象された圧迫感のようなものがあらわれているだろう。
この歌について、作者が「『どんよりと』という現代語と、『見ざりけるかも』という万葉調とがどうにか調和しているところにこのあたりの歌の特徴があり、感じも近代的で、調べも緊く厚くなっているように思える。仏蘭西近代絵画の影響があった」(「作歌四十年」)といっているのに付け加えることところがない。
ただ、現代語と万葉調との調和は「赤光」全体に渡る特徴で、それが人々に新鮮な感銘を与えた点を特に注意しておきたい。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)
ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり 

現代語訳


ダリヤの花は黒い。笑って去って行く狂人はとうとう(私の居る)後ろを振り返ることはなかった

出典

「赤光」大正2年 8 みなづき嵐

歌の語句

かへり見る・・・振り返る 振り返って見る
ダアリヤ・・・花の名は本来は「ダリア」であるが、原語dahliaに近い「ダアリヤ」

表現技法

「黒し」で切れ。2句の句割り。
万葉語と非万葉語とを一首に両方を取り入れることで、万用語を際立たせる作用がある。(同)

解釈と鑑賞

2句目の茂吉の歌には珍しい句割れは「ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける」と読み下すとき、<黒い>ことと<笑う>こととが一連の事象であるような印象を受ける。
すなわち「ダリヤが笑っている」という擬人的な効果が生じる。
読み進めると、4句で「笑ひて」は狂人の動作とは把握し直されるものの、今度は、<狂人が笑う>イメージ全体が<ダリヤが黒い>ことと重なってくると品田は言う。
なお「ダアリヤ」と「狂人」は、前者は外来語、後者は漢語として、共に非万葉語であり、一首から浮き出ているということがこの関係の成立を助けていると品田は言う。
そして極めつけは、この説明を読むとこれらの効果が「定型の縛りがあってはじめて可能な手法」だということである。
句またがりや句割れといった配分は、五七五七七のあらかじめの字数の決まりと型がないところには成り立たない。そして以上の説明で、茂吉が語の種別の選択や音韻だけでなく、語の配置とその効果にも気を配っていたことがわかる。

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