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斎藤茂吉の「歌集『ともしび』とその背景」岡井隆

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斎藤茂吉の3番めの歌集「ともしび」に関しての岡井隆の考察。

岡井によると「赤光」「あらたま」そのあと作歌不振の時期の「つゆじも」以降の歌集は、後に日記から再構築されたものが多くあり、一方、病院の焼失という大事に始まる「ともしび」は実際の生活状況と並行して歌作が進められた。

「赤光」「あらたま」の歌境は否定的に継承され、「病院経営という実業の世界に足を踏み入れたという点で」作品は具象的になった。茂吉の歌が後期に入る転換点となったのが歌集「ともしび」であるという。


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長く歌作を止めてきたあとの復帰について岡井は言う。

たびかさなる旅行や箱根への避暑、そして、文筆活動(滞欧随筆等散文を含む)すべてに、なにものからかの必死の逃避行と言った様相がなくはないのである、『ともしび』の歌はかくれた秀歌を含めて、充実してをり、ある勢いを感じさせるのであるが、その底には、現実のむなしさ苦しさから離れて行きたいという逃避の心理があり、しかも神仏への「いのり」にたよるわけにはいかないといふニヒリズムがあったといってもいいかもしれない。(原文旧かな)

言ってみれば生活上の苦難が茂吉を再び作歌に向かわせた要因の一つかもしれない。
「ともしび」から引く。

焼けあとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えし空しさのはて
かえり来し家にあかつきのちやぶ台に火焔(ほのほ)の香する沢庵を食む
焼けあとに堀りだす書(ふみ)はうつそみの屍(かばね)のごとしわが目のもとに

火災の後始末と再建は、たいへんに困難であったらしく、おそらくどうやってもうまく進まないという時期があったのに違いない。痛切な歌が続いている。
一方、ふるさとの蓮華寺を訪ねた時の歌は、北杜夫が「赤光の再来」と言ったように、ふるさとの自然と風景、それから養育者とも言える窿応和尚との時間がかなしくものびのびと歌われている。

かぎろひの春山ごえの道のべに赤がへるひとつかくろひにけれ
ひかりさす松山のべを越えしかば苔よりいづるみづを飲むなり
右中山道みちひだりながはま越前みちとふ石じるしあはれ
山なかのみ寺しづかにゆふぐれては病みこやりたる
あかつきも木菟なけり寺なかに窿応上人やみてこやせる
茂吉には何かうまきもの食わしめと言ひたまふ窿応和尚のこゑぞきこゆる
さ夜なかにめざむるときに物音(と)たえわれに涙のいづることあり
目をあきてわがかたはらに臥したまふ和尚のにほひかなしも
となりまにかすかなるものきこゆなり夜半につまぐる数珠はきこえぬ

「病みこやりたる」「やみてこらせる」について、岡井は「すこしずつ言い方をかえているのは、繰り返しのように見えて、微差をあたえているので、こういう技法の効果に、短歌の生命の、ある部分がかかっている。」と言う。

この点は、瑣末なようだが、短歌とは何かを考える上で、決して見逃せないところだと思う。

「となりまにかすかなるものきこゆなり夜半につまぐる数珠はきこえぬ」については、「松かぜのおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも」と似た構成で、聞こえてくる「かすかなるもの」が、「きこゆなり」「きこえぬ」の繰り返しで、「きこゆなり」よりやや時を置いて数珠の音だとわかる推移を表していると思うのだ。
以下に「ともしび」から目を引いたものを引く。

今日の日も夕ぐれざまとおもふとき首(かうべ)をたれて我は居りにき
こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ
鶺鴒のあそべる見れば岩淵にほしいままにして隠ろふもあり
山がはのあふれみなぎる音にこそかなしき音はきくべかりけれ
やまこえて細谷川に住むといふ魚(うを)を食ふらむ旅のやどりに
いとまなき現身なれどゆふぐれて沙羅双樹の花を見にぞわが来し
あはれなる花を見むとて来りけり一もと立てる沙羅双樹の花
山のえにかすかにさける木苺の花に現身の指はさやらふ
ひかり染む山ふかくして咲きにけり石楠の花いはかがみのはな

そして赤彦と競った大作の木曾詠があるのも「ともしび」になる。
他、高野山、箱根、信濃、熱海と旅行詠が多い。

さ夜ふけて慈悲心鳥のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに
のぼりゆく谷水のうへを蝶ひとつ飛べるもさびし山は深くて
すがすがし谿のながれに生れたる魚(いろくづ)をとりて食ふあはれさよ
うごきゐし夜のしら雲の無くなりて高野の山に月てりわたる
山なかのほそき流れに飯(いひ)のつづながれ行きけりかすかなるもの
いそぎ行く馬の背なかの氷よりしづくは落ちぬ夏の山路に
しづかなる峠をのぼり来しときに月のひかりは八谷をてらす
雪ぐもりひくく暗きにひんがしの空ぞはつかに澄みとほりたる
目のまへの雑草(あらくさ)なびき空国にもの充つるなして雨ぞふりゐる
信濃路はあかつきのみち車前草も黄色になりて霜がれにけり

茂吉自身がこの時期の一代表作とみなしたというのが下の歌だそうだ。

ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷ちかづきぬ

他に

音立てて茅がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り
はざまより空にひびかふ日すがらにわれは寂しゑ鳴沢のおと
山がひの空つたふ日よあるときは杉の根方まで光さしきぬ
きはまりて晴れわたりたる冬の日の天龍川にたてる白波
さむざむと時雨は晴れて妙高の裾野をとほく紅葉うつろふ
浅草のきさらぎ寒きゆふまぐれ石燈籠にねむる鶏あり
わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ
常ならぬものにもあるか月山のうへにけむりをあげて雪とくる見ゆ
うつせみの願をもてば息づきて山の谿底に下りきたりける
絶間なきものの響きやわれひとり野分だつ庭にいで来りける

岡井が「ともしび」に秀歌が多いと言うのもうなづける。







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