「パン屋のパンセ」杉崎恒夫 「かばん」で培った軽やかな口語律の短歌  

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「パン屋のパンセ」杉崎恒夫 「かばん」で培った軽やかな口語律の短歌

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『パン屋のパンセ』という歌集を出版した歌人の杉崎恒夫さん、90歳になって読まれた短歌の作品の数々は、作者が世を去っても読まれ続けており、ファンが絶えません。

杉崎恒夫さんの魅力ある作品をご紹介します。

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杉崎恒夫さんの短歌歴

杉崎恒夫さんは、前田透の「詩歌」に参加後「かばん」に参加。

「パン屋のパンセ」は「食卓の音楽」に次いで第二歌集。歌集の刊行を待たずに亡くなられたらしい。

いわゆる「年齢にはふさわしくない若い歌」であって、若い人たちに人気があるということになる。

ただし、年齢のことだけをいうなら、たいていの短歌結社のメンバーは高齢者が主流であって、90歳になろうとしている人もそれほどめずらしくはない。

めずらしいのは高齢でありながら、口語で詠んでいる歌が多いということ、それから風俗的なモチーフが取り入れられているということだと思う。

「パン屋のパンセ」の現代的な風俗モチーフの短歌

熱つ熱つのじゃがいも剥けば冬眠からさめたばかりのムーミントロール

ミスター・フライドチキンの立っている角まがりきて午後のたいくつ

一番はじめに出会ったひとが好きになるペコちゃんだってかまわないもん

君の名はモモイロフラミンゴぼくの名はメールのしっぽに書いておきます

バゲットの長いふくろに描かれしエッフェル塔を真っ直ぐに抱く

 

普通の90歳の方なら、まず使わないようなモチーフを見ることができる。

それは、実は若い人が使うということと、年齢が高い人が詠んでいると知って詠むのとでは、少し読み手の印象が変わってくるようだ。

若い人には「ペコちゃん」は自然なことであっても、年齢が高い人にとっては、逆に創意工夫なのかもしれない。

そもそも、歌というのは、そういう「遊び心」が大切なのだということにも、あらためて気づかされる。

 

所属する歌誌の性格で決まる短歌の作風

その理由のひとつは、この方に元々そういう志向があったというより、それは「かばん」という高齢者主体ではない結社に属していたためだとも思う。

もし、これが、昔からある伝統的な結社であったら、「ペコちゃん」が題材になることもなかったし、「好きになる」がそのままに受け入れられたとは思わない。

逆にそのような土壌であったから積極的にそのようなモチーフが取り入れられて、作風が決まっていったとも言える。

そう考えると、どの結社に所属するかということは、普通は、自分の作風に合わせて結社を選択すると思われているのだが、逆に結社に参加後のそのあとの作風を決める上でも大切なことであるかもしれない。

文語で詠まれた短歌

文語で詠まれた歌もあるので、あるいはそれより以前には、文語で詠まれているものの割合が多かったのだろう。

仰向けに逝きたる蝉よ仕立てのよい秋のベストをきっちり着けて

気付きたる日よりさみしいパンとなるクロワッサンはゾエアの仲間

選ばれしものはよろこべシャボン玉をふくらましいる空気の役目

たとえば、上のような歌を見ると「逝きたる」と「きっちり」の日常語、「気付きたる」の文語の初句に隣り合う口語「さみしい」(私の所属するところだと「さびしい」と直される)の取り合わせ、新しい素材の「シャボン玉」に対して、「選ばれし」の荘重な句との折衷が見られる。

好みの問題もあるが、素材と文語の組み合わせに違和感を感じなくもない。いずれにしても、もしこの歌人が文語と口語両方のことばの媒体を持たなかったら、作風も内容もこのようなものではなかったに違いない。

「古典的」で好きな短歌

一方、いい意味で「古典的」な感じのする作品もある。

江東の空わたりくる雁の列遠ければマッチ折りたるほどに

とべらの果赤く爆ぜおり海光のまぶしさすぎてふと昏むとき

 

個人的には、こういう歌はいいなあと思うのだ。

要は文語と口語、どちらでも言葉の種類が統一されていて、特に一首目はブレがなく、隙なく出来上がっている。

「遠ければ」は確定条件と言われるが、写実派で近代短歌の頃にもよく見られる条件句。

「海光」は、漢語読みで「かいこう」と読ませる。

この一語をもってしてもライトヴァースを遠く隔たる上に、歌は時間の経過を含んでいる。

 

「死」という主題

もうひとつは、若い人向きどころか、この歌集の歌の多くのモチーフはまもなく来るだろう「死」の意識であるだろう。

星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ

ぼくの去る日ものどかなれ 白線の内側へさがっておまちください

いくつかの死に会ってきたいまだってシュークリームの皮が好きなの

矢印にみちびかれゆく夜のみち死んだ友とのおかしなゲーム

 

これらは、けっして若い人には詠めない種類の歌だ。

「死んだ友とのおかしなゲーム」と斜めに詠めるのは、「いくつかの死に会って」自らの年齢を自覚している人だからこそだろう。

軽やかさに隠れた老境

そして一方で老いの孤独と寂しさもある。これらも若くして、若いからこそ感じる孤独とは本質的に異なるものだ。

さみしくて見にきたひとの気持ちなど海はしつこく尋ねはしない

あたたかき毛糸のような雪ふればこの世に不幸などひとつもない

卵立てと卵の息が合っているしあわせってそんなものかも知れない

このような作者の孤独を包むさりげない軽やかなスタイルも、やはり同人の大半が若い世代である結社に属するために生まれたものなのではないだろうか。

装丁も含め、歌を詠まない人にも人気の歌集となっている。

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