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斎藤茂吉の「おひろ」 悲恋が生んだ大作 全短歌現代語訳付

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斎藤茂吉の「おひろ」は歌集『赤光』に詠まれた女性で、茂吉と恋愛関係にあり実ることはありませんでしたが、悲恋は『赤光』の大作を生み出しました。

『赤光』の短歌連作『おひろ』の連作の短歌の現代語訳をつけて提示します。

『赤光』の女性「おひろ」

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斎藤茂吉の歌集『赤光』は茂吉の処女歌集であり、当時の歌壇のみならず、文壇にも大きな影響を与えました。

その中の大作は「死にたまふ母」、そして、「おひろ」が44作の連作となっています。

さらに、おひろとの再会を詠ったと思われる「屋上の石」の短歌作品も含めると、ひとりの人を主題とした作品数としては大作と言えます。

おひろとは誰かは前の記事に
斎藤茂吉の恋愛相手「おひろ」44短歌作品連作 別れの理由

 

おひろの短歌連作の現代語訳

「おひろ」の短歌連作と現代語訳は以下の通りです。

おひろ『赤光』より

6 おひろ 其の一
なげかへばものみな暗(くら)しひんがしに出づる星さへあかからなくに

―現代語訳:
嘆き続けていれば辺りのものは皆暗い。東の空に上る星さえ明るく見えないくらいに

 

とほくとほく行きたるならむ電燈(でんとう)を消せばぬばたまの夜(よる)も更(ふ)けぬる

―訳:遠く遠く去っていったのであろうなあ。電灯を消せば夜ももう更けてあたりが暗い

夜(よる)くれば小(さ)夜床(よどこ)に寝しかなしかる面(おも)わも今は無しも小床(をどこ)も

―訳:
夜が来れば、床に寝ていた可愛い寝顔も今はない。その床も

かなしみてたどきも知らず浅草の丹塗(にぬり)の堂にわれは来にけり

―訳:かなしむあまり、会う方法もわからないのに浅草の赤い堂のある寺に来てしまった

あな悲し観音堂(くわんのんだう)に癩者(らいしや)ゐてただひたすらに銭(ぜに)欲りにけり

―訳:ああ何と悲しいことだ。浅草の観音堂にはライ病の病人がいてひたすらに銭が欲しいという

浅草に来てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが帰るなる

―訳:浅草に来てゆで卵を買った。寂しくて私は帰るのだ

はつはつに触(ふ)れし子ゆゑにわが心(こころ)今は斑(はだ)らに嘆きたるなれ

―訳:乙女のまま触れた子なので、私の心は乱れ乱れて嘆くのである

代々木野(よよぎの)をひた走りたりさびしさに生(いき)の命(いのち)のこのさびしさに

訳:代々木の野をひた走ってみる。生きている命のこのさびしいことよ

さびしさびしいま西方(さいはう)にゆらゆらと紅(あか)く入る日もこよなく寂し

―訳:さびしい、ああさびしい。今西にゆらゆらと沈む夕日もこよなく寂しく映る

紙屑を狭庭(さにわ)に焚けばけむり立つ恋(こほ)しきひとは遥かなるかも

―訳:紙くずを庭に焼けば煙が立って上っていく。そのように恋しい人ははるかとおくにいるのだなあ

ほろほろとのぼるけむりの天(てん)にのぼり消(き)え果つるかに我も消(け)ぬかに

―訳:ほろほろとのぼっていく煙は空に消え果てる、そのように私も消えるかのように悲しい

ひさかたの悲天(ひてん)のもとに泣きながらひと恋ひにけりいのちも細く

―訳:この悲しみの空の下、泣きながら人を恋しく思う。命も細る思いに

放(はふ)り投(な)げし風呂敷包ひろひ持ち抱(いだ)きてゐたりさびしくてならぬ

―訳:放り投げた風呂敷包みをまた、思い直して拾って抱いてみる。思う人にさられてさびしくてならないので

ひつたりといだきて悲しひとならぬ瘋癲学(ふうてんがく)の書(ふみ)のかなしも

―訳:胸にぴったりと抱いて悲しい。恋しい人ではなくて、精神医学の本であるので

うづ高く積みし書物(しよもつ)に塵たまり見の悲しもよたどき知らねば

―訳:うず高く積みあげた本に塵がたまっており、掃除をしてくれるあの人もいない。どうしていいかわからず見るだけで悲しい。

つとめなればけふも電車に乗りにけり悲しきひとは遥かなるかも

―訳:仕事なので今日も電車に乗って出かけるのだが、恋しい悲しい人ははるか遠くにいるのだ

この朝け山椒(さんせう)の香(か)のかよひ来てなげくこころに染(し)みとほるなれ

―訳:今朝は山椒の香りがどこからともなく漂い、人を恋いて嘆く心にしみとおるようだ

 

其の二
ほのぼのと目を細くして抱(いだ)かれし子は去りしより幾夜(いくよ)か経(へ)たる

―訳:ほのぼのと目を細めてわが腕に抱かれていた子が去ってから幾夜かが過ぎた

愁ひつつ去(い)にし子ゆゑに藤のはな揺(ゆ)る光さへ悲しきものを

―訳:私と離れることを悲しみながら去っていった子なので、藤の花が光に揺れるのを見るだけで悲しい

しらたまの憂(うれひ)のをみな我(あ)に来(きた)り流るるがごと今は去りにし

―訳:愁いを持った女が私の元に来て流れ去るように今はいなくなってしまった

かなしみの恋にひたりてゐたるとき白藤の花咲き垂りにけり

―訳:悲しみの恋に浸っているとき、白い藤の花が咲いて垂れているのだなあ

夕やみに風たちぬればほのぼのと躑躅(つつじ)の花は散りにけるかも

―訳:夕闇に風が立って、つつじの花はほのぼのと散っていったのだ。あの子との別れのように

おもひ出は霜ふる谿に流れたるうす雲の如くかなしきかなや

―訳:あの子の思い出は霜がふる谷に流れる薄雲のように悲しい

あさぼらけひとめ見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり

―訳:朝一目見たために、はにかんでしばだたいた子の黒いまつげを愛しく思ったのだった

しんしんと雪ふりし夜にその指(ゆび)のあな冷(つめ)たよと言ひて寄りしか

―訳:しんしんと雪がゆる夜に、その指の「ああ冷たい」と言って寄ったのであったか

狂院の煉瓦のうへに朝日子のあかきを見つつなげきけるかな

―訳:精神病院のレンガの上に朝日の赤いのを見て嘆くのである

わが生(あ)れし星を慕ひしくちびるの紅(あか)きをみなをあはれみにけり

―訳:私が生まれた星を慕った口紅き女を愛しく哀れに思うのだ

わが命(いのち)つひに光りて触りしかば否(いな)といひつつ消ぬがにも寄る

―訳:私の命のとうとう光るかのように、女に触ったら「いや」と言いながらも消えそうになって寄ったのだった

彼(か)のいのち死去(しい)ねと云はばなぐさまめ我(われ)の心は云ひがてぬかも

―訳:あのものの命を死ねと言えば、なぐさめになるだろうが、私の心は言えないのだ

すり下(おろ)す山葵(わさび)おろしゆ滲(し)みいでて垂る青(あを)みづのかなしかりけり

―訳:すりおろすわさびおろしから染み出て来る青い水のかなしいことよ

啼くこゑは悲しけれども夕鳥(ゆふどり)は木に眠るなりわれは寝(ね)なくに

―訳:鳴く声はかなしいけれども、昨夜の鳥は木に眠るのだろう。私は悲しくて眠れない

 

其の三
愁(うれ)へつつ去(い)にし子ゆゑに遠山(とほやま)にもゆる火ほどの我(あ)がこころかな

―訳:悲しみながら去っていった子なので遠山に燃えるあの火のように私が人を慕う心がやまない

あはれなる女(をみな)の瞼(まぶた)恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり

―訳:かわいそうな女のまぶたを撫でたその夜、私はほとんど死にそうな思いであった

このこころ葬らんとして来(きた)りつる畑(はたけ)に麦は赤らみにけり

―訳:この心を葬り捨てようとしてきた畑に麦の身が赤く色づいている


農園(のうゑん)に来て心ぐし水すましをばつかまへにけり

―訳:農園に来て心が晴れずうっとうしいために、みずすましを捕まえたのであった

藻のなかに潜(ひそ)むゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし

―訳:藻の中に潜んでいるイモリの赤い腹が幽かに見えて現実とも思えないようだ

麦の穂に光のながれたゆたひて向(むか)うに山羊は啼きそめにけり

―訳:麦の穂に日の光が流れゆらめいて、その向こうに山羊が鳴いている

この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも

―訳:この心を葬り去ろうと先の光る錐をたたみに突き刺したのであったよ

わらぢ虫たたみの上に出で来(こ)しに烟草のけむりかけて我(わが)居(を)り

―訳:ワラジムシが畳の上に出てきて、煙草の煙を吹きかけて手持ち無沙汰に私はいるのだ

念々(ねんねん)にをんなを思ふわれなれど今夜(こよひ)もおそく朱(しゆ)の墨(すみ)するも

―訳:一心に恋人を思う私であるが、今夜も遅く赤い墨をすって作業に務める

この雨はさみだれならむ昨日(きのふ)よりわがさ庭べに降りてゐるかも

―訳:この雨は五月雨なのだろう きのうから、私の庭にも降っている

つつましく一人し居れば狂院(きやうゐん)のあかき煉瓦(れんぐわ)に雨のふる見ゆ

―訳:つつましくひとり過ごしていれば、精神病院の赤いレンガの上に雨が降っているのが見える

瑠璃(るり)いろにこもりて円(まる)き草(くさ)の実(み)は悲しき人のまなこなりけり

―訳:青い瑠璃色をたたえる丸い草の実は恋しい人の瞳のようだ

 

ひんがしに星いづる時汝(な)が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ (五月六月作)

―訳:東に星が出てお前が眺める時に、その目ほのぼのと愛しくかなしくあってほしい

上、斎藤茂吉の処女歌集『赤光』から、「おひろ」の連作短歌の現代語訳を提示しました。




-赤光

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