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朝日歌壇より2018年2月26日 恵方巻に春の兆し

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前週は空けましたが、今週の朝日歌壇もすてきな作品がたくさんでした。

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ひと冬のあひだ貼られて剥がされし行方不明の犬のはりがみ 野田孝夫

貼り紙は「貼られて」また剥がされただけなのだが、犬は見つからなかったのだろう。作者は飼い主ではないのだが、掲示がなくなったことの方に敏感に何かを感じている。

佐々木幸綱選

三万人切りし市勢の街なかに入居者募集の幟増えゆく 藤原忠

市勢というのは、市の情勢総覧であるらしい。戸建て賃貸含め、空き家は現代社会の問題となっている。その社会詠。

船底に波のさわぐを聞くごとく九階に住み風を聞きをり 石丸啓子

実家がマンションの8階にある。風の音は聞こえるが、地階の喧騒とは無縁だ。
上句の比喩がいい。船の如く波間を漂うかの住まい。

千秋楽ふるる行司の口上に句点の如く柝の音響けり  水野一也

 歌舞伎や相撲などで使われる「拍子木」が「柝」。これをたたくときに出る音を「柝の音」と言う。 「火の用心」と呼びかけながらた叩かれる二本の棒とも同じだという。口上ともどもしみじみと聞く作者なのだろう。

目閉づればとおいとおい日囁かれし<帯は解くもの>耳朶(じだ)焔立つ 平加ミチコ

歌壇で見るめずらしい歌。目を閉じるとずっと以前に「帯は解くためにあるものだよ」と耳元でささやかれた言葉が思い出される。そうすると、耳たぶが炎のように火照って熱くなるという意味。心の底のエロスは歌の中によみがえる。

恵方巻に口を大きく開け流れ父なきあとの春を待つ母  村上敏之

恵方巻がポピュラーになったのは近年だが、今ではほとんど季語として春を告げるものにもなっている。一人残った親にも元気に過ごしてほしい願いが、恵方巻の行事にかぶる。

わが辞書に「我慢」といふ語の無きごとく生き今は独りぼっちなり 畠山時子

旧かなと文語の中で「独りぼっち」の現代語が際立つ。上句は内省なのだが、我慢をしようがそういうこともあるだろう。けれども、思わず詠みたくなった気持ちもわかる。

今は亡き戦地ビルマの小さき文字兄の墓石の裏に生き継ぐ 原田覚

国名は今はミヤンマー。風化していく時の中にも、身内はけっしてすべての「兄」を忘れることはない。

以上高野公彦選

食べてるか眠れるかごみ出してるか無理して笑っているんじゃないか 伊藤麦緒


そろそろ引っ越しシーズンでもある。選者は「就職で親元を離れた息子へのはがき」と読む。親子ならではの細やかさ。いつでも帰っておいで。

辻ごとに融雪剤の大袋置かれてしづけきこの坂の街 櫂裕子

通るたびに目に入るような、ありふれたものであっても歌になる。住み慣れた土地であっても、新しい目をもって眺めてみようと思わせられる。

以上永田和宏選

避難せし遠近(おちこち)ゆ来て浪江町の田植踊りを久々に舞う 青木崇郎

散っていった人々が、放逐した地に田植えの時期になると集まって、豊作を祈る踊りを踊る。歌はその事実以外それ以上は何も言っていないだけに哀しみがつのる。

天変に文句も言えず気を静め蘖(ひこばえ)と芋と玉葱を食ふ 田口二千陸

冬の低気温の上に天候不順が続いた。蘖は一度切ったところからさらに生えてくる芽のこと。同じく畑をされている方にも育たないと聞いた。
がっかりもひとしおだが、そこは気を落ち着けて、保存のきく野菜で間に合わす。

庭の隅今は金魚の住む火鉢家族が囲む時代もあった 鈴木一成

不用品となってしまったが、かつてはそこに焚く火がなければ暮らせなかった。それもともすれば忘れそうになるほど遠ざかったところに、老いた作者の感慨があるだろう。

厳しい冬の歌は少しずつ遠ざかり、春を感じさせる作品も見られるようになってきた。来週はもう3月に入る。

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