ニュース

与謝野晶子 19歳の未発表短歌発見「よひよひに天の川なみこひながめ恋こふらしとしるらめや君」

更新日:

27日のニュースで与謝野晶子さんの未発表の短歌が見つかったことが報道されました。

19歳の時の歌ということにも驚きますが、手紙も大変に達筆でしたね。

スポンサーリンク

以下毎日新聞記事より。

与謝野晶子19歳の未発表短歌、見つかる 直筆で最古

兄の秀太郎の帰省を待ちわびる歌

歌人の与謝野晶子(1878~1942年)が19歳だった1898(明治31)年に詠んだ未発表の短歌が見つかったと、出身地の堺市が発表した。東京にいる兄、鳳秀太郎(ほう・ひでたろう)の妻に宛てた手紙に、秀太郎の帰省を待ちわびる歌が記されていた。直筆では最も古いという。研究者は「浪漫主義の作品を生んだ歌人晶子の誕生前夜を考える上で重要な資料だ」としている。

 市によると、手紙の日付や切手の種類などから、最初の歌集「みだれ髪」(1901年)発表の3年前の98年7月11日に書かれたとみられる。

 当時、秀太郎は東京帝国大で電気工学を研究していた。晶子は手紙で「待ちに待った7月になったが、兄から帰省日の知らせがないので心細い」などと書き出し、短歌を詠んだ。

 よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしと しるらめや君

 七夕にちなみ「宵ごとに天の川を恋しく眺めながら、いとしいと焦がれる気持ちをあなたはご存じでしょうか」とする内容。さらに「帰省の日時は兄に内緒で教えてほしい」「自分と妹が駅まで迎えに行きたい」などと続けた。

 晶子は1896年に伝統的(旧派)和歌の団体に入会。98年4月に与謝野鉄幹の作品を新聞で読み、新派和歌に目覚めた。手紙の短歌はその直後にあたる。解読に携わった太田登・天理大名誉教授(日本近代文学)は習作と位置づけた上で、「前段は七夕、天の川というテーマに沿う伝統的手法で旧派から抜けきれていないが、後段の問いかける表現に後の晶子らしさが見いだせる」と指摘する。

 生誕140年の今年、堺市が秀太郎の遺族から手紙を借り、独特の崩し字の解読を続けていた。ストレートに恋愛などを表現する新派を嫌った秀太郎はこの頃から晶子と仲が悪くなり、絶縁に至ったとされる。晶子は数年後に上京するが、堺市時代の資料は多くが戦災で失われ、貴重という。市は23日~6月18日、手紙のレプリカや兄夫婦の写真などを同市堺区の「さかい利晶の杜(もり) 与謝野晶子記念館」で公開する。(毎日新聞記事)


 

恋の歌を詠むことを嫌った兄

しかし、「よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしと しるらめや君」が送られたのは、与謝野晶子の実の兄。なんだか変だとは思いませんか。

実際にも兄がいつ来るか、いつ来るかと待ちわびており、慕っていたのはうれしく思わなくもないでしょうが、「恋こふらしと しるらめや君」と呼び掛けられて、喜ぶお兄さんがいるとしたら、いくらか変わっていると言えなくもありません。

結局、結婚を忌に兄妹は絶縁となってしまったのでした。

明星派の短歌

そして、このような作風が、明星派と呼ばれた新詩社の作風の一つの特色であろうと思います。同じ派内でないとわかりにくい難解な作品も多かったようです。

この3年後に出版される「みだれ髪」が賛否両論あり、写実派からは批判を受けたのも、作風の違いによるものなのですね。

与謝野晶子自身が、後で相当の改作を加えて、一般にもわかりやすいものとして再版もしたようです。

今回発見された歌は、その最初の習作期のものと言われています。

与謝野晶子

 1878~1942年。夫で歌人の与謝野鉄幹とともに、「浪漫主義」を代表歌人。代表作歌集「みだれ髪」「君死にたまふこと勿」。

 

-ニュース
-

Copyright© 短歌のこと , 2018 All Rights Reserved Powered by STINGER.