アララギの歌人たち 正岡子規

真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり~正岡子規

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このページでは正岡子規の有名な短歌「真砂(まさご)なす数なき星の其中(そのなか)に吾に向ひて光る星あり」を解説します。

真砂(まさご)なす数なき星の其中(そのなか)に吾に向ひて光る星あり

 

作者 正岡子規

出典 『竹乃里歌』「星」

歌の意味と解釈

細かい砂のような数限りのない星の中に、私に向かって光る星がある。

彼方で自分を見つめてくれている星、自分だけを照らしている星を心の中に描いている、その心境を表したものです。

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作者の正岡子規について

wikimediaより

1867-1902 慶応3年9月17日生まれ。愛媛県出身。帝国大学中退。明治25年日本新聞社入社、紙上で俳句の革新運動を展開。28年以降は病床にあり、30年創刊の「ホトトギス」、31年におこした根岸短歌会に力をそそぎ、短歌の革新と写生俳句・写生文を提唱した。

語の意味

なす【成す】[動サ五(四)]ある形・状態などをしている。「球状をなす」「門前市をなす」など。
かずなし【数無し】[形ク]意味:数限りがない

◆「星」と題する連作十首の中の冒頭の歌。(以下に解説)
◆芥川龍之介が「侏儒(しゅじゅ)の言葉」で、この歌を引用したのは、下の箇所。

明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。

真砂まさごなす数なき星のその中に吾われに向ひて光る星あり

歌の背景

正岡子規は慶応3年生まれ、明治35年没の歌人、俳人。晩年の7年間は結核を患い、病床において執筆をしながらも、俳句、短歌の革新に努めました。

短歌の弟子には、長塚節、伊藤左千夫、その流れに斎藤茂吉、土屋文明などがいます。子規の開いた根岸短歌会がのちのアララギ系となり、近代短歌の大きな発展の元となりました。

結核といっても胸部ではなく腸の結核で、気の毒なことに、晩年は立って歩くこともできませんでした。子規は部屋から外の景色や、植物を眺めることを楽しみにしていました。それだけが、外出もままならない子規の見られるすべてであったのです。

昔の家は窓というものはありませんで、部屋と外との間にあるものは木と紙の障子だけで、それを閉めてしまうと外が見られなくなってしまったのです。

明治33年に仲間の俳人高浜虚子が、当時はまだめずらしかったガラスを探してきて、障子に変えてガラスの窓を作ってくれたので、子規は寒い時、雨の時でも窓を閉めたまま外を見られると、たいへん喜びました。

子規は寝たまま、執筆をしたり、絵を描いたりして過ごしていましたので、動けないままに寝床から空の星を見上げて詠ったものもあるでしょう。

上記の歌については、明治34年の10首の連作の中の冒頭の一首です。
「砂の数ほどある星の中から私に向かって光る星がある」

空にひときわ明るい星がある、それを単に「明るい星」とはせずに、「吾に向かいて」と捉える。空には無数の星があるのに、そのように一つの星を自分と関係づけていく。それが作者の創意であり、この歌の眼目であるでしょう。

 

「星」連作10首の他の歌

連作10首の他のものは以下の通りです。

真砂なす数なき星の其中(そのなか)に吾に向かいて光る星あり
たらちねの母がなりたる母星の子を思う光吾を照せり
玉水の雫絶えたる檐(のき)の端(は)に星かがやきて長雨はれぬ
久方の雲の柱につる糸の結び目解けて星落ち来る(きたる)
空はかる台(うてな)の上に上り立つ我をめぐりて星かがやけり
天地(あめつち)に月人男照り透り星の少女のかくれて見えず
久方の星の光の清き夜にそこともしらず鷺鳴きわたる
草つつみ病の床に寝かえればガラス戸の外(と)に星一つ見ゆ
久方の空をはなれて光りつつ飛び行く星のゆくへを知らず
ぬば玉の牛飼星と白ゆうの機織姫ときょうこいわたる
(原文旧漢字カナ)

各歌の意味と解説

2首目 その明るい一つの星を子である私を照らす、子を思う母の光であると想念を広げていきます。

3首目 玉のように軒先から落ちる雫が止まって、軒の向こうに星が輝いたと思ったら長かった雨が晴れていた、というこれは実際の情景を詠んだもの。

4首目 星は雲に糸のようなもので結ばれている。その結び目が解かれると、星が流れ星となって落ちるのだという想像ですが、前の歌の軒先の雫からの連想であるかもしれません。

5首目 「空をはかる台」とは天文台で、そこに上って立つと、さえぎるもののない私の周りに星が輝いているという情景です。

6首目 「月人男」とは万葉集にある一連の「七夕歌」の中にある言葉のことで、月の愛称のようなものです。「月人男」に対して子規は「星の少女」を考える。月の光が強いので、少女の星の弱い光が見えない、という、これも月を人称化しての想像です。

あともうひとつ「月人男」で考えられることは、この子規の写実ではない想像のかなり含まれる連作は、万葉集の七夕歌を浮かべながら作ったものだとも思われます。

7首目 「久方の」は「天 (あめ・あま) 」「空」「月」「雲」「雨」「光」「夜」「都」にかかる枕詞です。「そこともしらず」は「どこともわからない」ところに、鷺の声が空を通って聞こえる。

8首目 子規はこの部屋では、ほぼ布団の上に寝た切りで過ごしていたわけですが、「草つつみ」のつつみは「堤」、つまり草の土手ということです。草堤ではないが、病床に寝返りをうてば、草堤に寝転んでいるかのように、星が一つ見える。

「草堤」のあとにつながる「~のような」の助詞は省かれています。そして、この歌は、想像ではなくて、子規の今ある生活そのままを詠っています。

9首目 流れ星を詠ったものですが、「空を離れて」行く星の行き先を知らない、というもの。4首目の「落ちてきた星」のさらにその先の想像です。

10首目 「ぬばたまの」は「夜」の連想から「月」「夢」にかかる枕詞。「白(しら)ゆう」は「白木綿」で、白いこと、10首の最後に初めて七夕伝説が詠われています。「きょうこいわたる」は「今日恋いわたる」。

子規という人の提唱した短歌は「写生」というものであり、それは事物のありのままを詠うということでした。この一連でめずらしく想像によって詠まれた部分が多くみられるのは、万葉集の「七夕歌」をベースにした試みであったからでしょう。 

  (万葉集の七夕歌についてはこちら→ 万葉集の七夕歌)

子規の星の歌は29首ありますが、星を題材に詠まれたものは、これが最後となります。

 

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