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画期的な評伝「斎藤茂吉―あかあかと一本の道とほりたり」 品田悦一

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図書館で手に取ったら、近刊「斎藤茂吉 異形の短歌」の著者と同じ方であった。

従来の短歌の解説書とは違うものである。ただ、言語学的なものの見方に、多少関心のある方でないとわかりにくい部分もあるかもしれない。

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本書より適宜抜粋しながら読んでいく。

異化という操作

じっさい『赤光』には、日常の一齣が異様な生々しさで迫ってくる作がいくらでもあって(中略)この世界を見慣れぬ世界として再現して見せること、別の世界を創造したり、虚構したりするのではなく、「接触のしかた、経験のしかた」をずらして「新しい世界の創造」を果たすこと---のちに一般化する文芸批評の用語では、「異化(非日常化)」と呼ばれる事態がこれに該当するはずである。(シクロフスキー)

「異化」とはもとはロシアフォルマリズムの用語。この箇所、書き足したいことがあるが、後に譲る。

シニフィアンという要素

日常一般の言語活動において、私たちは、一定量の語群を相手にそれらの意味をつなぎ 合わせながら、情報を発信したり受信したりしている。このとき前景化しているのはそれらの語の所記の側面であり、能記の側面はいわば黒子のように背後に退いている。 他方、短歌の声調が意味を越えて何事かを成就するのは、私の理 解では、複数の語が音律のもとに組織されたり、互いに響き合う、または反発しあう音素が規則的・不規則的に配されたりすることにより、語と語が能記の側面で直接関係づけられること、そしてその関係が、所記の側面で取り結ばれる語と語の関係を駕することに由来する。

この箇所が滅法面白い。もう忘れかけていたが「能記」「所記」はそれぞれシニフィアン(音)、シニフィエ(意味)を指す。言語学の用語。

簡単に言えば、短歌においては言葉の意味以上に声調が重要な構成要素であり、それなくしては歌は成り立たない。もっともそういう言い方をしては身も蓋もないが。

更に実作者の立場としては、定型という字数以上の音律や声調といったものがあるということを見落としてはならない。単純に言えば、五七五七七に意味が取れるように言葉を並べただけのものは詩歌ではないということだ。作者が意図しない限り効果は偶発的には生まれない。

本書では、その関連付けが音素のレベルでつぶさに述べられているところがあって、これは言語学の人ならではの焦点の当て方であるが、一読に値する。佐太郎が「茂吉秀歌」で声調について述べたものは、ごく大雑把で独学での感得は難しい。

「異物」としての言葉

「異化」はロシアフォルマリズムのコンセプトで、短歌や茂吉の作品とは別物であることは言うまでもない。その言葉から、著者の印象や主張を読み取ることに留めるべき、という前書きの元、進める。

名状しがたい感銘を異物としてのことばで造形する行為 -----P.119

ここも抜き書きしておく。

茂吉が創作を通して相手どっていたのは、<世界があること>と<自分がいること>とが同時に開けてくるような次元なのだった。存在の根源的な不可解さと対峙していた、と言ってもよいだろう。 とにかく歌心が恐ろしく深いところから湧いたらしい。

それ以下の「『赤光』とは」が、この歌集を表すもっとも良いところなのだが、そこは飛ばす。

その中から

そこには自明なことがらは何一つない。言葉を覚え始めた幼児にとってそうであるように、世界は真新しく謎に満ちている。

短歌の言葉、古語、特に茂吉が用いた万葉語は、それ自体が非日常的な言葉である。言語学ではそもそも、パロールとラング他の峻別があり、言葉は既にそれ自体が父性的、他者的なもの、われわれに不自由を強いるものとしての共通の見方があるのだが、茂吉の用いたのは、茂吉にとっても口語ではない「異物」としての言葉であったのは間違いない。

その上、万葉語や古語の中に、作者によると疑似古典用法(已然形止め)といったもの、さらに作品によっては一首の中に現代語も混じるといったものもある。茂吉がいかに苦心をして、それらの言葉を新たに学び、獲得し、表現のための道具としてそれらを用いようとしたか、それを知ることはわれわれ短歌学習者にとってこそ大きな意味がある。

用いる言葉だけの問題ではない。短歌で表す事柄は日常から題材を取ったものが多いのだが、短歌には短歌のコンセプト、言葉とは不可分の、ものの見方やとらえ方といったものがある。抒情や詠嘆と呼ばれる、もっとも情緒の濃いところ。われわれの感情生活でその一部分だけをデフォルメし並置するということ自体、もはや日常とはかけ離れている「異化」そのものの行為であるといってもよい。

そこに現れる「私」は日常の事柄を記載したものの中にあっても、もはやそれまでの私ではない。作品成立と共に同時に立ち現れるアイデンティティーなのである。

音素と音律の解析

この著者は音素の解析について、たいへん詳しい。
解析の実際について筆写しておく。

 例は「戒律を守りし尼の命終にあらはれたりしまぼろしあはれ」というものだが、歌の意味についてはここでは述べない。

上二句は三つの分節「戒律を」「守りし」「尼の」からなり、それらが 五音、四音、三音と絞り込まれるように並んでいて、しかも各句の第一音節の母音はすべて/a/に揃っている。第三句「命終に」は子音/m/を含む点で上の「守りし」「尼の」と共通し、またここまでの四文節においては末尾に母音/o/と/i/が互い違いに現れる。さらに下二句では、三つの分節「あらわれたりし」「まぼろし」「あはれ」が七音、四音、三音とやはり絞り込まれるように並ぶ一方。上二句と響き合うようにして母音/a /が優勢を占め、また子音/r/および音節/wa//si/が反復されている。((注:/si/は本文では発音記号表記)

  そこまでは普通の音素分析。おもしろいのは以下。

さらに、音素の配置を意味の面と関連付けるとき、まず浮かび上がるのは、「戒律を「守りし」と摩羅の「まぼろし」という、意味上は真っ向から衝突する二つの語句が、能記の側/mamorisi//maborosi/では互いに共振し、同調しようとしている点だろう。歌意としては、もちろん、尼が 戒律を守り通したことに反してまぼろしが現れたわけだが、声調上は、戒律を守り通したこと自体がまぼろしを呼び込んだようにひびくのだ。そこに「渾沌」がある。

この「渾沌」についてはP149に   

茂吉が、さらさらと耳触りのよい成長を「管轄」として忌避する一方、「渾沌」を蔵する「流動的声調」を理想としたのも、このあたりの呼吸を体得していたからであるように私には思われる。

という部分がある。

同様に、/arawaretarisi/が/maborosi/と交響しつつ、末尾の/aware/に巻きとられていく関係も見逃せない。「尼」の眼前に「あらはれ」ていた まぼろしを、叙述主体の発する嘆声「あはれ」が音響的に抱きとめている。

 類似の効果は「めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀砥は過ぎ行きにけり」についても述べられている。

「めんどり」の/ori/が下の「ひつそり」を呼び出す関係も見落とせない。「ひつそりと」は、構文上は「行き過ぎにけり」の修飾句であり、上二句とは意味的に直結しないのだが、それでいて、「同時に鶏の動きに示される深い沈黙の世界をも暗示している」(本林七四)ように感じられるのは、第一句と第三句に声調上の焦点があって、しかも両者が音韻的に同調しているからだと思われる。

意味と音律の交錯がここまでつぶさに述べられているものは他に知らない。
 
著者が已然形露出に焦点を当てて「赤光」を「異化の歌集」と呼ぶ理由を、後続の本『異形の短歌』に書かれた部分をも含めて要約するとほぼ下のようになる。

(已然形露出は)万葉集には四千二百余首中にたった一例しかないのに対して、「赤光」では八百三十四首に三七首と多用されており、その珍奇な措辞や不自然な語法は、当たり前の物事を当たり前でなく感じさせるための仕掛けに他ならない。ありふれた日常の一齣が異様な情景に見えるのは、そのような茂吉独特の語法の裏打ちがなされたためである。 

塚本邦雄からの補足

塚本邦雄の見る茂吉の「已然形好み」

塚本邦雄は茂吉の「已然形好み」について次のように言う。

『茂吉秀歌 赤光』P216(旧かなは新かなに修正)

要は無意識にサスペンスを狙っているのだろう。已然形必ず「え」列音、殊に「ら」行で「れ」が多い。ほのかな辛みを帯び、 放物線を描いて空中に消え去る感のあるこの形は、一首の減張を 際やかにし、流動感と陰影を興え、常用しかけると次第にエスカレートする嫌いさえある。

該当箇所は「めん鶏ら砂あび居たれひっそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり」 大正二年10 七月二十三日」一連の一首目、この二首後が「たたかひは上海に起こり居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり」になる。この一連に関して言えば、あるいは終止形により類似の文体が続くことを避けたのかもしれないとも思う。

「死にたまひゆく」の誤用

「死にたまひゆく」の誤用に関して、塚本邦雄「茂吉秀歌」P.74より抜き書きする。

茂吉の語法ゆえ不可触というのなら、それは笑うべき神話のたぐいだ。 おかしい箇所はあくまでおかしい。歌ゆえ変則は許容され、少々の誤用 は目鯨を立てぬものと言うのなら、それはそれでよかろう。中途半端な敬語も、この場合のあるにもあらぬ作者の心理を代弁して妙と言うなら、それにも異議は唱えまい。短歌は欠けつつ満ちる不思議な言葉の器であり、私もまた欠きに欠きつつ満ち溢れさせてきた張本人なのだ。

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