今号は、直截に生活とその困難を詠んだものが目を引いた。
年が明けて、日常に戻ったためだろうか。
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貧しさに負ける事なく生きている金がなくとも梅はほころぶ 木村義熙
飾り気なくそのままに詠んでいるのが良いと思う。結句が季節らしくて良い。
乗り越えてきた訳ではない気付かずに通り過ぎてきたそれだけのこと 岡田紀子
散文体の口語の歌。これも上に少し似ている。
ホスピスに友を見舞うに三つ四つ離す言葉を用意してゆく 坪沼稔
今回はホスピスの歌が二つある。おそらく病も末期の方なのだろう。病気のこともあまり話題にできない、そういう気遣いがある。
それにしても見舞ってくれる友があるのはありがたい。
以上高野公彦選
親指と中指のみの二本にて水瓶(すいびょう)つまむ百済観音 水野一也
永田選の一首目。仏像の詠み方はいろいろあると思うが、観察が行き届いていて、そして、仏像の繊細な雰囲気が伝わるものとなっている。
冬晴れのベランダにわれ独り出て叩(はた)いては干す男の下着 島田章平
独身の方か、それとも高齢の方か。男性だから歌になる。
ホスピスに友を見舞えば「待つてて」とアイスクリームを買いきて呉るる 坪沼稔
上と似ているが、見舞客が気遣われた点が逆になっている。相互の交流が良い。
以上永田和宏選
ジョーク言えばオフィスの幾人かがちょっと笑いくれたり寒き日の幸 長尾幹也
良い歌なのだけれども、寒さとのつながりがもっとあるといいのにと思う。
新聞の紙子のぬくみを語りたる祖母を思へり雪の降る夜 瀧上裕幸
紙子-かみこ-というのは、和紙で作った服なのだそうだ。昔の人だから、そういう機会があったのだろうか。
「思へり」の4句で句切れ。「雪の降る夜」は体言止めだが、「雪の降る夜に」だったら、倒置がはっきりする。「思う~の夜」とつなげてもいいかもしれない。
老犬の背にやはらかく陽の差して撫でやるわれの手を暖めぬ 上田由美子
撫でてあげている人の手の方が暖まる、という意味なのだろうが、私なら複合動詞は使わない。撫でたら暖かくなった、と単純でもよいと思う。
初雪にパミールを思ふ玄奘の氷雪を分け越えし葱嶺 小林俊之
山岳詠。玄奘げんしょうは玄奘三蔵、葱嶺はパミールの中国語、と調べた。
「分け越えし」は句またがりだが、そこを読むのに少々の困難があって、「越えた」感じが伴う。
以上馬場あき子選
鳥海山の裾野に橇(そり)を曳く馬の背(せな)に湯気立ち春が近づく 阿部功
佐々木選一首目。良い短歌というのは、スケートで4回転ジャンプが、すんなりきれいにきまったのと似たような感じがある。余分も不足もなく傷がない。こんな風に詠みたいものだ。
東京に慣れし娘かプランターに野菜を育て子を二人生む 高橋啓子
今回の好きな歌。作者は福島の方。あるいは、震災で引っ越したのかもしれない。結句の「子を二人生む」が良い。
七年の避難生活、借り上げの二間の物の隙間に辛く生く 守岡和之
こちらも福島の方。結句が敢えて字余りになって、狭い部屋にたくさん物が詰め込んである様子がその字余りから伝わるようになっている。
歌とは関係がないが、福島の家は大きいことが多い。避難で、家具を運んだのかもしれない。その状態で7年間。震災はいつまでも終わらない。
新幹線トンネルぬけてただならぬ雪しまく野の奥へ奥へと 石川桃瑪
「しまく」は滋賀の方言らしく「ひどく降る」という意味。述語はなし。
ただ、「奥へ奥へと」 。
板状のパソコンいくつも居間に寄る平成三十年の団欒 藤原真理
ああ、そうだなあ、という感じ。街で恋人たちが、互いのスマホを見ている様子に、ああはなるまいと思ったが、免れなくなってしまった。
スマホより大きいタブレットのことだろうが、「板状の」が良い。
以上佐佐木幸綱選
今日のはとても楽しく読めた。自分もできるだけ詠もう。