古泉千樫歌集『屋上の土』全作品 妻と原阿佐緒との相聞歌 - 2ページ  

広告 アララギ

古泉千樫歌集『屋上の土』全作品 妻と原阿佐緒との相聞歌

※当サイトは広告を含む場合があります

明治四十四年「曇り日」
冬沈みもののかなしき曇り街をたづたづ来れば川びに出でぬ
さびさびと曇いや沈む川の面をかすかに動く白きあかるみ
うち沈み曇りほうけし吾が前ををりをり行きすぐる人の面かも
おぼほしく曇ゆらぎて水の上にうすら日させり向岸のへに
午(ひる)ちかみ日ざしいただよふ冬川のみなぞこおほに明(あか)りぬる見ゆ

明治四十四年「森」
この悲しくいきどほろしきわが心この森の深く今日も来れり
この静けき森の奥がをさわさわに吹き過ぐる風の行方知らずも
吾が一人ここにありつつ物思ひのかなしき胸に木の実落つる音
うつそみの悲しき罪に死ぬといへど死ぬといふことのただにしあらめや
湛へゐる森の泉にひとひらの木の葉のながれ見すぐしかねつ

明治四十四年「春来る頃」
いとどしき夜の雨はれてこのあした海辺(うみべ)のどかに春立つらしも
みんなみの岬をめぐる潮筋のいちじろくして春はきたれり
いち早く春を揺りくる黒潮よこのみんなみをとはにながるる
みんなみへつらなる八島朝日てり遥(はろ)けきかもよここに吾が立つ
けさの海みちかがよへりしかすがにかの巌かげは暗く寒けし

明治四十四年「水郷の春」
汽車おりて土ふむ吾れにうち浴ぶす春の光はながるるごとし
雨あがり春の野みちを踏みて行く草鞋のそこのしめりくるかも
春日てる野をたどりきつ蒼杉(あをすぎ)のかげしなつかし心もしぬに
春の日のひろら照る野をかぎり立つこれの森かげ李(すもも)はな咲けり
湖(うみ)の面の浮きてみだるるかがやきにものごころよくうれへおぼゆる
春まひる日のかげろひに湖(うみ)の面はくろく沈みぬそのひとときを
かぎろひの西日きららぐ湖の面の沖べは暗くおほにこもれり
夕高き鳥居をいでてうつしきにふりかへり見る森の暗きを
かへり見る鳥居の奥の夕がすみ木ぬれの空はいまだあかるし
ゆふがすみうすくつつめるこの丘の社の町に灯はともりたり

明治四十四年「水郷の春」(二)
よろづみな闇にただよふ春の夜ま底に深く湖はしづめり
宵ふくる春の静夜をやはらかく長く揺りつつ湖はうごくも
室内(へやぬち)のともし明るし酒くまむよき子もほしも旅のこころに
相ともに唄のひとつをうたひえぬ心さびしく酒のみにけり
春の夜の湖べ俄かにさわめきてあらしとなりぬ揺らぐともし火
湖のべのこよひのやどりともしきに春神鳴(はるかみなり)のなりわたるなり
われひとり障子のそとに春の雷(かみ)はためく夜空立ち見つるかも
春の雷(かみ)いみじく鳴りてすぎしあと暗き湖べにわれひとり立つ
あらし過ぎて闇おぼほしき春の夜の渚の水にわが手をひたす

明治四十四年「水郷の春」(三)
流らふる明けのひかりに春の湖水あたらしく満ちあふれ見ゆ
朝早み舟こぎいづれ湖かくむ春の国べはいまだしづけし
朝あけの光ただよふ湖のうへわが漕ぐ舟の櫓(ろ)の音(と)ひびくも
ひむがしの野を出づる日のあかねさしかそけくそよぐ湖の上の風
舟あがりてくるわの裏の畑路のそら豆のはな手につみにけり
豆の葉に春日ながらふしかすがに昼のくるわにわれら入りにき
春の日のひかりまどろむ小川には家鴨ならびて泳ぎてありけり
古りにたる水のあがたのくるわ町くるわ寂しも春日は高く
おくり来し遊女のすがた春の日のながらふなかにかなしかりけり
小さき橋いくつくぐりて見かへればそら豆の畑を遊女ゆく見ゆ

明治四十四年「水郷の春」(四)
水郷の沖べはるかにかぎろひて大き夕日の沈み行く見ゆ
くるわの灯ほのにともれり堤つくる工夫のむれはなほ働けり

明治四十四年「五月靄」
皐月靄(さつきもや)かをれる朝の恋ごころおのづから思ふ君があたりを
軒にさす菖蒲(さうぶ)の葉さき露ひかり朝戸くる君すがたしおもほゆ
皐月靄(さつきもや)ながらふ縁(えん)に吾にそひて立ちしおもかげ忘れかねつも
朝靄の匂ひただよふ池のべを水鶏(くひな)の雛の二つ居り見ゆ
うつしわが過ぎ来し方の暗ければ少女がともを見らく悲しも

明治四十四年「睡蓮」
ぬばたまの夜ふかき水にあはあはし白く浮き咲く睡蓮の花
ぬば玉の夜を深ければやすらかに花はひらくも手に触りかねつ
すいれんの瑞若花をともしめど吾が心さびしくへだたれるかも
池のべの青葉の雫かそかなるひびきともしも明けちかからし
ふく風にさざ波ゆるれば浮き匂ふ花もさゆらぐともしさ夜風

明治四十四年「白帆」
ここに来てふるさとちかし秋晴の稲田の上に青海せまれる
東の海ひかる白帆にただに会(あ)ひて幼(をさ)な吾が影おもほゆるかも
青海の海境(うなさか)遠くひかるもの船のしら帆と知りにき吾れは
青海を光る白帆をあやしみて日まねくも吾(あ)は岡にのぼりし
あのころの吾れをしぬべばおのづから涙ぐましも光る白帆を
妹が家のうしろに高き柿の木にあがれば遠く青海見えし
かぎろひの夕日うしろに暮るる海のかげ暗しもよ辺波沖波
目の前をいま行きすぐる船の帆の暗く寂しく日は暮れにけり

明治四十四年「雑歌」
冬日和野の墓原の赤土の湿りともしみわがたもとほる
石ひくくならべる墓に冬日てりひとつひとつ親しく思ほゆ
朝日てるひんがしの野をわが来れば春の満ち潮道にあふるる
春の雪日にしづれつつ竹河岸の竹のみどりの濡れ光り見ゆ
雨あがり春あたたかき朝の大路ぬかれる泥の日に光るかな
道を行く影もかなしくひと日ひと日うなゐ離れの目に立ちにけり
さみだれの雨ふる街のぬかるみをずぶ濡れにつついづこへ行かむ
日にひかり木々の青葉のゆるる野のはたての空よむらわく白雲
日の光あみて帰りつ室ぬちにこもるしめりをともしみにけり
わが弟(おと)もわれが如くにふる里をつひに出できつ父ははをおきて
われらあらぬ広きふる家を守りいます父ははあはれわれらあらぬを

明治四十五年(大正元年)「けむり」
霜晴のあさあけのひかり窓ふかくへやの障子に白く顫へり
朝冴えのあかるき室に目さめつつ青き畳をともしみにけり
郊外にひと夜ねむりて帰りつつひえびえと露の草ふみにけり
靄晴れて朝日かがよふ高き木にちり残る葉のしづかに揺れ居り
小春日の林を入れば落葉焚くにほひ沁みくもけむりは見えず
落葉して深くあかるきこの山び雉子は来つつ砂浴ぶらしも
ものなべて忘れしごとき小春日の光のなかに息づきにけり
ほろびゆく草木さながらあたたかき秋の光にかがやけるかな
夕暮の街にただよふ物の音をききわけにつつかなしみわくも
ともし火のかがよふ夜(よる)のまぼろしに吾(あ)をあざむきてありがてなくに
明日は明日は別れなむとぞ思ひつつ夜々を疲れてねむり入るかも

明治四十五年「春寒」
その夫(つま)をまこと別れたるか彼の森の家に帰りひとりにて居るか
ゆくりなく吾が胸いたし今にして別れたるらし子どももなくて
子をいだく白き胸乳(むねぢ)の母ぶりを思ひうかべつわれはありしか
山茶花の葉かげの花よわれゆゑにあるいは人の別れけらずや
わがもとにただに馳せきて嘆くかにかなしき面わ見えつつもとな
うつし世に命まさきくありこせとひそかにわれは思ひてありしか
逢ふべくはありもあらずもまがなしき人は独りとなりにけらしも
まがなしき人のたよりをきけるかもこの夕空の白梅の花

明治四十五年(大正元年)「南の山」
あたたかに焼野の土をもたげゐるさわらびの芽のなつかしきかも
さわらびはいまだのびねば箆もちて土ふかく掘る山のやけ野に
うすじめりかわきゆく野にわらび芽ぐむ土のふくれのわれつつ小さく
草萌えてあかるき山の石の上にわれも休めり妹もやすめり
足袋につき焼野の土の灰白(はひじろ)にかわきゆくころのうらがなしかり

明治四十五年(大正元年)「梅雨晴」
梅雨雲(つゆぐも)は空にみちうごき濁り水あふれながるる岸辺にわが立つ
にごり河の岸の小笹に押しならびつばくらの子は鳴きて居にけり
葛の蔓ふとぶと延びて若笹にまとはりつくをほどきても見る
朝晴の濡れたる土にわがかげの映り行くをばかへり見にけり
わが足音(あおと)うれしみ行けば若葉かげをおとめの歩む音のきこゆも

明治四十五年(大正元年)「夕立の前」
古倉(ふるくら)の壁のくづれに日のひかり白く燃えつつ動くものもなし
汗ばみて畳にのべしわが足に蜻蛉がひとつ来てをとまれる
とんぼうのうすき羽おさへもづもづと動かす足をつつきて居たり
門さきの椎の大木のかげ暗く日かげうすれて雲あちわたる
空くらく雲たちぬればあはれなる池の緋鯉はあらはれにけり
ごうとして風落ちきたりゆすぶれば椎の大樹のゑらぎどよめる
緋鯉浮く池のおもてにしろがねの雨いち早く落ちて来にけり
吹く風に葉裏ゆするる椎のかげのますます暗くなりてくるかも

明治四十五年(大正元年)「晩夏」
街の上にうすき埃(ほこり)のにほひ立ちて明けはなれゆく今日のかなしさ
汗あえて起きいでぬれば朝ながら赤くあざれし日のすさまじき
湯気(ゆげ)い吹く飯(いひ)の匂ひもいとはしくいのちに倦みぬ夏かたまけて
街の上のゆゆしきひかり刺(とげ)のごと身ぬちにいたしへやに居れども
あまづたふま日に倦みたる向日葵のけおもきいのちいづべに向かむ

明治四十五年(大正元年)「富士行」
夏の夜の夜のふかき街を立ち出づるわが旅姿なつかしきかな
宵ふけし銀座どほりの灯(ひ)のかげを蓑笠つけてあゆみゆくかな
冷えびえとさ霧しみふる停車場にわが下り立ちぬ暁(あけ)は遠かり
町離れいまだ夜ぶかき裾野べの濃霧(のうむ)のなかに入りて行くかも
提灯(ちょうちん)の小さきあかりにしみみ降る霧の匂ひも身をそそりつつ
裾野べのこのしののめの水ぐるまことりことりとめぐりてゐるも
焦砂(やけすな)にそぼそぼとしてさ霧ふり裾野の夜らはいまだ明けずも
ともし火を消してあゆめば明け近み白く大きく霧うごく見ゆ
裾野べのやけ砂みちの蕗の葉の青きひろ葉に暁(あけ)の霧ふる
霧はるる木立のうへにうす藍の富士は大きく夜はあけにけり

明治四十五年(大正元年)「富士行」(二)
山頂にたなびく雲のひとひらは垂氷(たるひ)のごとくかかりてあるかも
富士の峯を離りしさ霧片よりに大戸をなしてそばだてりけり
太陽はすでにたかけれ灰ぐろく片よれる霧のうごかざるかも
焦砂にしとどまぶれしわが足に照りつくる日の痛くしもよし

明治四十五年(大正元年)「富士行」(三)
宵ふかみ外(と)をうかがへばしらしらと静かに雨の降りゐたりけり
窓ちかき富士のたか嶺は直肌(ひたはだ)にこの夜の雨に濡れ立てるらし
富士が嶺を深くつつめる雨雲ゆ雨はふるらしこの夜しづかに
山上はしづかならむと雨ながらのぼりゆくかもこのあさあけを
から松の若葉のみどり露ひかり行手あかるく雨はれんとす
なめらけき赤松の幹の吐く息のしづかに胸につたひくるかな
匂はしく赤松立てりこの朝の登山のこころなごみ来らしも
馬の上にわが見はるかす裾野原靄は晴れつつ朝日ながらふ
雨晴れし青草原にあさ日てり友が蓑笠の白く目に沁む
まつはれる雲切れゆきて山頂の輪郭(りんくわく)くろく見えにけるかも
ないそぎそお山は静かなりといふ下山の人の言のしたしも
むらさきの夕かげふかき富士が嶺の直山膚(ひたやまはだ)をわがのぼり居り
七合目の室(むろ)のあかりを見すごしてなほのぼり行く暮れたる富士を
あかときの星のかがやきてくろぐろと富士のいただき目の上に見ゆ

明治四十五年(大正元年)「奈良」
法隆寺出でて
わが国の遠(とほ)つみ祖(おや)の生きの光りいまおごそかにうつつなきかも
斑鳩(いかるが)のみ寺をろがみ吾がいのちまことしづかに匂ふなりけり
み寺出でてあな尊(たふ)と吾が眼にあかあかと静かに燃ゆる焔(ほのほ)こそ見けれ
あかあかと焔燃え居り遠つ祖の生きの焔のじつと燃え居り
いかるがの真昼あかるく焔(ほのほ)澄(す)みいのちひとすぢに燃えたてりけり

明治四十五年(大正元年)「岡の上」
杉山の杉の穂ぬれのやはらかに青空の光りそそぐなりけり
青空の奥へつづける杉林木ぬれかすかにけぶり澱(よど)める
八千矛の若杉の穂のいちやうにみ空の青になごみ匂へる
ひとつびとつの命こそ溶(と)くれ杉林遠くまどかに日の光り満つ
あざやかに光り湛へる林の上いのち弾(はじ)かれて鳥舞へりけり

大正二年「一夜」
ひさびさにわが帰りきてふる里の秋のあらしに遭ひにけるかも
あらしに揺るる大き古家に宵早く酔ひて眠れる父のかなしさ
夜の空のうすらに赤きあらしのなかこの古家の揺れやまずけり
あらしの夜をこの大き家に親と子とはなればなれに早く寝にけり
かくのごとあらし吹く夜はひたぶるに父によりそひいねにけるかも
あらしどよもすこのふる里の夜の床に白きただむきわが思はめや
うちどよむあらしの底にこほろぎは鳴きてありけりとぎれとぎれに
この夜らをなくやこほろぎはつ恋の年うへの子のかなしかるかな
やや間遠くなれる嵐に外(と)に立てば今入りがたの月の色赤し
ひとりの心堪へがたし月赤く悩みながらに落ちてゆくなり
入りがたの月のひかりに壁の色ほのかに赤くこほろぎ鳴くも

大正二年「一夜」「雪」
街の灯の照りそめぬればいちじろく屋根には雪のつもりたり見ゆ
このゆふべ雪ふる街のともし火のみづみづとしてありがてなくに
逢はなくて今はひさしきかなし子をこの夜の雪におもほゆるかも
今宵はやしづかに雪のつもるらむ逢ひぬれば心やすけかるかな
雪の夜のこのひそか家(や)の怖ぢごころあやになつかし雪はつもらな

次のページへ >




-アララギ
-

error: Content is protected !!