文学 斎藤茂吉

24日河童忌にちなみ斎藤茂吉の芥川龍之介を詠んだ短歌

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こんにちは、まるです。

今日7月24日は芥川龍之介の亡くなった日です。芥川晩年の小説「河童」にちなんで、河童忌と呼ばれています。

歌人の斎藤茂吉は、芥川の診察をした精神科の医師としても関わりもあり、芥川龍之介を詠んだ短歌があります。茂吉の芥川の挽歌をご紹介します。

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芥川龍之介の夏の俳句 兎も片耳垂るる大暑かな

何しろ今年は暑い夏で、芥川龍之介にも炎暑を詠った俳句があります。

兎(のうさぎ)も片耳垂るる大暑かな
松かげに鶏はらばへる暑さかな

暑いときのウサギがどうなのかはわからないが、おもしろいです。
また、動物は日陰の地面が冷たいのが心地良いらしく、犬猫がよくこういう格好をするのを見かけます。

自殺の理由は「ぼんやりした不安」

大暑は暦の上では、昨日23日でした。

「あまりに暑いので、腹を立てて死んだのだろうと私は考えた」と、友人で、同じく夏目漱石門下であった内田百閒が自殺の原因について書いています。

しかし、芥川は「ぼんやりした不安」と述べたように、それ以前から、他の医師と、また精神科医である茂吉の診察を受けていました。

斎藤茂吉が診察

亡くなる1,2年前まで何回か診察をしていた関係で、主治医ではなかったものの、芥川の自殺には、茂吉は大変ショックを受けたようです。
また、茂吉の処方していた睡眠薬を飲んで死んだとも伝えられており、二重の心労ともなったことでしょう。

芥川龍之介を詠んだ斎藤茂吉の挽歌

歌集『ともしび』には、芥川の号である「澄江堂の主をとむらふ」として、

夜ふけてねむり死なむとせし君の心はつひに氷のごとし
壁(かべ)に来て草かげろふはすがり居(を)り透きとほりたる羽(はね)のかなしさ 
(童馬山房折々 昭和2年)

そして7回忌の折にも、同じ蜉蝣のモチーフを用いて、

宵やみよりくさかげろふの飛ぶみればすでにひそけき君ししぬばゆ   『白桃』(昭和8年)

と詠んでいます。

芥川龍之介の茂吉評

一方、芥川龍之介の茂吉の評価はというと、ひじょうに大きな感銘と影響を受けたことが伝えられています。

そして次のように最大限の賛辞を送っています。

僕は高等学校の生徒だつた頃に偶然「赤光」の初版を読んだ。「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。爾来僕は茂吉と共におたまじやくしの命を愛し、浅茅の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。(中略)
僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になつたのでもない。斎藤茂吉にあけて貰つたのである。もう今では十数年以前、戸山の原に近い借家の二階に「赤光」の一巻を読まなかつたとすれば、僕は未だに耳木兎みみづくのやうに、大いなる詩歌の日の光をかい間見ることさへ出来なかつたであらう。

正岡子規とのかかわり

なお、正岡子規についても、芥川は『侏儒(しゅじゅ)の言葉』の中で、下の歌を引用しています。

明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。

真砂まさごなす数なき星のその中に吾われに向ひて光る星あり

関連記事:真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり~正岡子規

芥川全集の装丁の思い出

今は取り壊されてしまった実家に父の所有していた芥川龍之介全集がありました。
父が若い頃に買ったかなり古い本で、装丁は青い布張りだったことを覚えています。

その布は、前週の装丁に使ったものが余ったので、芥川が自宅の床に絨毯のように敷いて使っていたということを、坂口安吾が書いていました。

青い布が敷き詰められたその部屋で、芥川は、夏、自らの生に終止符を打ってしまったのでした。

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