新型コロナの短歌、短歌を詠まれる方は、どのような内容を歌にしているのでしょうか。
朝日歌壇にはコロナ禍と、その影響下の生活の情景を詠んだ短歌がたくさん投稿されています。
5月31日の朝日新聞の投稿歌より、コロナの短歌をご紹介します。
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コロナ禍を詠む短歌
日本だけでなく人類の危機をもたらす新型コロナ、この危機を短歌で分かち合おうとして、朝日歌壇の投稿にもコロナウイルスとその影響下にある生活の様子を題材にした短歌が投稿されています。
コロナの脅威にもめげず、また、生活の制限される悲しみをも、歌に詠もうとする気概が素晴らしいですね。コロナの短歌をご紹介します。
これまでの記事一覧は下から
コロナの短歌
朝日歌壇については下の記事
朝日歌壇とは何か知りたい方へ 各新聞短歌投稿方法と宛先まとめ
コロナの投稿歌 5月31日の朝日歌壇
5月31日の朝日歌壇の短歌より、コロナが題材の短歌をご紹介します。
緊急事態宣言も、ようやく解除となりましたが、それまでの経過がつぶさに詠まれている作品の数々をご覧ください。
コロナ禍の無為の日々
コロナ禍で退屈をした人あまた射撃場に行き銃ぶっぱなす
(アメリカ)大竹幾久子
在米の作者の捕らえた風景。射撃場でストレス解消とは、アメリカらしい風景です。
集会も講演もなくメーデーと憲法記念日過ぎゆく今年
(敦賀市)木戸聡
カレンダーが旗日でも、何もなく過ぎていく日々。
憲法記念日前後の、人が集まるイベントも全て自粛となりました。
毎日の通勤バッグクローゼットに入ったままのこの春の日々
(市川市)市川美波
身近なアイテムをとらえて詠んだ歌。
春となっても出番がないのは、バッグではなくて作者の方なのですね。
家居の工夫
家居が続いても、様々な工夫がなされている様子がうかがえる作品群。
連休に佐野か博多か迷ひては旅行気分で拉麺を煮る
(滝沢市)菅原宰
「佐野」と「博多」はそれぞれ、佐野ラーメンと博多ラーメンのこと。
旅行はあくまで「気分」であるわけなのですが、実際にそこに行ったような充実感があるのは、家に居ながらにしてその土地の食に触れられるからでしょう。グッドアイディアです。
晴れの日はスロージョギング雨の日は壁スクワットほぼ定着す
(蓮田市)平田栄一
スポーツジムが感染場所の筆頭として挙げられて以来、逆に家でできるフィットネスが注目。外出自粛が長引いたため様々な工夫がされるようになりました。
「ほぼ定着す」が自粛の長さを物語ります。
オンライン飲み会しようと前の日に操作教えに娘らが来る
(茅ケ崎市)大川哲雄
「オンライン帰省」に続いて「オンライン飲み会」、「オンライン○○」も新語として定着しそうですね。
「オンライン」の準備のために”リアル”で会いに来る娘さん達が、それほど矛盾と感じられないのは、これから飲み会がずっと行われることに期待でれるためでしょうか。
分断とはこういうことか府県別感染者数先ず奈良を視る
(大和郡山市)四方護
奈良に住む作者の歌。普段はそれほど区別がないのに、県単位での情報が連日報道で強調されています。
作者の場合は、自分自身の些細な行動から内省した意識の変化を敏感に感じ取っています。
コロナ禍の業務日誌の空欄に大きく記す「ヨシキリ初音」
(長野市)原田浩生
選者馬場あき子さんのコメント
「休業中も記録する業務日誌。『ヨシキリの初音』の感動にコロナを超えた一瞬がある。」
「コロナ」で始まりますが、コロナの歌ではなく、そのような背景で見出された美しいものがここにあります。
介護施設とコロナ罹患
多くクラスターの場ともなった介護施設の入所者とその家族、そして、実際にコロナに罹患された方にも様々な体験があります。
痩せ細り母が母ではないような哀しい写真施設より届く
(下松市)内山春日
コロナ禍で介護施設の入所者とその家族には、大きな影響がありました。
面会ができないため写真でお母様の様子を確認する作者。
高齢者は短い間にも様子が変わってしまうことが多く、入所者の家族の方にもこれまでにはない心配な状況が続いています。
ウイルスに記憶奪われわたくしの手帳のページ真っ白のまま
(東京都)久和鏡子
「記憶奪われ」というのは、実際罹患中の記憶がなかったということでしょう。
知人にインフルエンザになった人がいますが、高熱のためか、やはりその間の記憶がないと話されました。
どうぞお大事に療養されてください。
コロナ以外の短歌
ここからは、題材がコロナ以外の短歌で、感銘を受けたものを紹介させていただきます。
今日も好きな短歌がたくさんです。
フクロウとカエルのコラボ月夜田(つきよだ)に響き渡りて宴始まる
(須賀川市)近内志津子
「コラボ」との現代語に並んで「月夜田」の語の、これも一種のコラボとなっています。
呆けてても壊れたポンプ水道管直してくれる夫は優しい
(松阪市)笛木敏子
そのままを詠まれた素朴な歌なのですが、すてきな歌です。
作者のまなざしがやさしいのですね。
親の世話をするため通ったつもりだが甘えに行っていたのだ、わたし
(福井市)野原つむぎ
「わたし」は作者を指すのですが、それまでの叙述が、一直線に読み手の胸に向かってくるのは不思議です。
介護の体験ですが、これが微妙に入れ替わる瞬間があるのは、やはり親子ならではでしょう。
介護は、親と子の距離を平時よりも近くする快い体験でもあるのですね。
女性騎手百勝の記事娘に供ふ馬好きなりき十七で逝く
(船橋市)大内はる代
お子さんを亡くした作者の歌。悲しくも物語性のある内容にまとめられています。
歌のこと散歩夕食夢のこと電話の最後は寂しさのこと
(江田島市)和田紀元
離れて暮らしている家族やお身内との会話でしょうか。
電話で一日の出来事を話した後に、やはり寂しいと漏らす相手の心情、一首はそれを淡々と伝えていますが、やはりたくさんの出来事のあとの「寂しさ」が際立つのです。
ペンギンがSuicaに一羽住みをりぬ脱出できぬ皇帝ペンギン
(東京都)庭野治男
塚本邦雄の「日本脱出したし皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」を元にした歌。
Suica―スイカ―というのは、カードのことですが、ペンギンのイラストがある。
カードが管理社会の隠喩でしょう。
放牧を間近にひかへ跡継ぎは牛百頭の爪切り終へる
(札幌市)藤林正則
放牧の季節がやってくると、牛の爪を切って用意をするのだと推察します。
しかも跡を継ぐ、おそらくまだ若い方がそれをやってのけたことに、作者の感慨があるのでしょうね。
牛百頭、一匹の牛に足は4本で、例えば前足だけにしても大変な数です。
北海道の方の作品ですが、スケールが違うところに驚かされますね。
終わりに
新型コロナの影響による緊急事態宣言も、ようやく解除となりました。
これらの歌も、貴重な「コロナ禍」の記録となりそうです。
しかし、まだまだ警戒心を解くのは早いかもしれません。
このあとさらに、新しい歌をつなげていってくださいね。