佐太郎の斎藤茂吉解説

斎藤茂吉の短歌代表作三十首鑑賞と解説(下)[あらたま」「白き山」佐藤佐太郎 

更新日:

斎藤茂吉の歌を1首ずつ全59首を、佐藤佐太郎の解説文付きで提示します。
現在のページは、(上)と(下)に分けて記載したものの、下「あらたま」〜「白い山」までの方になります。

・出典は「斎藤茂吉三十首鑑賞」、それ以外の出典は、各歌に記載します。
・また、岩波書店刊の「茂吉秀歌」の抜粋をまとめたものは別記事としていますので、「茂吉秀歌」をご覧ください。
・解説者の佐藤佐太郎については佐太郎の茂吉解説をご覧ください。

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※各歌をクリックすると、解説に飛びます

目次

歌と解説

あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも

あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも

 

風を「行く」といったのは、雲を「居る」というのとおなじように古来からの用例がある。

ここでは視覚と聴覚とこめて「行く」というべき要求が作者にはあったのだろう。

山峡を吹くこがらしに飛ばされるように遠ざかる鴉、その寒々とした声もたちまち遠くなったというのである。厳しいなかに遠ざかるものの寂しさが交わっている。

しかもそれは浸透する言葉のひびきによって、手もとに引き戻されたもののようにありありと現わされている。(佐藤佐太郎 岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説)

かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり

街かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり

 

大正4年の「祖母」を坂に居して、息をつめて現実を凝視したというようなところから、もっと平淡な日常性に作歌の方向がむかっていく。そういう方向をもつ数首を抄した。

「原にこほれる夜の雪」と「咳ひびきけり」との関連において、生活のつつましさ、寂しさが感じがれる。

晩年の「白き山」の字立ちに遠くつながる感覚である。(佐藤佐太郎 岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説)

 

汗いでてなほ目ざめゐる夜は暗しうつつは深し蠅の飛ぶおと

 

「夜は暗しうつつは深し」と重ねていうことによって、なまなまとした現実が漂っている。暗黒の中を蠅が飛ぶ。その音を契機としていきぐるしいような現実の深さを感じているのである。

日常的なもののなかに現実にこもる深さを見ているのが、大正三、四年頃の作とちがうところである。(佐藤佐太郎 岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説)

電燈の光とどかぬ宵やみの低き空より蛾はとびて来つ

電燈の光とどかぬ宵やみの低き空より蛾はとびて来つ

 

灯をしたってくる夜の蛾は、ありふれた日常茶飯事にすぎない。
けれども蛾は「電燈の光とどかぬ宵やみ」の向こうから飛んできたという感受には今まで人の見なかった新しさがある。

この時期に到達した作者の目であるわけだが、その眼を感じさせないほど、言葉が自然にのびのびと続けられている。
もうフランス近代絵画のかげも「梁塵秘抄」の影もなくなって作者だけがいるような感じがする。(岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説)

しづかなる午後の日ざかりを行きし牛坂のなかばを今しあゆめる

しづかなる午後の日ざかりを行きし牛坂のなかばを今しあゆめる

 

ゆったりと歩いている牛が坂をのぼりかけていま坂の途中にいる所、ありのままで不思議に静かな歌である。

現実を見るということをつきつめて、いよいよ華麗さを去り、現実そのままの中にある重みと、底びかりのするようなものに接触した趣が出ている。(佐藤佐太郎 岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説)

しづかなる港のいろや朝飯(あさいひ)のしろく息たつを食ひつつおもふ

朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし並みよろふ山

しづかなる港のいろや朝飯(あさいひ)のしろく息たつを食ひつつおもふ
朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし並みよろふ山

 

「あらたま」の終章となる「長崎へ」の中の作。

「しづかなる港のいろ」は入海になっていて水の静かなことだけをいって、簡潔でいい。「こだまはながし」と、四句で切れるから、「並みよろふ山」が重厚で安定している。

そして反響が長いということの条件として「並みよろふ山」があるのだが、その関係を不即不離に、ただ在る状態だけを行った表現が堂々としている。

長崎到着の歌をもって「あらたま」は終わっている。(佐藤佐太郎 岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説)

真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも

真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも

 

茅(ちがや)の生えている原に夏の強い日光がさんさんとふりそそいでいる。

暑く、透けるような光の下に物音ひとつなく静まり返っているが、気がつけば微かに葉のそよぐ音が聞こえる。

ありなしの風に葉がそよいでいるのだが、それは風の音というような感じではない。ただ「そよぎの音」でえあり、いわば光の音である。

この微かな音のためにあたりの静かさが、かえって深まっている。

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こういう静かな、澄んでしいんとしているような風景の歌は、むかしならば、幽玄乃至有心の体である。今ならば象徴的歌である。(『朝の螢』巻末の小記)。

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幽玄の体象徴的歌といっても、これは空想によって、予定された構図によってできた歌ではない。情景はおのずから現実の深さを象徴しているが、それは観る目が徹底してここに至ったので、この深さは現実を離れて成り立っているのではない。一首を長らえる真実観の中に計らいのない深みがあるので、作者のいう「写生」の究極のひとつがここにある。

以下つゆじも以降。

>湯いづる山の月の光は隈なくて枕べにおきししろがねの時計を照らす『つゆじも』

湯いづる山の月の光は隈なくて枕べにおきししろがねの時計を照らす 『つゆじも』

 

「七月三十日」という小題があり、作者は温泉獄に病気療養に滞在していてこの歌を作った。月の光が「枕べに置きししろがねの時計を照らす」という光景は、如何にも清澄で一種崇高の気配さえ漂っている。

この清く深い情景は偶然に与えられたものであるが、それを把握し得たというのは作者の力量であり、やはり『あらたま』以後の境地がここにあるといってもよい。

「湯いづる山の月の光は隈なくて」は、平家物語に「月の光は隈なくて秋かぜのみぞ荒れにける」という例もあるが、恐らく独立して出来たくであろうか。

『つゆじも』には他に「高原の月の光は隈なくて落葉がくれの水の音すも」、「ながらふる月のひかりに照らされしわが足元の秋ぐさのはな」など同系列の表現があって、与えられたものを安らかに素直に受け取る態度が見える。

この歌の上句にしても恩恵につつまれたものの語気で、それが銀の時計を照らす光の色調となっている。

信濃路はあかつきのみち車前草(おおばこ)も黄色になりて霜がれにけり

信濃路はあかつきのみち車前草(おおばこ)も黄色になりて霜がれにけり

 

信濃の国に来て夜明方の道を行くと車前草などももう黄色に霜に枯れているというので、ありふれた路傍の草を「黄色になりて霜枯れにけり」と見ているのは、この平凡な属目の中に、旅行者の驚きも山国の厳しい寒気も籠っているので、鋭く確かに真実を見ているのである。

この一首の朗々として滞らない強い声調がまた美事(ママ)である。

短歌のような詩は、詩としての一首特有の語気語調を味わうべきものだが、「信濃路はあかつきのみち」という「は」にアクセントのある言い方が快適であるし、それが下句の息の長い詠嘆と共鳴して「霜枯れにけり」といいながら暗さというものの影のない透徹した爽やかさを伝えている。

同時の歌に「みすずかる信濃の国は車前草もうらがれにけり霜をかむりて」という一首もあり、これは「うらがれにけり霜をかむりて」が主旋律になってまた別様の感銘である。

きはまりて晴れわたりたる冬の日の天竜川にたてる白波

きはまりて晴れわたりたる冬の日の天竜川にたてる白波

 

昭和二年作、『ともしび』

これも信濃旅行の歌で、「昭和二年晩秋、講演を経てのち天竜峡にあそぶ」という詞書がある。

白波は五寸の高さであるか一尺の高さであるか知らないが、それは晴れた冬の太陽に向かって立っているので、ここに美しいとか寂しいとかいうことろを越えた自然の意味がある。

天竜の急流に立つ白波は、春でも夏でも見ることの出来る光景だが、この冬の日の歌によってその最も深い意味が規定された。

こういう感銘を呼ぶのが詩の働きである。「きはまりて」とか「わたりたる」とかいう、単独ではなんということのない言葉も、「きはまりて晴れわたりたる冬の日」という結合に於いて、堅い果実のような快さと力とがある。

「天竜川にたてる白波」も、単純で意味に充ちている。「たてる白波」は普通の言葉だが、この一首ではこれ以外に表現はないという的確さである。

絶間なきものの響(ひびき)やわれひとり野分(のわき)だつ庭にいで来たりける

絶間なきものの響(ひびき)やわれひとり野分(のわき)だつ庭にいで来たりける

 

昭和3年作、『ともしび』

ひっきりなしの物音がして野分の風(つまり台風)が行いている庭に一人出て来たというので、これも意味合いは簡単な歌である。

「われひとり「いで来りける」といっているが、現わそうとしたのは野分の風の吹き荒れている庭であり、その響である。それを自身の行為に寄って生かしているのは、これも「写生」の力量だと言ってよい。

強く荒々しい物音が遠く近く絶えずしながら、どこでそれが響いているのかもはっきりしないように、向きも定まらずさつさつと吹きたてる野分の状態は、「絶間なきものの響や」に一挙に捉えられて、「野分だつ」という言い方に倍音されている。

こういう状態は説明することはできても状態そのものとして端的に現わすのは難しい。
しかしこの歌は不定の動きに形を与えている。生きた呼吸を籠めて。

まる追記。斎藤茂吉本人の『作歌四十年』によると「ものの響」は「都会のひびきともいうべき」物音であると言っている。

家いでてちまた歩けば午(ひる)すぎし三時といふに日はかたむきぬ

家いでてちまた歩けば午(ひる)すぎし三時といふに日はかたむきぬ

 

昭和四年作、歌集『たかはら』

家を出て街を歩いていると午後三時頃なのにもう太陽は西の方に傾いているという冬の日常の歌である。
冬の短日は常識であるが、午後三時傾いている太陽の果てなさ虚しさというものは未だ人の見なかったものではないだろうか。

情景は平凡なものであるが、平凡の中にある真実が新に見られた時その感銘はいいようなく深い。
「家いでてちまた歩けば」の「家いでて」は或いは不必要とも見える句だが、こういった具体の中に味わいがあり、一首の真実感に役立っている。

またこの二句の行為の句があって、以下の観相が経験そのものとしての感情を持つことが出来たのである。
下句は大切な実質だが、「といふに」「日は」というあたりに作者の主観すなわち詠歎が響いている。

松かぜのおと聞くときはいにしへの聖のごとくわれは寂しむ

松かぜのおと聞くときはいにしへの聖のごとくわれは寂しむ

 

昭和五年作『たかはら』

「近江番場八葉山蓮華寺小吟」の中の一首、蓮華寺は時宗の本山で作者が幼少から親しんだ窿応和尚がここに病臥していた。

松かぜの歌は、他に「松かぜは裏のやまより音し来てここのみ寺にしばしきこゆる」「松かぜのとほざかりゆく音きこゆ麓の田井を過ぎにけるらし」というのものあって、歌が発表された当時、この静かに澄んだ歌境に瞠目したのであったが、その感銘は今でも少しも変わらない。

作者は歌集の後記で「何処かに古の僧侶の心にかようようなところがないであろうか」といっているが「いにしえの聖のごとくわれは寂しむ」という句に特殊な深さと静かさがある。

また「聞くときは」「われは」という「は」の重出も一首の声調に大きな働きをしている。

一夜雨はれて居りけるわたつみの海のなぎさに鳶は休らふ

一夜雨はれて居りけるわたつみの海のなぎさに鳶は休らふ

 

昭和九年作、歌集『白桃』

「紀州木本海岸」の歌で、夜来の雨のあがった朝、海の波打ち際に鳶が休んでいるところである。

鳶は雨がやんだまま曇っている空とその下に物暗くつづいている海とを背景として休んでいるので、この静かで寂しい風景は、完成されたものの安らかさをもって読者の前に置かれてある。

「海のなぎさに鳶は休らふ」という表現は、崇高な単純である。
「わたつみの」は、一首を単純にして調えるための枕詞のようなもので、こういう言い方をしながら、もっとも大切な実質を生かしているのである。

「春の雲かたよりゆきし昼つかたとほき真菰に雁しづまりぬ」という歌も『白桃』にある。

夕霧のたちのまにまに石だたみの歩道は濡れてながし夜ごろは

夕霧のたちのまにまに石だたみの歩道は濡れてながし夜ごろは

昭和九年作、『白桃』

寒い霧がたちこめているままに石を畳んだ歩道も濡れている。長い冬の夜すがらこうして濡れているのだろうという歌である。

冬の寒い霧に歩道が濡れているのは街頭の属目であるが、この隠然とした悲哀は未だ人の顧みなかったものである。

しかも視覚を越えて「長し夜ごろは」というところまで観入が徹しているのは、仮にこの一句を無いものとして考えれば到底私たちの想いも及ばない程である。この結句があって一首に幅と奥行が副っている。

声調は息が長く悠々としていてしかも切実である。ここに表現された一つの状態は、一語の主観も交えずに語られているのに、主観の情調は一首全体から響いている。

冬の夜の中空(なかぞら)にいでてさだまらぬ白雲(しろくも)見つつ家に帰りぬ

冬の夜の中空(なかぞら)にいでてさだまらぬ白雲(しろくも)見つつ家に帰りぬ

 

昭和九年作、歌集『白桃』。晴れた冬の夜の(月も出ているかも知れない)中天にただ一つ白い雲が見えている。
その白雲が少しずつ形が変わったりして漂っているのを見ながら家に帰ったという歌である。

自然の顕彰は常に意味に充ちているが、それにしてもこの白雲は特殊である、それは的確にいえば「冬の夜の中空に出でてさだまらぬ白雲」という表現の持つ思想であり感情である。

「中空にいでて」といい「さだまらぬ」といい、言葉は感情を持ってこの夜の白雲を規定している。
しかも更に、この歌は「白雲見つつ家に帰りぬ」という行為の中に感情がある。ここには孤独の寂しさも帰路の安らかさも、共に清い静かさの中に同時に存在している。

それを作者は露わに言いもせず隠しだてもせず、ただ生そのものの感銘として自然に流露せしめている。

ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらい入りて行きたり

ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらい入りて行きたり

 

昭和十年作、歌集『暁光』に収められた。
平凡な街頭の属目で、ガレージへトラックが入っていく処を見たに過ぎない。しかし「少しためらひ」と言うのは作者が初めて見たので、敬虔で愛に満ちた眼光である。

真実は顕れているものだが、それは誰にでも見えるというものではない。見る事はすなわち力量である。

すでに老境にある作者は、『赤光』の時代のように「何といふやさしさぞこれは」とは言わないが、そういう感動を内に湛えて、「少しためらひ入りて行きたり」と静かに淡々といっている。

おそらく同じ素材に基づく「ガレージに入りて行きたるトラックは底ごもりせる音を立てたり」という歌もある。

また他に「街上に轢かれし猫はぼろ切かなにかのごとく平たくなりぬ」、「ゆきずりに吾が見つつゐるこの路地の土凍らむもあと幾日か」というのもあり、この時期における作者の観入の傾向を知ることが出来る。

対象に寄せる同情同感が円かで非情有情の区別もすでにない状態である。

たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻(からたち)垣にほこりたまれり

ゆふ闇の空をとほりていづべなる水にかもゆく一つ螢は

昭和十一年作、歌集『暁光』。夏の宵に蛍を見た歌だが、見ている具体は「ゆふ闇の空をとほりて」という二句に過ぎない。

しかしこの表現は単純でしかも豊富で、「空をとほりて」というような言葉でも、螢がやや高く飛んで行く様子を的確に現わしている。

「一つ螢」という造語も立派である。実事に即して作るのはこの作者の歌は皆そうであるが、この一首でも実際に即しながら、歌の象徴的な味わいはこういう句の働きによっている。歌はこの句が無くとも成り立つし、こういう一見無用の句を挿むことによって単純化の実行をしているわけだが、単にそれだけでない役割を果たしているのは、無用の用ともいうべき堂奥を行く技巧である。

昭和十一年作、『暁紅』
冬枯れた田の畔とか路傍に青々として柔らかに一かたまりづつ萌えている曼珠沙華の葉を愛した歌で、同じ気持ちを作者は「冬岡に青々として幾むらの曼珠沙華見ゆわれひとり来む」(寒雲)とも作っている。

短歌のやうな純粋抒情詩にあっては、言葉の響きそのものが感情であるが、「冬の光さしそふ野べの曼珠沙華」という表現は、実にあたたかくして円かである。

また三句が名詞で切れ、結句が名詞で切れている形も特殊だが、それでいて一首の姿は珠のように整っている。

そして二つの名詞は名詞であるが、ここではそのまま感嘆詞としての響きを持って、讃嘆に近い愛情を漂泊しているのである。

北とほく真澄(ますみ)がありて冬のくもり遍(あまね)からざる午後になりたり

北とほく真澄(ますみ)がありて冬のくもり遍(あまね)からざる午後になりたり

 

昭和十二年作、歌集『寒雲』

冬の空が朝から寒く一体に曇っていたが、午後になって北方の遠くに青く澄んだ空が見えて来た時の歌で、こういう自然の現象は私たちは何度ということはなく見て来ている。

しかし私たちはついにこれほどまでに深く見ることは出来なかった。

「北とほく真澄がありて」という的確さが先ず以上で、或る冬の午後の空気がここに深刻に出ている。

しかもそうして空を覆っていた曇りが晴れたというのだが、それを「冬のくもり遍からざる」といっている。

これが真実具足の句で、世界の厳粛さそのもののような感銘をもっている。

こういう表現は単に言い回しの技巧でこうなったのではない。

作者にはすでに「雪ぐもりひくく暗きにひんがしの空ぞはつかに澄みとほりたる」(ともしび)、「雲さむき天(あめ)の涯(はたて)にはつかなる萌黄空ありその中の山」(暁光)などがあって、それぞれ逸することのできない傑れた作だと思うが、そういうところを通過して、いま「冬のくもり遍からざる午後」を観るに至ったのを私は尊重せずにはおれない。

寒く寂しい冬の曇りの中に萌している平和がここにある。

「遍からざる」の句は、伊藤左千夫に先例があるが、それによってこの歌の見事さは減殺されない。

さだかならぬ希望(のぞみ)に似たるおもひにて音のきこゆるあけがたの雨

さだかならぬ希望(のぞみ)に似たるおもひにて音のきこゆるあけがたの雨

 

昭和十二年作、『寒雲』

「寒きより暖かきに移りゆくころほひ気温の変動にいたく影響せらるるまでになりし明暮」といふ詞書のある一連中にある。

作者は気候の変動にも敏感に反応するような健康状態にあって、夜の明け方に音して降っている雨を聴いている。

その雨は「さだからなぬ希望に似たるおもひ」を誘うような響きを持って降っているというのである。

三月頃の春の前ぶれのような雨音にこういう感じはあるのだが、この言葉は言い難い感じを見事に捉えた表現である。

或いは、「希望に似たる」とまでは言えるかも知れないが、「さだかならぬ希望」とまで絶妙に言うのは、私たちの予想を越えた力量である。

また、「おもひにて」といって小休止して、「音の聞こゆる」と続けたあたりも、感情そのままの表現であり、鼓動する希望のように声調がととのっている。

雲ひくく垂れて樹立に入るときに睡眠(ねむり)は吾を迫(せ)めてやまずも

雲ひくく垂れて樹立に入るときに睡眠(ねむり)は吾を迫(せ)めてやまずも

 

昭和14年作、『寒雲』

「続山荘日記」の歌で、五月八日箱根強羅で作った。山中にある家をめぐって雲が低く垂れ庭の樹立もおぼろに雲に包まれている時、作者は机に向かって為事をしているのだが、何とも睡くなって致し方がない。

睡眠が身を迫めるようにきざして払おうとしても払いようのない一時の状態をいっている。「睡眠は吾を迫めてやまずも」は、堪えようのない睡気を迫める力として感じたので、深刻で的確な表現であるが、この歌の感銘は、さらに個の執拗な「睡眠」は、雲の支配する静かさそのものの力として作者に働いていることを思わせる点にある。人間の寂寞とした宿命を思わせるようなところがある。

作者は後に「午後一時の時計の音を聴くころはしきりに眠し雪の降らくに」(小園)という一首をも作った。共に人間生活の奥底を除くような気持ちのする歌境である。

大きなるこのしづけさや高千穂の峰の統(す)べたるあまつゆふぐれ

大きなるこのしづけさや高千穂の峰の統(す)べたるあまつゆふぐれ

 

昭和十四年作、『のぼり路』

天孫降臨伝説の跡を巡歴した時の作で、薄明を保ちながらくれようとしてゐる天を仰いで、さながら高千穂の峰が中心となって統一しているようなその広く静かな空の夕暮れを賛嘆したのである。はじめから「大きなるこのしづけさや」といって、最大級の主観句を置いた覇気、それに応じた下句の容積と荘重、力量自在にして雄大崇高な一種である。

「大きなるこのしづけさ」でも「あまつゆふぐれ」でも力に満ちた大きな言葉で味わい無限であるが、殊に「峰の統べたる」という蒼古渾撲な観相が、この一種を支える軸になっている。こういう見方、言い方に私はほとんど底の知れない力量を感する。

この作者はどういう種類の歌を作っても行くとして可ならざる無き力量を常に発揮しているが、殊にこの一種ではおもいのままに力を揮っている。

落葉にも光てりかへす水のべにゐつる小雀(こがら)は配偶(つれあひ)ありや

落葉にも光てりかへす水のべにゐつる小雀(こがら)は配偶(つれあひ)ありや

 

昭和十五年作、『のぼり路』

池の水が冬の日光を反照しているところの木立に小雀が一つ来てしばらくいたという歌で、閑寂でしかも心の温まるような一首である。

「小雀は配偶ありや」といって、ただ一つで遊んでいた小禽とそれを見る作者の同感同情とを現わしているのも味わいが深く、「落葉にも光てりかへす水のべ」という、渾然として光沢のある表現もまた味わいが深い。穏やかで心に沁みる歌調もいい。

こういう古河雅な花鳥図的境地もこの作者の複雑多面な歌境の一つである。同年の作に「蕗の薹の苞(つと)の青きがそよぐときあまつ光を吸はむとぞする」などもある。

くやしまむ言も絶えたり爐(ろ)のなかに炎のあそぶ冬のゆふぐれ

くやしまむ言も絶えたり爐(ろ)のなかに炎のあそぶ冬のゆふぐれ

 

昭和二十年作、歌集『小園』

一首は郷里山形県金瓶村に滞在中、敗戦直後の社会と新教徒を背景として成った。作者をも籠めて一家の人が爐を囲んでいるのであろう。そして爐のたき火がとろとろと動いている冬の暮方にしばらく悲しい沈黙がつづいているところである。

しかし「くやしまむ言も絶えたり」という句の表現しているものは、 言語を越えた沈黙の心であり、作者の内なる嘆きである。

そうすれば周囲に人のある無しに関わらず作者や一人が爐の炎を守っているのだと受け取ってもよい。

この償いようのない心の負担を「爐のなかに炎のあそぶ冬のゆふぐれ」という具体のなかに規定して、永遠の悲哀を伝えている。

「炎のあそぶ」という表現は実に簡潔で良いが、あるいは巧に過ぎると感ずるひともあるかもしれない。

この辺の評価は実にむずかしいけれども、こういう巧みときわどさを全くひていするなら詩の表現は無味に堕する場合が多い。

ひむがしに直(ただ)にい向ふ岡にのぼり蔵王の山を目守りてくだる

ひむがしに直(ただ)にい向ふ岡にのぼり蔵王の山を目守りてくだる

 

昭和二十年作、『小園』

「ひむがし」は東、「い向ふ」の「い」は接頭語である。一種は岡にのぼって蔵王山を望見しそしてくだって来るというので、単純に自身の行為をいっているに過ぎない。

しかし蔵王山は作者が幼少から敬愛した山であり、一老翁として戦後に生き残った作者が岡に立って蔵王山を凝視するという行為そのものに一つの感動がある。

さらにしかし読者の受け取るものは「岡にのぼり」「蔵王の山も目守りて」「くだる」一連の行為であり、沈黙に終始するその行為に一首の威厳を感ずる。

そして「のぼり」「目守りて」「くだる」というように、行為の言葉が多いのにちっとも煩わしいところがなく、全体とし厳しく強い歌調に統一せられている点を見のがしてはならない。この悲痛とも言うべき声調に隠然たる威厳がある。

一首の歌から物語的筋書きを求め、哲学的概念を求めようとするなら失望するだろう、この歌はそういう程度を越えている。

道のべに蓖麻(ひま)の花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごと

道のべに蓖麻(ひま)の花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごと

 

昭和二十一年作、歌集『白き山』

蓖麻は戦時中到る処に植えられたから、夏日に咲く紅い小花を誰も見ている。作者はふとあの蓖麻の花を思い浮かべて、何か過去の罪悪にふれる思いを感じている。

「何か罪ふかき感じ」は、蓖麻の花の写象の色調であるが、この可憐な紅い小花が罪悪感の色調を持って眼前に浮んでいるというのが変に深刻である。

蓖麻が過去の罪の象徴であるということには論理的説明がない。

ただ事実としてここに端的に出ているのがよく、全ての感動は直感そのものの内にある。
「咲きたりしこと」といって、写象に見えるとも何ともいわない清潔で豊富な表現を持つ一首の形態と、静かで深い声調とに、作者の生の最も内奥にある苦痛が告白されている。

まひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川

やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川

作者は山形県大石田に滞在して最上川の歌をたくさん作ったが、その一代表のつもりでこの歌を抄した。この歌では、最上川は晴れわたった秋か冬かの日光の下に深い紺色にしづまりかえっている。

瑞々しくてとろりとした、濃厚で清い流れはそのまま一首の声調に結晶している。

「やまひより癒えたる」という言い方は、体から直かに出た端的な言葉であり、「こころ楽し」も直接で明るい。

また、「昼ふけにして紺の最上川」に至っては、重厚で胸の開くさわやかさを持った表現であり、コンというような跳ねる音を平然として融和せしめた力量なども偉大である。

このように自身の状態を自然に流露せしめて、下句に密度と容積とのある実態を据えたのには実に完備した一首である。

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日

 

昭和二十一年作、歌集『白き山』

大石田に於ける作で、雪の積もっているこの県(地方)の山に囲まれた平地に自分は居たのであった、冬至の日に、という一首である。

「冬のはての日」は、当時を大和言葉流に砕いた言葉で、こういえばまた一種独特の意味を帯びて来る。当時は至日・日短ともいい、冬の太陽の至りきわまる日の意である。

第一句の「うつせみ」は「現身」であるが、第二句に続いて意味のない枕詞格の句であり、一首は第二句で切れ、第四句で切れ、結句で切れ、しかも四句も五句も名詞で終わっている。

この訥々として、単純化の極限とも言うべき形態は崇高である。あらゆる主観を没した威厳ある実態が、一語一語次第に身辺から距離を隔てて行くような思いがする遠い距離を置いた無色寒冷の政界として荘厳に結晶している一首である。







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