寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば 斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から主要な代表歌の現代語訳付き解説と観賞を記します。結句の「われは子なれば」の意味を考えます。
スポンサーリンク
斎藤茂吉の記事案内
『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。
「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
関連記事:
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
・・・
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
読み:よりそえる われをまもりて いいたまう なにかいいたまう われはこなれば
現代語訳
寄り添っている私を見て言いなさる。何か言いなさる。私が母の子どもであるので
出典
『赤光』「死にたまふ母」
歌の語句
- 寄り添へる…「寄り添う」の複合動詞。「添へる」は「添う+り(存続の助動詞)」の連体形
- 目守る…読みは「まもる」。目を放さず見続ける。見つめる。見守る。
- 言ひたまふ…「言う+たまふ」。「たまふ」は補助動詞。尊敬の意を表す。
- 子なれば…「なれば」は、「なり+ば」。順接の確定条件、原因・理由「…ので。…から」の意味
修辞と表現技法
- 反復と倒置
- 3句切れ・4句切れ母の主語は一首にふくまれておらず、前後の歌から、母のことであるのでわかるようになっている。
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の中の一首。母が死に至る「其の2」の冒頭の歌2首の2首目として配置されている。
母が危篤であるとの知らせに、山形の実家に駆け付け、床のそばでほぼつききりで看護する。
家に着いたのは、5月17日であった。
その斎藤茂吉に、横たわったままの母がまなざしを向ける場面である。
母上はこのとき、言葉もおぼつかない様子であるが、斎藤茂吉を認めると、話そうとする。
何を言っているのかは定かでない状態だが、死に瀕してなお、自分がわかって、話しかけようとする母に心を打たれる作者である。
その理由が、結句の「われは子なれば」に血縁の結びつきである。
それで、作者は母のまなざしと話そうという行為によって、母との絆を再確認する気持であったのだろう。
「われは子なれば」の解釈
結句の「われは子なれば」は、この歌の前、「はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば」と共通している。
この「われは子なれば」には、様々な解釈がある。
角川書店解説だと「あらためて血肉の絆を思いしめている」「母との深いつながりを確認している」というものだが、品田悦一氏の『茂吉秀歌』の解釈だと。
「われは子なれば」は、「死期が迫ってもなお子を庇護してやまない」母の母性への対応を述べたものといいます。
それだけではなく、「死にたまふ母」の「たまふ」の尊敬語についての解釈も「母性に対する尊敬の表明」と示されています。
塚本邦雄の解釈
塚本邦雄は、斎藤茂吉が子どものころに、両親に分かれて養子に出たという背景を、結句の解釈に提示、「家を継いだ子ならば、母の死に臨んだとてこの言葉は浮かばなかった」(『茂吉秀歌』)としている。
一連の歌
はるばると薬(くすり)をもちて来(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊(べ)の我が朝目(あさめ)には見ゆ
山いづる太陽光(たいやうくわう)を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり
死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる
■斎藤茂吉「死にたまふ母」全短歌作品 に戻る