つゆじも 茂吉一首鑑賞

飛騨の空にあまつ日おちて夕映のしづかなるいろを月てらすなり  斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作

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斎藤茂吉『つゆじも』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『つゆじも』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

『つゆじも』全主要作品のテキスト筆写は斎藤茂吉「つゆじも」短歌全作品にあります。

飛騨の空にあまつ日おちて夕映(ゆふばえ)のしづかなるいろを月てらすなり

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飛騨の空にあまつ日おちて夕映(ゆふばえ)のしづかなるいろを月てらすなり

歌の意味と現代語訳
飛騨の空に太陽が沈んだ後、辺りは夕映えの静かな色が満ちて、そこに月が照っている

出典
「つゆじも」大正10年 山水人間虫魚

歌の語句
飛騨・・・長野県の山脈 「空」はその山の上の空
あまつ日・・・「つ」は「の」の意の格助詞。天の日、すなわち太陽のこと。
 似た句に「天つ乙女」「天つ風」「天つ国」など。
なり・・・断定の助動詞。「だ」「である」に当たる文語

表現技法
句切れなし

鑑賞と解釈

一つ前の歌と同様、念願の海外留学が決まったところで病気が見つかり、先が見えない療養中の作品。
どういう情景かを端的に言うと、同じ山の空に、太陽と月が同時に光を示している様子を捉えたもの。

「日が落ちた」というだけでも静けさが連想されるが、その静まりを「しづかなる」ではっきりととどめている。

さらに、静けさが聴覚的なものにとどまらず、夕映えの「色」という色相を視覚でとらえるように導き、山の向うに沈んだ太陽と、その対極の空の上の月とがこもごもに光を放つ大きな空間がおのずから想定されるようになっている。

「しづかなる色」は他にも長崎の歌の中にもある句で、作者本人が、見慣れない風景の中の色相に心を引かれていたことがわかる。

佐藤佐太郎の評

山上の空に残っている夕映に、東天に上った月の光がおよぶところである。色彩と空気の微妙な美しさを余すところなく表現している。こういう稀にある、微妙な美しさを、このように安らかにおおどかに表現しているのは驚くべき力量だといっていい。

長崎の歌でも「水銀のしづかなるいろ」といったが、ここでも「夕映えのしづかなるいろ」といっている。現れたところを見れば慣用の手法ということになるのかもしれないが、現実に即してこういうのは容易なことではない。

それからすぐ結句を続けて「しづかなるいろを月てらすなり」と言ったのが確かでもあり、単純化の極致でもある。「あまつ日おちて」から「夕映の」とつづくところ、また「いろを月てらす」というところなど、言語感覚の鋭敏なこの作者としては当然だが、尽きない味わいがある。 「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

山ふかき林のなかのしづけさに鳥に追はれて落つる蝉(せみ)あり
松かぜのおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも
谷ぞこはひえびえとして木下(こした)やみわが口笛(くちぶえ)のこだまするなり
あまつ日は松の木原(きはら)のひまもりてつひに寂(さび)しき蘚苔(こけ)を照(てら)せり
高はらのしづかに暮るるよひごとにともしびに来て縋(すが)る虫あり
高原(たかはら)の月のひかりは隈(くま)なくて落葉(おちば)がくれの水のおとすも
ながらふる月のひかりに照らされしわが足もとの秋ぐさのはな
飛騨の空にあまつ日おちて夕映(ゆふばえ)のしづかなるいろを月てらすなり
わがいのちをくやしまむとは思はねど月の光は身にしみにけり

 

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