つゆじも

のぼり来し福済禅寺の石畳そよげる小草とおのれ一人と斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作品

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斎藤茂吉『つゆじも』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『つゆじも』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

『つゆじも』全作品のテキスト筆写は斎藤茂吉「つゆじも」短歌全作品にあります。

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のぼり来し福済禅寺(ふくさいぜんじ)の石畳そよげる小草とおのれ一人と

のぼり来し福済禅寺(ふくさいぜんじ)の石畳そよげる小草とおのれ一人と

歌の意味と現代語訳
登ってやって来た福済禅寺の石畳には、風にそよぐ草と私ひとりが居るばかりだ

出典
「つゆじも」大正9年 長崎

歌の語句
のぼり来し…来しの読みは「こし」。登って来た
そよげる…「そよぐ」の連用形+存続の助動詞「り」

表現技法
「石畳」の後には「に」が省略されているとも思われる
「~と~と」の反復で終えて、動詞を省略。余韻を出す手法

鑑賞と解釈

福済寺は下築後町の高みにあり、黄壁宗の唐寺。等の材料を使い、唐の大工によって建てられた。長崎港内を見下ろす眺望が良い。

作者は長崎の午砲(ドン)、中町天主堂の鐘、この禅寺の鐘と耳にかなしく聞こえてくるものを数え上げている。

また、佐藤佐太郎によると、寺の庭は広く平らな石畳になっているそうで、小草とは、その石の間から伸びたわずかな草のことであったらしい。

「そよげる小草とおのれ一人と」にこの頃の、作者の心細い、心の寂しさが見つめられている。

また、長崎の特徴ある石畳については

長崎の石だたみ道いつしかも日の色強く夏さりにけり
長崎は石だたみ道ヴエネチアの古りし小路のごととこそ聞け

とあり、作者はエキゾチシズムを強く感じていたようだ。

斎藤茂吉の自解

(喀血の後)咽喉を使っては悪いような気がしたため、沈黙を守り、時には筆談で用を済ませたこともある。福済寺の庭に一人来て沈黙していたのもそういう理由にもとづいていた。(『作歌四十年』斎藤茂吉)

佐藤佐太郎の評

「福済禅寺の石畳」が特殊な要素で、そこに置いてある陶楊(別字)のようなものに一人腰をかけて「そよげる小草」を見ているという下句がまた静かでつつましい。

「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

長崎

長崎に帰り来りてむしばめるわが歯を除(と)りぬ命を愛をしみ

暑かりし日を寝処より起き来しが向ひの山は蒼く暮れむとす

公園の石の階より長崎の街を見にけりさるすべりのはな

温泉(うんぜん)より吾はかへりて暑き日を歯科医に通ふ心しづかに

 八月二十五日 福済寺

のぼり来し福済禅寺(ふくさいぜんじ)の石だたみそよげる小草をぐさとおのれ一人ひとりと

石のひまに生ひてかすかなる草のありわれ病みをれば心かなしゑ

長崎の午の大砲中町の天主堂うの鐘ここの禅寺の鐘

福済寺にわれ居り見ればくれなゐに街の処々に百日紅のはな

 

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