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みづからの生愛しまむ日を経つつ川上がはに月照りにけり斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作品

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斎藤茂吉『つゆじも』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『つゆじも』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

『つゆじも』全作品のテキスト筆写は斎藤茂吉「つゆじも」短歌全作品にあります。

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みづからの生(いのち)をしまむ日を経つつ川上がはに月照りにけり

みづからの生(いのち)愛(を)しまむ日を経つつ川上がはに月照りにけり

歌の意味と現代語訳
自分の命を愛しむ日々を過ごしているここ川上川に月が照っているのだよ

出典
「つゆじも」大正9年 古湯温泉

歌の語句
みづからの…自分の
生…ルビを振って「いのち」と読ませている
おしむ…「愛しむ」と書いて「おしむ」。惜しむも同義。大切に思う
「まむ」の「む」は意思の助動詞。
川上がは…川の字が続くことを避けたのだろう
けり…詠嘆の助動詞。「ものよ」「だなあ」と訳すことが多い

表現技法
句切れなし
「つつ」はここでは、〔複数主語の動作の並行〕「…ながら」「…して」

鑑賞と解釈

佐賀県小城郡古湯温泉というところに、9月11日から療養のため20日あまり滞在した折の歌。
『あらたま』の編集手記にあるが、『あらたま』の草稿を持って行って、この間に整理をしたらしい。編集ら終わったのは9月30日であったという。
その間に血痰が見られなくなるなど、体が回復したと書いている。

遊びに行った、単に下宿したというのではなく、下にある通り、療養の為の滞在であったから、自分の命んい思い至ることもあったのだろう。

前の歌に「石原に来たり黙せばわが生(いのち)石のうへ過ぎし雲のかげにひとし」というようなものもある。

塚本邦雄の評

塚本邦雄は「茂吉秀歌」にはこの歌でなく、「胡桃(くるみ)の実(み)まだやはらかき頃(ころ)にしてわれの病(やまひ)は癒(い)えゆくらむか」の方を採っている。

その次の「早稲(わせ)の香はみぎりひだりにほのかにて小城(をぎ)のこほりの道をわれゆく」も良い。

斎藤茂吉の自解

そこで、唐津を去り、佐賀駅で高谷と別れ、佐賀県小城郡古湯温泉に行った。ここは川上川の上流にある微温湯で、持続浴式に長く浴室にいるところであった。自分んは多くの労働者らに交じって、忍耐してここに滞在した。そうして自分の体は海浜よりも山中が適していると見え、ここに来てから健康が不思議に回復していった。(『作歌四十年』斎藤茂吉)

佐藤佐太郎の評

生命を愛惜する療養の日々であったから、「みづからの生愛まむ日を経つつ」であるが、そしていよいよ秋になって、清い月光が川上川の上に照っている。歌は過ぎてゆく時間に対する感慨で、後年にわたってこの作者の歌境のひとつになっている。なかでもこの歌は清く経験で、どことなく感謝のこころがにじんている。
唐津の作に「朝のなぎさに眼つむりてやはらかき天つ光に照らされにけり」というのがある。これは太陽の光を恩寵として感じたのだが、この古湯の月光もまたそういうかんじであったろう。「にけり」という長い詠嘆は、長塚節が愛用したものだが、茂吉の『あらたま』にもいくつかある。しかし、温泉獄療養以後の歌に多くなってきているのは注意していい。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

温泉嶽療養
ねもごろに吾の病やまひを看護みとりしてここの海べに幾夜か寝つる
わがためにここまで附きて離れざる君をおもへば涙しながる
わたつみの海を離れて山がはの源のぼりわれ行かむとす

古湯温泉
みづからの生(いのち)愛(を)しまむ日を経(へ)つつ川上(かはかみ)がはに月(つき)照(て)りにけり
秋づきて寂(しづ)けき山の細川(ほそかは)にまさご流れてやむときなしも
胡桃(くるみ)の実(み)まだやはらかき頃(ころ)にしてわれの病(やまひ)は癒(い)えゆくらむか
日もすがら朽葉(くちば)の香(か)する湯をあみて心しづめむ自(みづか)らのため
かかる墓もあはれなりけり「ドミニカ柿本スギ之墓(のはか)行年九歳」
油煙(ゆえん)たつランプともして山家集(さんかしふ)を吾(われ)は読み居(を)り物音(ものおと)たえつ




-つゆじも

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