朝日歌壇 短歌

「誰に向けてうたうのか」短歌のポピュラリティー 大辻隆弘 朝日短歌時評

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朝日新聞の9月24日号の短歌時評で大辻隆弘さんの「誰に向けてうたうのか」。
内容は、短歌を読ませたいとする対象についてのお話しでした。

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誰に向けて短歌を書くのか

内容は次のような問題提起から始まります。

歌を作る人間なら誰もが、自分の歌を他人に読んで欲しいと思う。それは自然な願望だ。が、その他人とは誰なのか。私はいったい誰に向けて歌を書くのか。

月刊誌「短歌」七月号・八月号に「短歌とポピュラリティ」という特集があり、「短歌は大衆的な人気を求めるべきか否か」について、各歌人が意見を述べたというのことです。

「読者一人一人の心の必然性によって得られたポピュラリティであれば、理想的」(東直子)というのはうなづけますが、「短歌を公にするに当たって歌人は、ポピュラリティを求めるべきではない」(石井辰彦)という意見もあったそうです。

本誌を読んでいないので詳しくはわかりませんが、私としてはこの意見も若干わかるような気がします。

結社と歌壇の弱まり

また大辻さんは言います。

今、「自分の歌の読者は誰か」ということが見えにくくなっているのだろう。結社と歌壇の権威が強かった時代には話は簡単だった。そこに所属する歌人は、短歌の味わいを深く理解してくれる少数の人間の眼(め)を信じて歌を書けばよかった。少数でもいい。信頼できる具眼の読者がかならず存在する。そう信じることができた。

ああ、なるほどそうなのだろうな、と思います。

しかし、上の文は過去形であり、それは「いまや人々は、そのような少数の読者を信じられなくなってきているのだろう」と帰結するのです。

これはなぜなのでしょうね。

続けて、大辻さんは 少数の読者の目を信じられなくなってきた結果、歌を詠む人たちが、「多くの人に読んでもらえた」ということに自分の歌の価値を見出しがちになっていると指摘しています。

この文章の最後は

歌人たちがポピュラリティに誘惑を感じる背景には、批評不在の状況に対する漠然とした不安がある。が、もし多くの読者を獲得することだけが歌作の最重要課題となるなら、少し寒々しい。

と結ばれています。

確たる問題提起というよりは、歌というものの現在の方向を指し示すような文章です。

 

歌を志す人たちが求める「ポピュラリティ」

以下は「歌人のポピュラリティ」ともちょっと違う人たちの話になりますが。

結社については、古くからある結社については、以前から高齢化と会員の減少が言われているようです。

おそらく、年を経るごとに、結社も存続が難しくなるでしょう。

また、年若く歌を志す人たちは、たとえ結社が存続しようとも、スタイルの違いもあって、70代、80代が構成員の多くを占めるような従来の結社には入り難いだろうなとも思います。

そうなると、ネットや新聞への投稿などが主となり、結社で指導を受けるというような機会はないわけですから、独学でどのような短歌が良いのかを探っていくということになりますね。

その時に、一体どのような短歌が良いのかを探る上での指標となるものは、投稿で採用された短歌、それからネット上で、「いいね」などの反応があった短歌ということになるのではないでしょうか。

これは、誰に向けて書く、とか、書いた歌を認められたいと言ったこと以前の、試行錯誤の段階に起こっていることのように思われます。

歌人の求めるポピュラリティとは違うと思いますが、ネットは手軽な学習の場でもあり、ある種のポピュラリティを通して、方向を探る場でもあるのでしょう。

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