斎藤茂吉 死にたまふ母其の3 「楢若葉」~「どくだみも」短歌集「赤光」代表作 - 短歌のこと

死にたまふ母

斎藤茂吉 死にたまふ母其の3 「楢若葉」~「どくだみも」短歌集「赤光」代表作

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斎藤茂吉「死にたまふ母」より其の3の歌と、歌の現代語訳、語の解説、鑑賞を一首ずつ記します。
このページは4ページある中の3ページ目です。歌の出典は改選版に拠ります。
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目次


其の3

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楢若葉(ならわかば)てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は

【歌の意味と現代語訳】
楢の若葉が照ってひらひらする落ち着かない間にも、山の蚕は青く生まれた。蚕は

【歌の語句】
うつつなに・・・うつつなし「現無し」を名詞化した「うつつな」に格助詞の「に」をつけたもの。
山蚕はヤママユガの幼虫で、芋虫は緑色をしている。

【表現技法】
結句の主語の反復と倒置 5句目に句またがり

【解釈と鑑賞】
其の一第1首目「ひろき葉は日に照りかえり」に照応する内容で統一感を醸し出している。また逝去の際の歌のような緊張の強いものと柔らかいものを配置しているともいえる。いわば母の葬りの其の三の序章のような役目の歌。

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日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未(いま)だ小さかりけは

【歌の意味と現代語訳】
木漏れ日が斑にふっていてうら悲しい。山の林の中に蚕はまだ小さいだろうよ

【歌の語句】
「斑ら・・・まだら。木漏れ日がちらちらする様。
けり・・・助動詞  動詞・助動詞の連用形に付く。詠嘆的用法が主。
ある事実が真実であったことを新たに認識し、はっきり心に刻み付けるのが本意。ある事実に初めて気が付いた感動を表す。
「思えば・・・だったなあ」「はっと・・・と思い当たった」

【表現技法】【解釈と鑑賞】
3句切れ。 其の2の「春なれば—うらがなし--」と同じ構成。
万葉集「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも」との類似がある。
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葬(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや

【歌の意味と現代語訳】
スカンポの花がけば立って火葬場に行く途中の道に散っていたではないか

【歌の語句】
ほほく・・・ほおく 蓬く 現代語では ほおける
草や髪などがほつれて乱れる
「けらずや」は「・・・したではないか」と誰かに念を押す語法。
赤光内で他の歌にも見られ、品田がその不自然なことを指摘している。

【表現技法】
1句切れ。主語は華であるので、一句目は「の」の省略はなく、その語一語のみ置かれた感じ。
しかも4句目と重複する。おそらく「ほ」の頭韻のため。以下に示す。

【解釈と鑑賞】
花ではなく「華」という字を当てたことに塚本が言及している。
「いろいろの色の鬼ども集まりて蓮(はちす)の華(はな)にゆびさすところ」(明治39年作)参照。

「ほふり(ほおりと発音する)」「ほほけて(ほおけて 以下同)」「ほふり」の音韻に注意。

スカンボの花

 

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おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも

【歌の意味と現代語訳】
内側が紅いオキナグサが咲く野辺の道に春の日の光が流れて、その中を私たちは行ったのだった

【歌の語句】
行つも・・・「つ」は完了の助動詞
「も」は終助詞。形容詞の時は詠嘆。または不確実ではあるが、何かを肯定し包括する感情を表す。「・・・だろう」

【表現技法】【解釈と鑑賞】
佐太郎は「涙の後の静かなうら悲しさ」だけではなく葬列そのもののつつましさをも表現して、その象徴的な気配は「4句から5句に続く、その連続にある」と言う。
つまり、葬列の人よりも情景の描写を多く咲いていて、人は結句のみに最小限に置かれているからだろう。

おきな草

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わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

【歌の意味と現代語訳】
私の母を焼かなければならない火を持っていると、夜空には見るものもない

【歌の語句】
「火葬場は稲田の間の凹所を石垣を以て囲い、棺を薪やわらで覆うて、そうして焼くのである。(「作歌四十年」)
天つ空・・・あまつそらと読む。空の意味。

【表現技法】
三句切れ

【解釈と鑑賞】
「見るものもなし」は空にある星や月と解するのが妥当だが、「『見るものもなし』と言い捨てたいような無援の天ではあった」(塚本)」

見る対象よりも、火葬のための火を持ち、自ら点火をする前の作者の心境を推し量りたい。

「焼かねばならぬ」の「ねばならぬ」は、「赤光」で何例か、「死なねばならぬ命まもりて看護婦はしろき火かかぐ狂院の夜に」「雨ひと夜さむき朝けを目の下(もと)の死なねばならぬ鳥見て立てり」あるいは「ものみなの饐ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこえこゆ」と免れることのできない厳しさを表すのに使った表現である。

「『死なねばならぬ』というような表現はその頃の私の傾向の一つで、これは多くまねたものである。幼稚な甘い言い方なので、かえって一部の人の心を牽いたものかもしれない」(「作歌四十年」)

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星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

【歌の意味と現代語訳】
星の見える夜空の下で赤々と母は燃えていってしまったのだなあ

【歌の語句】
ははそはと・・・母につく枕詞

【表現技法】
枕詞をこれより上の歌の「垂乳根の」ではなく「ははそはの」を選んでいる。赤赤の畳語を「赤々」と表記しない点にも注意。
「夜空のもとに赤赤と」「母は燃えゆきにけり」のつなぎ方が痛切である。(佐太郎)

【鑑賞と解釈】
ははそはの枕詞については「ははそはの母」に塚本は「柞葉と日のはらはらするような」音韻の響き合いを指摘している。

星も含むハ行の音「ほしのいる・・・ははそはのははは」の連続を味わいたい。
意味としては「垂乳根」は乳の豊かな母性を表す枕詞なので、既に亡くなった母については「ははそは」の方がふさわしいともいえる。

なお、ハ行の音がこの前後の「葬(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや」「さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも」の一連にずっと連続して、「複数の歌を連携する仕掛け」(品田)として、統一感を持たせるものとなっている。

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さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも

【歌の意味と現代語訳】
夜の母を葬る火を見ると、ただ赤く燃えているのだ


【歌の語句】
さ夜・・・「小夜」 「さ」は接頭語。意味は夜に同じ。
赤くもぞ・・・「も」係助詞 「ぞ」終助詞 いずれも強意をあらわす

【表現技法】
ここでもハ行「ふかく」「ははを」「はふり(ほうりと発音する)」の連続がある。

【鑑賞と解釈】

薪や藁をくべながら焼き続けるため、一晩中、火を絶やさないようにする必要があった。そうして見たときの炎の色が深く目に焼きついたことを詠う。
「赤」の炎の効果で一連中のクライマックスの歌。jump

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はふり火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかもゆ

【歌の意味と現代語訳】
母を葬る火を守って今夜は更けていく。今夜の空のおごそかであることよ

【歌の語句】
いつくし・・・形容詞 威厳がある 厳かで立派である

【表現技法】
「天」は何度も出てくるが、同一のものが、その時々の場面において違った表現がされている。

【解釈と鑑賞】
灯を絶やさずに守ってだいぶ時間がたったのだろう。次第に気持ちも落ち着いて、見上げた空に静けさが戻ってくるようにも感じられたのだろう。

母と作者を表す、あるいは母に向かう作者の心境を表すのに、母と作者以外の物、「天」や植物、蚕や燕などの動物が余さず次々と取り入れられて、視覚的に情景を構成している。jump

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火を守(も)りてさ夜ふけぬれば弟は現身(うつしみ)のうたかなしく歌ふ

【歌の意味と現代語訳】
火葬の灯を守って夜が更けていけば、弟は生きているものの歌を悲しく歌う

【歌の語句】
ふけぬれば・・・「ぬる」は「ぬ」で終止する動詞の連体形

【表現技法】【鑑賞と解釈】
「現身の歌」とは流行歌のようなもので、亡くなった母と生きているものとの隔だりを表しているのだろう。
なお、初版は「歌ふかなしく」の語順だった。
【歌の意味と現代語訳】
一心に見つめようとはするものか。弱まってほの赤くなってきた日から上る煙、その煙を。

【歌の語句】
初句切れ。二句切れ。
ひた心・・・漢字は「直心」。ひたむきな心。いちずな心。この歌では「いちずに」の副詞的な用い方。
はや・・・「はも」も同じ。「は」の終助詞に「や」をつけて使う一種の慣用句。「・・・よ。ああ」の意味。

【表現技法】【鑑賞と解釈】
若干の過剰な表現と指摘される通りだが、火の尽きるさまが、目に見えてわかったということなのだろう。
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灰のなかに母をひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり

【歌の意味と現代語訳】
灰の中に母の骨を拾った。上る朝日の光の中に母を拾った。 

【歌の語句】
朝日子・・・古語 朝日の意【表現技法】【鑑賞と解釈】
当時の火葬は、薪と藁の灰が多量で、それらをかき分けて骨を拾うようであった。
「なかに母をひろへり」の繰り返しは、そうしながら何度も何度も骨を拾ったということだろう。「母の骨」ではなく「母をひろう」という表現が当時話題になり、さかんに真似されたというが、「母の骨を拾えり」ではなく「母を拾う」に生々しい悲しみを見る。(塚本)jump

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>蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れしまひけり

【歌の意味と現代語訳】
蕗の葉を使って丁寧に寄せ集めた骨くずも全部骨壺に入れてしまったのだ

【歌の語句】
「丁寧に」は口語的な言い回しなので、気を付けてみると目立つものとなっている。
「入れしまひけり」は「入れてしまう」が正しいので、舌足らずの印象を受ける。

【表現技法】【鑑賞と解釈】
火葬場なら、専用の用具などがあるが、田に生えているのだろう蕗の葉を使って、骨を集める。
田んぼの真ん中で、しかも星が見え、屋根のない屋外の自然の中で亡骸を焼くということの古代性、アニミズムをあらためて思う。jump

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蔵王の山々  By ja:User:まるちゃん

うらうらと天(てん)に雲雀は啼きのぼり雪斑(はだ)らなる山に雲ゐず

【歌の意味と現代語訳】
うらうらと空にヒバリが鳴いて、雪が斑になっている春の山は雲も見えずに晴れ渡っている

【歌の語句】
うらうらとは本来大気の状態の形容だが、ここではヒバリの鳴き声を修飾する。
「天」はここでは「てん」の読み仮名がある。対する「あめ」の読みは和語。空の高さとインパクトは「てん」の音の方がよく、作者は語感に優れていた。

【表現技法】【鑑賞と解釈】
万葉集4292「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思えば」の影響。
一連のそのほかの歌においても、万葉集との様々なモチーフの類似が認められる。短歌とはけして単独では成り立たないことを思い起こさせる。またモチーフと万葉語の醸し出す雰囲気をたたえつつも「擬古趣味」との指摘もある。(塚本)

山は蔵王であって、このあとは其の4で蔵王の場面が続くことになる。

【歌の意味と現代語訳】
ドクダミもアザミの花も焼けていた。火葬場の空が明けて見てみれば

【歌の語句】
三句切れ、倒置

【表現技法】
「どくだみ-あざみ」の下二文字の「濁点+み」に注意。
「天」は「あめ」と読ませて響きを柔らかくすると同時に、「あめあけぬれば」と、ア行で揃えている。】
火葬場を「ひとほうりど」にしたのも同様で、そのため、上句のどくだみとあざみの濁点の響きをより際立たせるものとなっている。

【鑑賞と解釈】
火葬の火の勢いがすさまじいものであったので、周りのものも皆焼けてしまった。そのように火葬の場面が終了し、この章は閉じられる。

 

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