朝日歌壇

朝日歌壇10月28日号 南瓜遊戯(ハロウィン)の造語 築地への愛惜 「竜頭」とは

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こんにちは。まる @marutankaです。
朝日新聞の朝日歌壇から好きな歌を筆写して感想を書いています。朝日歌壇は朝刊日曜日に掲載。この記事は10月28日の掲載分です。

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朝日歌壇とは

朝日歌壇についての説明です。
「朝日歌壇」とは朝日新聞朝刊の短歌投稿欄です。俳句は「朝日俳壇」です。
新聞の短歌投稿欄は、どの新聞においても、誰でも自由に投稿できます。投稿方法の詳しいことは別記事
「朝日歌壇」とは何か?朝日歌壇の紹介と他の新聞の短歌投稿方法と応募の宛先住所」
をご覧ください。

<馬場あき子選>

なにげないふりして息子がやってくる老々介護のパトロールらしい(横浜市)杉本恭子

今までの投稿歌にもあったが、こちらは「なにげないふりして」に違いがあり、つまりそれは息子さんの思いやりであって、それがこの歌の主題になる。結句において「らしい」と非言語レベルで伝わるところが身内らしい。さらに「老老介護」で、作者の配偶者に介護が必要だということがわかるが、息子さんは作者が難儀していないか、何か手伝うことがあったらと思ってやってくるのだろう。
さらに思いを巡らすと、「もし必要なら」が前提なのだが、この「もし」というところは、身内にしかない。介護サービスの人なら、呼べばやってくるし、社会的な関わりはもっと言語的だ。読む人は「察する」は身内にしかないことにあらためて気がつくだろう。

蓄への原点見るごと樹の洞にリスの運びし栗・山胡桃(やまぐるみ)あり(岩手県)山内義廣

木の洞の中をふと覗いてみると、栗鼠の集めたさまざまな冬越の食べ物が見える。「原点」とは、つまり、人々も同じように暮らしているということなのだ。作者は岩手の方なので、冬は同様の備えが必要なのかもしれない。

<佐佐木幸綱選>

二階家が壊され更地拡がりてニュータウンにも老年期来る(埼玉県)島村久夫

平屋ではなくて二階家ということは、更地にしたときの眺めのギャップが大きいということか。地方の人口減少は日本各地のこれからの問題で、壮年期に買った団地は、ライフサイクルの経過によって、団地も一緒に「老年期」を迎える。更地ならまだいいが、空き家問題が世間をにぎわせ始めている。

停電の嵐の夜長を男らは蝋燭(ろうそく)ともしゆらゆらと飲む(鈴鹿市)森谷佳子

手持無沙汰であれば、酒を飲むしかないのだろう。「ゆらゆらと」は本来ろうそくの炎を表す形容詞だろうが、「飲む」にかかるかのように置く。斎藤茂吉の「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の「しんしんと」なども、どちらにかかるかが議論されている。詩であれば、曖昧でもよいのかもしれない。

九つの核保有国言えぬくせ反対かよと子は吾を見ず(高松市)一宮佳

核はとにかく反対だ、しかし、持っている国がどことどこかも言えないではないか、とお子さんが反駁して、他所を向く。しかし、とにかく反対なのだ。

夕暮れの稲殻煙る秋の田に白鷺一羽首伸ばし立つ(川越市)平井正一

こういう歌は主張のある歌に並ぶと、印象が弱くなるが、こういう景色は捨てがたい。

筬(おさ)の音もう聞こえない秋の部屋妻の遺した手織りの機(はた)よ(神戸市)加古裕計

パタンパタンと長い時間鳴っていた機織り機の音はもう聞こえることはない。人が亡くなるのはあらためて切ないものだ。

節を曲げ基地に勤めし我が父母は寂しく笑う遺影を残す(下妻市)宗像四郎

基地では働かないと言っていたご両親だが、そこに努めることになった。そのせいではないと思うが、作者はご両親自身も感じていただろう基地への複雑な思いを受け継ごうとする。

<高野公彦選>

昔ならば由良(ゆら)の岸べでダボハゼと遊んだものを杖が離せぬ(吹田市)谷村修三

老いた多くの人にある感慨なのだろう。それだけ長く生きていることを前向きにとらえたい。

人の名を忘れ易くてコスモスさんイトトンボさんとひそかに呼べり(三鷹市)柴田典子

ユーモラスで思わず笑ってしまう。有名人なら「ほら、あのテレビに出ていたxxの人」とか言えるのだが、身近な知人だと見た目や印象に即した漠然としたあだ名になるのが面白い。

住所録捨てアルバムを捨てて今己れのほかに捨つるものなし(福岡市)杉野順子

いやいや、まだ早いのでは、と言いたい。どうも最近は終活や断捨離というものが流行っていて、積極的に捨てることが美徳となっているようだ。
物への執着を捨てようなどと一種の哲学か宗教家というレベルになってしまったようだ。

薄紙を捲(めく)れぬ時が遂に来て指を舐(な)めるか 舐めざるべきか(横浜市)毛涯明子

ううむ、これも思わず共感してしまう。めくれないというのは、どうも掌の脂分が足りなくなったらしく、要するにそれも加齢が原因のようだ。物に拠っては指サックを使うなどもおすすめしたいが、とっさの場合は、やはり舐めた方が早いか。

場内で食べた中トロ丼(どん)の味最高でしたさよなら築地(本庄市)福島光良

「中トロ」が庶民的で良い。行ったことはないが、愛着のある人も多いだろう。築地関連の歌は他に「パリの空エッフェル塔のかゞやきて「築地」うしなふ東京の秋(羽曳野市)元橋明司」がある。

月見なる優雅な行事は忘れられ南瓜遊戯(ハロウィン)てふ徒爾(とじ)の流行(はや)る世(新座市)菊地良治

徒爾とは何かと思ったら「無益であること。また、そのさま。むだ」とのこと。「南瓜遊戯」の造語が素晴らしい。当歌壇で初めてこのような造語を見た。「てふ」は「という」の意味。

<永田和宏選>

さよならも言わず逝ったと父責めた母も静かに黙して逝きぬ(東京都)三宅康子

 ニュアンスは違うが「おいとまいただきますと戸をしめて出てゆくやうにいかぬなり生は」(斎藤史)を思い出す。いつ死ぬかということは、自分でもわからない。看取りというのは、看取る方のみの能動的な行為なのだろう。

何と無し時計の竜頭(りゅうず)われは巻き妻の緊急入院を待つ(浜松市)松井惠

「竜頭」は腕時計・懐中時計の、ねじを巻くためのつまみのことだそうだ。今の時計は、ねじを巻く必要はなく、呼び名と共に忘れ去られたものとなったのだろう。しかし、不安な時に「それ」はある。その不安によって存在感の付加された時は「ねじ」より「竜頭」が断然良い。

東京は坂ばかりなりことごとく上りも坂なり下りも坂なり(松山市)宇和上正

作者は松山の方なので上京した際にそう思われたのだろう。平らな街からすると、東京のようなところがむしろ起伏が多いという意外性。自分の基準からするといろいろな感じ方があるものだ。タレントのタモリが、東京の坂を集めた本を出しているが、今は不動産の広告を見ても「平坦地」とわざわざ説明されているくらいで、高齢化社会には大切なポイントとなっている。

まとめ

昨日は鎌倉に寺巡りに行っておりまして帰宅がやや遅くなったため、昨夜簡単に選んでおこうと思ったのですが、やはりたくさんになってしまいました。今号も楽しく読ませていただきました。ではまた来週を楽しみに。

 

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