税申告について詠んだ斎藤茂吉の短歌があります。歌人であり病院の院長職を務めた斎藤茂吉ならではの題材です。
財務の日にちなみ、斎藤茂吉の税金と税申告の短歌をご紹介します。
税申告と斎藤茂吉
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斎藤茂吉といえば、歌人である他に、正業として精神科医であり、精神病院の院長職も務めています。
青山脳病院は後に火災で焼けてしまいますが、残った写真を見ると、養父の趣味でコリント様式の建物がまるでギリシャ神殿かと思うくらい、たいへんに大きな病院でした。
医師も複数勤務しており、斎藤茂吉は当初は勤務医、その後院長職となり、戦後の税制の変化に対応を余儀なくされました。
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新しき源泉課税の拡(ひろが)りをおもひ居りつつ廻診(かいしん)すます
1940年、給与所得に対する源泉徴収制度が始まりました。
当時、茂吉は、病院長を務めており、責任者ですので、患者の回診をしながらも、申告のことが頭を離れなかったようです。
外套のまま部屋なかに立ちにけり財申告のことをおもへる
現在の申告納税制度が始まったのは47年。
占領下の民主化政策により、税務署が納税額を決定する賦課課税を廃止し、この年から、日本で初めて財産税の申告というのが始まりました。
外套を脱ぐ間もなく立ったまま考えているというのですから、新しい制度が悩みの種となったのでしょう。
税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢(あ)ひたりあゝ馬のかほ
税申告の書類を届けに行った時の事。
大病院なので、もちろん事務長はいますが、この歌を見ると、自ら対応の必要があったようです。
税務官に会う前の馬の顔ということですが、ちなみに茂吉にとっては、馬は自身の好きな動物ですが、滑稽な味わいがあるのは言うまでもありません。
偉大な歌人が詠んだというところが、なお面白みを加えています。
茂吉われ院長となりていそしむを世のもろびとよ知りてくだされよ
歌集『石泉』には、上の歌、「私茂吉は院長となって、その仕事にいそしんでいるのを、世の中の皆様よ知ってくださいよ」という歌もあります。
優雅に歌人として短歌ばかりを詠んでいるのではないよ。それ以上に忙しく立ち働いている。その傍らに、歌も詠んでいるということを自ら述懐するような短歌です。
今では副業はめずらしいことではなくなりましたが、激務で実務の院長職と文学者の二つのアイデンティティーを持っていた茂吉。
茂吉は一時期アララギの運営にも関わったようですが、継続しなかったのは、それ以上の雑務は引き受けられなかったためだと思います。
忙しさの中でも、生涯で1万8千首の歌を詠んだ斎藤茂吉。
その人が、実務を立派に果たしており、自らもそれを誇りに思っていたというところも、また興味深いところであります。
きょうの日めくり短歌は、財務の日にちなんで、斎藤茂吉の税金の短歌をご紹介しました。
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