茂吉秀歌

『あらたま』斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説「茂吉秀歌」より

投稿日:

斎藤茂吉の短歌に一首ずつ、佐藤佐太郎が表現技法を解説、鑑賞のポイントを書き加えたものをまとめました。

このページには、斎藤茂吉の歌集「あらたま」の秀歌とその解説を掲載しています。

鑑賞の際に参考になさってください。

スポンサーリンク



『茂吉秀歌』「あらたま」

目次

佐藤佐太郎の『茂吉秀歌』から、歌集『あらたま』の斎藤茂吉の秀歌の解説のです。

このページは、佐藤佐太郎の解説、斎藤茂吉の「赤光」各秀歌のポイントのみをまとめています。

初心者向けには、一首ずつの解説の方にさらに詳しく、現代語訳付き、語の注解入りで解説しています。

こちらに記した佐太郎の鑑賞文も併記しましたので、まずはそちらからご覧ください。

28あかあかと「あらたま」

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

強烈に日に照らされて、行く手に見える一本の道は、自分の行くべき道であり、自分の生命そのものであるという、強い断定が一首の力である。

瞬間に燃えたつような感動をたくましく定着した点に注目すべき歌である。一首は荒々しく直線的に、単純で力強い。

この歌について詳しく
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり 『あらたま』斎藤茂吉短歌代表作

29この夜は「あらたま」

この夜は鳥獣魚介(てうじうぎょかい)もしづかなれ未練もちてか行きかく行くわれも

「鳥獣魚介」は鳥類獣類魚類貝類で、やがて森羅万象と意におちつく。「しづかなれ」の「なれ」は、命令、希求である。「か行きかく行く」はあちらに行きこちらに行き、つまり彷徨である。

事件的背景というものがないのは、「赤光」の境地と違うところで、それだけ純一で深くなっていると言っていいだろう。

「鳥獣魚介(てうじうぎょかい)もしづかなれ」という句など、宗教的といってよいほどしずかに沁み徹る語気である。

この歌について詳しく
この夜は鳥獣魚介もしづかなれ未練もちてか行きかく行くわれも「あらたま」斎藤茂吉

 

30草づたふ「あらたま」

草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

「われのいのちを死なしむなゆめ」は作者のいう通り、蛍に呼びかけた言葉であるが、蛍をも作者をもこめて、第三の絶対者に向かった言葉としてひびいいている。

直感的に単純であるべき抒情詩だからこういう飛躍と省略がまたあるので、意味合いの合理性のみをもとめるとしたら、こういう歌は作れないし、また味わうこともできないだろう。

ここに流れている、無限の哀韻だけを受け取るへきである。

この歌について詳しく
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ 斎藤茂吉「あらたま」

 

31「あらたま」さんごじゅの

珊瑚樹の大樹(だいじゆ)のうへを行(ゆ)く鴉南なぎさに低くなりつも

つやつやと葉のかがやいている珊瑚樹の上を越えて鴉が飛んでゆくところ、それが海の渚の方に向かって低く遠ざかるところである。

自然の風景にはこういう計らいのない単純さの中に言うに言われない味わいのあるのを諦視した歌である。

「大樹のうへをゆく鴉」が特にさわやかで、輝く緑の上に黒い鳥を配した感覚が新しくもあり、自然の香気を見ている。

声調ものびのびとして雑音がなく、安らかでいい。

 

32「あらたま」かうかうと

かうかうと西吹きあげて海雀あなたふと空に澄みゐて飛ばず

「かうかうと」は「しんしんと」などと同じく、この作者が「発見」して頻用した副詞だが、ここでは最も適切にもちいられている。

「西吹きあげて」は、海から陸に向かって吹く西風で、「て」で小休止し、省略がある。「あなたふと」は芭蕉の影響もあるかもしれないが、動かすべからざる主観語として使用されている。

しかも「海雀・空に澄みゐて飛ばず」の間に入って、一種迫った、甘滑でない語気を形成している。

類歌:
あかねさす昼の光の尊くておたまじゃくしは生れやまずけり
われ起きてあはれといひぬとどろける疾風のなかに蝉は鳴かざり
日のもとの入り江音なし息づくと見れど音こそなかりけるかも
いちめんにふくらみ円き粟畑を潮ふきあげし疾(はや)かぜとほる
入日には金のまさごの揺られくる小磯の波に足をぬらす
旅を来てかすかに心の澄むものは一樹(いちじゅ)のかげの蒟蒻ぐさのたま

*この歌について詳しく
かうかうと西吹きあげて海雀あなたふと空に澄みゐて飛ばず「あらたま」現代語訳付

 

33「あらたま」ゆふされば

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

実質は「大根の葉」と「時雨」とだけで、それを単純に直線的にいいくだしている。

大根はどういうところにあるかということもいわず、「ゆふされば」からすぐ、「大根の葉に」と続け、さらに「ふる時雨」ととつづけたのが、鮮やかで強い表現である。

それから「寂し」というのに「いたく寂しく」と感傷をためらわずに表白したのがやはり強い表現である。

*この歌について詳しく
ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも「あらたま」現代語訳

 

34「あらたま」ひさかたの

ひさかたのしぐれふりくる空さびし土に下りたちて鴉は啼くも

雲が低く垂れて時雨の降っている空が寂しいというので、その空と「土に下りたちて鴉は啼く」とが不即不離にひびき合っている。

「寂し」は直接には「空」に連続しているが、気持ちとしては下句にかかっている。全体として寂莫とした空間の底をのぞいたような歌である。

「土に下りたちて・啼く」という直感が厚くて深い。芭蕉の「枯れ枝に鳥のとまりけり秋の暮」などを想起すれば、この新しさがわかるだろう。

*この歌について詳しく
ひさかたのしぐれふりくる空さびし土に下りたちて鴉は啼くも「あらたま」現代語訳

 

35「あらたま」真夏日の

真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも

浅茅の生えている原に夏の日光がさんさんとふりそそいでいる。おしつけるような光の下に物音もなく静まりかえっているが、気がつけば微かに葉のそよぐ音が聞こえる。

瞬間がそのまま永遠につながるような、しいんとした気配を表現している。

(中略)情景は自ずから現実の深さを象徴しているが、これは空想に寄って、予定された構図によってできた歌ではない。

物を見える目が敬虔に透徹しているために見えたものである、作者のいう「写生」の究極のひとつがここにある。

*この歌について詳しく
真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも「あらたま」現代語訳

 

36「あらたま」まかがよふ

まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる日の澄み透るまのいろの寂しさ

焚火の色彩に重点を置いて「いろの寂しさ」といっている。現れているところは「澄み透る」炎の色であって、昼の強い日光の差している海の渚にその炎が経っているのが象徴的である。

現実の炎の色を「寂しさ」として受け取ったのがひとつの発見である。「まかがよふ」の「ま」は接頭語であって、「耀ふ」という意味である。

それから、海ということをいわないで「昼の渚」とだけいって、そして結句を「寂しさ」と名詞で止めている。

直線的で重厚な声調である。このあたりの作者の志向というものがうかがえるだろう。

*この歌について詳しく
まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の澄み透るまのいろの寂しさ「あらたま」

 

37「あらたま」ものの行

ものの行(ゆき)とどまらめやも山峡(やまかひ)の杉のたいぼくの寒さのひびき

突然のように主観を投げ出して「とどまらめやも」と強く上句を切って、さて下句を複合した名詞のように、実語(名詞)を「の」で連ねて、「ひびき」と名詞で止めた一首の形態が森厳重厚である。

参考:「万物流転を『ものの行』と大和言葉流にくだいたのはその当時なかなか苦心したところであった。」(茂吉)

*この歌について詳しく
ものの行とどまらめやも山峡の杉のたいぼくの寒さのひびき「あらたま」

 

38「あらたま」ここに来て

ここに来て心いたいたしまなかひに迫れる山に雪つもる見ゆ

「ここに来て」「まなかひに迫れる山」という具体的で確かな要素があるために、「雪積もる」山の「いたいたし」さが受け取れるのだが、「心いたいたし」という主観は抜き差しのならない確かさである。

主観的な言葉で現実の意味を規定したのは「ものの行とどまらめやも」などと同じで、こういう表現はこの作者の傾向であり力量である。

*この歌について詳しく
ここに来てこころいたいたしまなかひに迫れる山に雪つもる見ゆ「祖母」『あらたま』

 

39「あらたま」あしびきの

あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも

上句と下句は一種の配合のようにも受け取れるが、これは配合というよりも、省略があるので、「山こがらしの行く寒さ」の中に、鴉のこえも混じっている。

それにしても上句でこがらしをいって、突如として、「鴉のこゑは」とおこし、「いよよ遠しも」と結ぶというのは常識を越えた手際である。

*この歌について詳しく
あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも「祖母」『あらたま』

 

40「あらたま」はざまなる

はざまなる杉の大樹の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず

(前略)「こがらし」を主格にして「ゆふこがらしは葉おとしやまず」といったのだろうが、読む方にもその感動は伝わってくる。

状景がなにか奥深く厳しいが、その感銘は特に「葉おとしやまず」という文句にあるように思われる。

風のために連続している動きが何か象徴的である。

*この歌について詳しく
はざまなる杉の大樹の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず『あらたま』現代語訳と解説

 

41「あらたま」街かげの

街かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり

「原にこほれる夜の雪」と「咳ひびきけり」との関連において、生活のつつましさ、寂しさが感じられる。

結句の「けり」が淡々としていていい。

*この歌について詳しく
街かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり『あらたま

 

42「あらたま」小野の土に

小野の土にかぎろひ立てり真日あかく天(あま)づたふこそ寂しかりけれ

「小野の土に」といったのは、冬で土があらわに見えているのであろう。静かに晴れた日で土から冬の陽炎が立っているのが寂しいというのである。

そういう虚しさの中に陽炎だけがかすかに動いている状景は、「真日あかく天づたふこそ寂しかりけれ」という下句によって暗示されているだろう。

*この歌について詳しく
小野の土にかぎろひ立てり真日あかく天づたふこそ寂しかりけれ『あらたま』

 

43「あらたま」うつつなる

うつつなるほろびの迅(はや)さひとたびは目ざめし鶏(かけ)もねむりたるらむ

暁のまだ暗いのに、鶏はひとしきりときを作って啼くが、またひっそりしてしまう。

鶏は健康な習性によってまたしばらく眠るのであるが、そのことから「ほろびの迅さ」を感じているのが変に深刻である。

(中略)抒情詩としての短歌は、直感が深く徹底すれば自ずから思想的になるのである。

*この歌について詳しく
うつつなるほろびの迅さひとたびは目ざめし鷄もねむりたるらむ『あらたま

 

44「あらたま」汗出でて

汗いでてなほ目ざめゐる夜は暗しうつつは深し蠅の飛ぶおと

「うつつは深しにニイチエは“Die Welt ist tief."と謂へり」という註がある。ニイチエのこの言葉は「世界は深し」と訳されているが、作者は自らの感覚を通して「うつつ(現実)は深し」という観相を所有していたのである。

そして「夜は暗しうつつは深しと重ねていうことによって、なまなまとした現実感がただよっている。

暗黒の中を目の見えない蠅が飛ぶ、その音を契機として息苦しいような現実の深さを感じているのである。

 

45「あらたま」 卓の下に

卓の下に蚊遣の香を焚きながら人ねむらせむ処方書きたり

「卓の下に」が新しくもあり確かでもある。それから「人ねむらせむ」に感傷がある。

「書きたり」という淡々とした結句にこの頃の傾向が見える。精神病医としての生活の断面であるが、言葉が安らかでおのずからなる哀韻がある。

*この歌について詳しく
卓の下に蚊遣の香を焚きながら人ねむらせむ処方書きたり「あらたま」

 

46「あらたま」電燈の

電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ

「電燈の光とどかぬ宵やみ」の向うから蛾が飛んできたという感受には今まで人の見なかった新しさがある。

この時期に到達した作者の眼があるわけだが、その眼を感じさせないほど言葉が自然にのびのびとつづけられている。

*この歌について詳しく
電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ 斎藤茂吉「あらたま」

 

47「あらたま」しづかなる午後

しづかなる午後の日ざかりを行(ゆ)きし牛坂のなかばを今しあゆめる

晩夏の白昼の息をひそめたような気配を「しづかなる午後の日ざかり」といったのが簡潔でいい。

「日ざかり」という俗語の使用も的確だし「を」という助詞の使用も自然である。ありのままで不思議に静かな歌である。

*この歌について詳しく
しづかなる午後の日ざかりを行きし牛坂のなかばを今しあゆめる「あらたま」

 

48「あらたま」しづかなる砂地

しづかなる砂地(すなぢ)あはれめりひたぶるに大き石むれてあらき川原に

箱根漫吟五十七首の内の一首。

他に
やまみづのたぎつ狭間に光さし大き石ただにむらがり居れり
石の間に砂をゆるがし湧く水の清しきかなや我は見つるに
かみな月十日山べを行きしかば虹あらはれぬ山の峡(かひ)より
暗谷の流のうえを尋(と)めしかばあはれひとところ谷の明るさ

*この歌について詳しく
しづかなる砂地あはれめりひたぶるに大き石むれてあらき川原に 『あらたま』

49「あらたま」しづかなる

しづかなる港のいろや朝飯(あさいひ)の白く息たつを食いつつおもふ

「港一帯とそれを囲む低山の一部とを見渡すことができる。船舶が数々泊てて、いかにももの静かで美しい風光である」(「作歌四十年」)

短歌は単純を要求するから、入海になっていて水の静かなことだけをいった上句が簡潔でいい。

*この歌について詳しく
しづかなる港のいろや朝飯の白くいき立つを食ひつつおもふ 『あらたま』

 

50「あらたま」朝あけて

朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝みよろふ山

「こだまはながし」と、四句で切れるから、「並みよろふ山」が重厚に安定している。

そして反響が長いということの条件して「並みよろふ山」があるのだが、 その関係を不即不離に、ただある状態としていった表現が堂々としている。

*この歌について詳しく
朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝みよろふ山 『あらたま』

『あらたま』の解説はここで終了です。

あらたま以降の歌集に続きます。





tankakanren

-茂吉秀歌

error: Content is protected !!

Copyright© 短歌のこと , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.