斎藤茂吉

『赤光』「茂吉秀歌」斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説「茂吉秀歌」より

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斎藤茂吉の短歌に一首ずつ、佐藤佐太郎が表現技法を解説、鑑賞のポイントを書き加えたものをまとめました。

このページには、斎藤茂吉の歌集「赤光」の秀歌とその解説を掲載しています。

鑑賞の際に参考になさってください。

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『茂吉秀歌』「赤光」佐藤佐太郎の秀歌解説

このページは、佐藤佐太郎の解説、斎藤茂吉の「赤光」各秀歌のポイントのみをまとめています。

初心者向けには、「赤光短歌一覧」、または「死にたまふ母全59首」の方がさらに詳しく、現代語訳付き、語の注解入りで解説しています。

初心者向けには、一首ずつの解説の方にさらに詳しく、現代語訳付き、語の注解入りで解説しています。

1月落ちて「赤光」

月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも

初期歌稿によると原作の一二句は「現しき世月読や落ち」となっており、それを「月落ちてさ夜ほの暗く」と左千夫が添削していることがわかる。

2かへり見る「赤光」

かへり見る谷の紅葉の明(あき)らけく天(あめ)にひびかふ山がはの鳴り

「山がはの鳴り」は、とどろく川音を名詞にして、簡潔に安定せしめた結句である。

3隣室に「赤光」

隣室に人は死ねどもひたぶるに箒ぐさの実食ひたかりけり

隣室の死と箒ぐさの実との対照そのものが人世の深刻な一つのすがたでもあり、そこに感動があって「食ひたかりけり」と詠嘆したのである。

4細みづに「赤光」

細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり

細い水の流れがあり、流れに従って細かい砂が動いているが、砂はしばらくすると一方に偏ってそこに停滞する。この小さな停滞の一種もどかしいような状態は、さながら自分のうちにある「うれひ」だという歌である。

一句から四句までは「うれひ」を形容する序のようにも受けとれるが、作者みずからいうように、従来の序歌の形式と違って、現前の状況そのものから触発された情調を表現しているのである。

5おのが身を「赤光」

おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも

この歌は少し感傷的だが、しかも清く健やかでもある。そして変に切実であって、しかも甘美な情調がただよっている。

6たまたまに「赤光」

たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻垣にほこりたまれり

その青い枝にほとんど目立たないほこりがついているところに、近代的な憂愁を感じたのである。瑣末を瑣末のままとらえて、実体をありありと表現することによって、切実に感情を表しているのである。「たまたまに手など触れつつ」という一二句によって、枳殻垣のほこりは、現実そのままの気息を持って迫ってくるのである。

7しろがねの「赤光」

しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

「人かよふ」、「細ほそとして」は作者の感傷である。「しろがねの雪ふる山」が簡潔でさわやかでいい。

「しろがねの」は「雪」の白さを形容したのだが、意味合いよりも音調によって「雪」につづけており、さらに雪の積もっている山を「雪ふる山」とというのが簡潔で自在である。

8赤茄子の「赤光」

赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

トマトが赤く熟して腐れ落ちているのもあった、そこを通ってしばらく歩いたのだったという、回想の情緒が一首の内容である。(中略)「赤茄子の腐れてゐたるところ」を中心として、過去の小事実を追体験していることにおちつく。

晩夏の光には成熟の果ての疲労と哀愁とがただよっているだろう。その晩夏の象徴のように、腐ったトマトのある一小景が作者の写象にうかんでいるのである。

9猫の舌の「赤光」

猫の舌のうすらに紅き手ざわりのこの悲しさを知りそめにけり

視覚と触覚とを一つの混合した経験として、「うすらに紅き」からすぐ「手ざはりの」とつづけている。そして、この驚くべき新鮮な感覚を通して、うらがなしい情調を表白したのが、若々しくもあり、健康でもある。

作者自ら「知りそめにけり」は、春の目ざめなどと同様の一つの覚醒を暗示している。

10ほのかなる「赤光」

ほのかなる茗荷の花を目守る時わが思ふ子ははるかなるかも

茗荷の子の先端から、すり硝子のような半透明の花が開く、この作者以前誰も注意しなかった花である。それを「ほのかなる茗荷の花」と言ったのも的確で感情をたたえている。

一首はさわやかで香気があり、不思議なほどすっきりと洗練されている。また、「なる」が二つもあり、あいだにも「目守る」「はるか」と「る」が入っているが、全体として軽くも騒がしくもなく、かえって快い階調をなしている。

11けふもまた「赤光」

けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬りたるかな

谷をへだて距離を持って見る「向ひの岡」の「葬り」には、細部が没してただ人の群れと、その象徴的な動きだけが見えている。
(中略)死をとむらう生者の行為の寂しさというものが、現実のやや遠い風景として客観されているところに作者の感動がある。

12いちめんに「赤光」

いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童のまなこ小さし

強烈な原色の風景で、以前の根岸派にはなかった感覚である。そして、そこに立っている子どもの目が小さいというのが、さらに鋭い感覚である。

唐辛子が一面に赤くなっている畑に立つ童子像は、「まなこ小さし」という一語によって生きている。

この言葉によって童子は背景と融合し、他をもってかえることのできないものになっている。強烈な原色を背景としたために浮きたって見える羞じらい、やさしさのようなものが「まなこ小さし」によって捉えられている。

13けだものは「赤光」

けだものは食(たべ)もの恋ひて啼き居たり何(なに)といふやさしさぞこれは

動物園に来ると虎とかライオンとかいう獣類が啼いている。それは「食もの恋ひて」啼いているのだと感じ、空腹になれば本能のままにこのように啼くというのは、何と言う率直な愛らしさであろうというのである。

「やさしさぞこれは」と、主観をそのまま端的に強くいったところに人間的な悲哀も動物に寄せる同情もあるが、そういうものをこめて、さしあたり端的にいったのがこの歌の切実な点である。

14雪の中に「赤光」

雪の中に日の落つる見ゆほのぼのと懺悔(さんげ)の心かなしかれども

あらゆるものが雪に覆われているとき、雪に接して太陽が落ちかかったところを見た歌である。それを「雪の中に」と端的に強くいったのが、いままでにない新しさである。

このいたいたしいような厳粛な状景は、誰でもが見慣れていてしかもみなかった物の一つではあるまいか。単純で強い言葉の中に状景の核心がとらえられているので、下句は上句を生かすためにあるのにすぎない。

参考:あまつ日に屋上の雪かがやけりしづごころなきいまのたまゆら

15ひんがしは「赤光」

ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛吹きて行く童子あり

単に「あけぼの」でいいところを「ひんがしはあけぼのならむ」という、この味わいのあるさわやかな言葉は、この作者の言語感覚の並々でないことを示している。このように言葉に感情を持たせ得るのは、詩人としての資質によるが、一面は営々とした努力精進の結果でもあった。

16なげかへば「赤光」

なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへあかからなくに

「ものみな暗し」といって、さらに「あかからなくに」といったのは、やや即しすぎているようにも感じられるが、どちらも詠嘆の語気であり、この強調があって一首が切実になっている。二句で切迫したように強く切れ、三句をおおどかに起こして、結句を「あかからなくに」と重く据えた声調に心情さながらのひびきがある。

17ほのぼのと「赤光」

ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる

きわめて感覚的で、少女の姿態までありありと感じられる。

現身の肉体というものを除外して恋愛はあり得ないから、こういうひたむきな表現になったのだが、しかしこの感覚的要素は、「ほのぼのと」という虚語を交え、「幾夜か経たる」など追懐的感動の語気の中に融けこんでいる。

そのために感覚的でありながら肉感的ではない。

短歌における官能的表現の限界ということを考えさせるだろう。

「目を細くして抱かれし」などといっても肉感的でないのは、抒情詩としての短歌の性格であり、そういう「すさまじさ」を否定する作者の用意があったからである。

他:
あさぼらけひとめ見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり
しんしんと雪ふりし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか

18桑の香の「赤光」

桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり

「青く」は、桑の匂いの感じをいったので、感じを生かすことにおいて驚くべき鋭敏さを作者は持っている。まだ人音のしずまっている暁に母を呼ぶというのが切実であり、一種の感動もそこにある。

「堪へがたければ」という激情は、「桑の香の青くただよふ」によって切実さのうちにどこか清新さがあり、不思議な色調をたたえている。

19死に近き「赤光」

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

「添寝」は「侍寝」と同じだが、「死に近き母」から続くので通俗を脱している。「しんしんと」は、作者慣用の語だが、この歌では上句にも下句にも連続するように受け取れる。詩の言葉はときに散文的合理性から逸脱する場合があるからそれでよいし、そこにかえって深みの出る場合もある。

四五句の「遠田のかはづ天に聞こゆる」は、直感が的確であるばかりでなく、言葉が荘重である。一二句でやや詰まった言い方をしたから、四五句の荘重さが際立つという点もある。一首は静寂の中に鼓動する悲しみの響きを持っている。

さらにそれを覆うような厳粛さが全体を支配している。それは「死」に隣接した空気として、当然そうであるべきだが、直接には「天に聞ゆる」とういう言葉からつたわる感銘である。

20我が母よ「赤光」

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ

母の臨終時に際して、ほとんど瞬間的に迫った激情を一気に表白している、こういう種類の歌は従来ほとんどなく、石川啄木に例があるくらいだが、啄木のはもっと余裕があって、これほど急迫した感情ではない。

「死にたまひゆく我が母」でも「我を生まし」でも、実作者の立場から見ればその直接性は驚くばかりである。

21のど赤き「赤光」

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり

親類縁者が集まって臨終を見まもっている、そういう緊張した光景をのぞくように、あるいは無関係のように、梁に燕が二つ並んでいるのは不思議に深刻である。

その燕を「のど赤き」と端的にいったのもはなはだよい。ひじょうの際にこれだけのものを視たのは、やはり写実の精神が徹底していたからである。

このあたりは作者は未だ「実相観入」ということをいわなかったが、その見事な実行がここにある。

この一二句は、短歌表現における単純化と具体化との関係に無限の暗示を投げている。それから「なり」という助動詞の詠嘆的使用法も注意していい。

22おきな草「赤光」

おきな草口赤く咲く野の道に光ながれて我ら行きつも

晩春の野の道を葬送の列が行くところで、過去形に「行きつも」といったのは、そういう事実に感動を込めているのである。

「光流れて」の「光」は日光で、ここでやや大きい休止がある句法である。

「しかして」という気持ちを省略して結句に続けている。晩春の日光が降りそそいでいて、その光の中を「我ら」すなわち母の棺とそれを送る人たちが行ったというのである。

(中略)単にそれだけでなく、葬列そのもののつつましさをも表現している。この象徴的な気配は四句から五句に続く連続にある。

23星のゐる「赤光」

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

歌は無量の感慨をこめて息永く詠嘆している。「夜ぞらのもとに」から「赤赤と」と続く表現が痛切であり、「母は」から「燃えゆきにけり」とつづく表現が痛切である。

その感情の深切によって成り立ち、作者の感慨を一挙に託したという表現である。

24どんよりと「赤光」

どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも

重々しくこめた曇りだけをいって、端的に生活の憂鬱を表現している。

「二たび空を見ざりけるかも」といって、作者の意識に印象された圧迫感のようなものがあらわれているだろう。

この歌について、作者が「「どんよりと」という現代語と、「見ざりけるかも」という万葉調とがどうにか調和しているところにこのあたりの歌の特徴があり、感じも近代的で、調べも緊く厚くなっているように思える。

「仏蘭西近代絵画の影響があった」(「作歌四十年」)といっているのに付け加えることところがない。

ただ、現代語と万葉調との調和は「赤光」全体に渡る特徴で、それが人々に新鮮な感銘を与えた点を特に注意しておきたい。

25めん鷄ら「赤光」

めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり

砂をあびている鶏と剃刀研ぎの気配の中に白昼の領する沈黙の意味を感じ取って、その不気味なような瞬間を永遠のものとしている。

深い生の倦怠をのぞき見ているような歌である。

26たたかひは「赤光」

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり

上句と下句と別々のことをいっているが、この独特の形態は、説明を排して状態だけを投げ出すように言って、言葉には説明しがたい感情・空気と言うものを表現しようとしているのである。

夏の日ざかりに紅い鳳仙花の散る情景には、ここにも沈黙と倦怠のこころがあるが、それは「たたかひは上海に起り居たりけり」と言う背景に拠って特殊になっている。一種鬼気せまるような息づまる静かさが感じられる。

27ひた走る「赤光」

ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし

いても立ってもいられないような、焦燥の気持ちをあらあらしく強く歌っている。こういうひたむきな強烈さは、やはり「赤光」の佳境の特色のひとつである。「わが道暗し」は作者の行く夜半の道であるが、おのずから人間的な感慨が参加しているだろう。

歌は、単にせっぱつまったという気持ち以上の混乱をふくんでいる。特に「怺へかねたる」から「わが道くらし」と続けた下句は切実でよい。「しんしんと」の用法も微妙で、「死に近き母に添寝の」の歌と同じように、一首に暈のようなものが添っている。

「赤光」はこれで終わり

「あらたま」の解説に続く。

 







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