新型コロナの短歌、短歌を詠まれる方は、どのような内容を歌にしているのでしょうか。
朝日歌壇にはコロナ禍と、その影響下での生活の情景を詠んだ短歌がたくさん投稿されています。
6月28日の朝日新聞の投稿歌より、コロナの短歌をご紹介します。
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コロナ禍を詠む短歌
日本だけでなく人類の危機をもたらす新型コロナ、この危機を短歌で分かち合おうとして、朝日歌壇の投稿にもコロナウイルスとその影響下にある生活の様子を題材にした短歌が投稿されています。
コロナの脅威にもめげず、また、生活の制限される悲しみや様々な感情を歌に詠もうとする気概が素晴らしいですね。コロナの短歌をご紹介します。
これまでの記事一覧は下から
コロナの短歌
朝日歌壇については下の記事
朝日歌壇とは何か知りたい方へ 各新聞短歌投稿方法と宛先まとめ
コロナの投稿歌 6月28日の朝日歌壇
6月28日の朝日歌壇の、コロナ関連の題材の短歌から、好きな作品をご紹介します。
マスクの配布について詠む
届いてもしないだらうなアベノマスク議員の誰もしてないぢやないか
―岐阜市 臼井均
街中にマスクあふるる頃となり二枚のマスク届く違和感
―池田市 竹内和子
絶対にマスクはしないトランプさん他のマスクはできない安倍さん
―防府市 藤田淳子
新型コロナにまつわる話題で、一番大きなものがマスク。政府の配布するマスクについての短歌も、多く寄せられました。
「議員の誰もしてない」という観察と「ぢやないか」の口語表現に生の声が、また、店頭にもマスクが並べられるようになってから届いたというのは、期待とのギャップを表すものでしょう。
他国の宰相とのマスクに集約される対比は批判そのものではないのですが、3句切れで、上下句にそれぞれきっちり定型に言い切るときの調べの小気味よさにインパクトがあります。グローバルな俯瞰も批判の気持ちの表れでしょう。
「ステイホーム」できずに避難した人が十六万人いた原発禍
福島市 青木崇郎
コロナ禍から東日本大震災の原発事故を振り返る歌。
「コロナ」の言葉はなくても、「ステイホーム」、それと「原発禍」という言葉がコロナ禍に結び付きます。
家に居たくても居られなかった人たちとその状況があらためて思い起こされれます。
音楽家の坂本龍一さんが「家に居られるというのは幸せな事なんだ」と発言されていました。
コロナ下での授業風景
教室のアクリル透して再開す「檸檬」の朗読マスクにこもりて
小松市 沢野唯志
学校では、生徒との間にアクリル板が置かれ、さらにマスクがある。その隔たった中で作者は朗読の声を届けています。
マスクを通した自らの声をフィードバックしながら、声が「通るように」調整をする、歌の中には明示されていない配慮が「透して」の語に暗示されているように思われます。
差し出した手のひらスルーしトレーへと置かれた釣り銭無言で拾う
―唐津市 野地香
新しい様式でのすれ違いの具体的な記述。
致し方ないとはいえ、人との隔たりがいっそう大きく、無味乾燥なものになる場面、一連の動作と、その心の動きが伝わります。
リモートの仕事に体が慣れて規則正しき在宅勤務
―蓮田市 平田栄一
こちらは在宅勤務の様子ですが、会社にいる時と同じように、時間配分やスケジュールができてくる経過が盛り込まれています。
つまりそれだけ、コロナ下での生活様式が定着したということでもあります。
こういっては何ですが、朝日歌壇の作品を拝見している限り、投稿者の皆さんは、在宅でも実によく仕事をされており、自然に頭が下がります。
コロナ以外の短歌
ここからは、題材がコロナ以外の短歌で、感銘を受けたものを紹介させていただきます。
今日も好きな短歌がたくさんです。
たった今夫を殺(あや)めてきたような悪女に見える証明写真
―高松市 村松敦視
作者が男性だとすると、奥さんの証明写真を見て言った言葉だと思います。
私は作者名を見る前に、女性の歌だと思って読んだのですが、そうなると、どちらが怖い歌でしょうか。
手を広げかけよりてくる子の姿わが腕がゴールでありし日々よ
―東京都 渡部鈴代
子と共にあった美しい日々をかえりみる歌。結句を「ありし日々よ」として、過去の回想と詠嘆を表します。
一年生今ごろ何をしているか時計に何度も目をやる初日
―奈良市 山添聖子
学校へ行き始めた子のお母さんの心境が、具体的な自らの行動で表されます。
子どもよりも、お母さんの方が不安なのは「初日」ならでは。
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古ミシン下取りに出せばミシン屋が次はドバイで働くと言う
―三原市 池田桂子
ミシンを手離すという内容の歌はその前にもありましたが、この歌は売られた先のミシンが、ドバイで使われるというのです。
何となくですが不思議な気持ちになりますね。
四十一年勤めきし職退きし朝茹で卵の殻ゆっくりと剥く
―さいたま市 石塚義夫
いい歌だなと思います。下の句がすばらしい。
カサブランカ咲くまでいちご熟れるまで玉蜀黍(きび)みのるまで生きませ我が背
―弘前市 山川久美子
カサブランカからきびまではおよそ1年、たくさんの稔りと命の連鎖、それにあやかって夫がながらうことを願います。
初句の字余りは、時間を少しでも伸ばしたい作者の願いの表れのようにも思われます。
「まで」の繰り返しの後の、結句のストレートな呼びかけの表現が胸を打ちます。
「ませ」というのは丁寧語。「背」は万葉の言葉ですが、このような古語を使う効用は、歌に普遍性が与えられるということ。
思い出される筆頭は「沓はけ我が背」ですが、万葉の時代から、妻の「わが背」への思いやりと願いは変わらずに持続していることが同時に示せるのです。
終わりに
今日も大変勉強になりました。当地は雨が上がって、静かな日曜日となりそうです。
それではまた来週。
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