アララギの歌人たち 島木赤彦

夕焼け空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖のしずけさ 島木赤彦の初期短歌代表作品

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作者本人が熟考の上で改作を施したにもかかわらず、改作前の方が良いといわれる例をたびたび見かける。

この赤彦の短歌もその一つである。

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「焦げきはまれる」からの改作

 

夕焼け空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖のしずけさ 島木赤彦

 

初出は「切火」。大正2年の作品だったが、大正14年に出した自選歌集「十年」に載せる際、島木赤彦自身が上句を「まかがやく夕焼け空の」と直してしまった。

それに関して宮地伸一先生は

「夕焼空焦げきはまれる」という部分に不熟なものを感じたためであろう。「夕焼空」と言ったら、それだけで十分でさらに「焦げきはまれる」などと強調する必要はないという見方も成立すると思う。しかしそれでは「まかがやく夕焼空の」は完全な表現か。確かに整った形にはなった。その代わり力がないのだ。原作のような勢がなくなってしまった。私は意味上は多少の欠点があっても、「夕焼空焦げきはまれる」という原作の持つダイナミズムを愛する。「まかがやく」などという力のないひびきの弱い語をどうしてこの歌にかぶせてしまったかと残念にも思う次第だ。

 

原作のダイナミズム

主題は、夕刻の日の沈む間際に最大限に赤く輝く動的な空と、それと接しながら静かにこれから凍ってゆくだろう湖のその対照にある。

「まかがやく夕焼空」だとその語順から、「輝き」が先で夕焼けの「色」は後になる。
たいして、「夕焼け空焦げきはまれる」であれば、夕焼け空の赤みが先、続く「焦げきはまれる」で、その色が一層強まる印象になる。
さらに加えて、「まかがやく」の点ではなく、時間的経過を含む「線」の記述になり、宮地先生が「ダイナミズム」と呼ぶものも、その辺りの流動的な印象によるものだろうと思う。

 

「まかがやく」について

一方、「まかがやく」の「ま」は接頭語であると先生は言う。しかし、古いテキストには前例のないもので、赤彦が作った造語、または、大正1年の「まかがやく豊旗雲のくにさして紅の帆は大会を行く」という佐々木幸綱の大正十四年の作品があるということだった。

その後に、さいとうもきちが 「まかがよふひかりたむろに蜻蛉(あきつ)らがほしいままなる飛びのさやけさ」(大正2年作)があるので、あるいは、佐々木-茂吉-赤彦の順で使われたものだったのかもしれない。

いずれにしてもそれ以外の用例は、博識な宮地先生が用例は思い出せないというので、古語にはない造語であるのは間違いなさそうだ。

 

好まれる元の言葉

それにしても「まかがやく」はいくらか上品な印象にとどまってしまい、「焦げきはまれる」は一度読んだら忘れられない言葉であると思う。

結局、赤彦がせっかく改作しても、多くの人が直す前の「焦げきはまれる」の方で引用をしている。

たぶん宮地先生も「まかがやく」の分析よりも、改作前の良さを主張するためにこの歌を取り上げたような気がしないでもない。

 

 

 

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