ゴオガンの自画像見ればみちのくに山蚕殺ししその日思ほゆ
斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。このページは現代語訳付きの方です。
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斎藤茂吉の記事案内
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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ゴオガンの自画像見ればみちのくに山蚕殺ししその日思ほゆ
現代語での読み:ごおがんの じがぞうみれば みちのくに やまこころしし そのひおもおゆ
作者と出典
斎藤茂吉 『赤光』
『赤光』代表作一覧 現代語訳付き
一首の意味
ゴーギャンの自画像の絵を見ると、故郷の東北で、山蚕を殺したその日のことを思い出す
解説と鑑賞
『赤光』の中の特異な印象を与える歌。
ゴオガンというのは、ポール・ゴーギャンのことで、その絵画は「芸術家の肖像」というタイトルがある有名な作品。
山蚕(やまこ)とは
山蚕というのは、蚕に似ているが、野生のヤママユガの幼虫を指す。
「死にたまふ母」にも詠まれている生物で、幼少期の茂吉が親しんだものと思われる。
斎藤茂吉と絵画
斎藤茂吉は子どもの頃に絵描きになろうかと思ったくらい、絵がうまかった。
長じて短歌を学ぶようになってからも、西洋絵画の解説書を詠み、さらに、海外留学でも美術館で絵画鑑賞を行った。
絵画からの影響は、大変に大きく、各研究者が各方面からそれを指摘している。
短歌への直接的な影響と共に、短歌の写生論を形成するときにも、絵画への関心は大きな楚となっている。
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斎藤茂吉と西洋絵画 写生論の形成
作者の心情と歌の主題
この歌は初期のいわゆる「わかりにくい歌」とも言われる内容である。
この歌の特異なところは、ゴーギャンの自画像という西洋絵画と、みちのくの山蚕という具体との、意外な取り合わせにあるだろう。
西洋絵画と日本の東北の接点はどこにあるのか、これは、この歌を詠んでいる作者自身が持つイメージ上の連携であろう。
手がかりを言うと、山蚕を殺したのは、作者の少年時代を指す。
そのうちの「その日」というのは、少年であった作者に成長に伴う何かの変化が兆したか、特別な出来事があったのではなかったか。
それは、ゴーギャンの絵の独特な色彩や構図、印象などに、重なるものがあって思い出されるものなのであろう。
また、その絵が自画像であるところからも、その時の自分にも通じるものがあることが推察される。
塚本邦雄の評
塚本邦雄は、山蚕は「茂吉にとって呪物の一つだった」と述べている。
幼児、少年の虫類虐殺は、その本性に根差したもので、長じて後も、時と共に一種の戦慄と主に甦る。ゴーギャン肖像と山蚕殺戮をつなぐ透明な線は人間の業であり、作者は「その日」の「その」に宿命的な悪業の創まりを暗示しているのではあるまいか。 -『茂吉秀歌』
風土との関連
斎藤茂吉と絵画の関わりを記した研究書『斎藤茂吉とヴァン・ゴッホ」には、下のような手掛かりとなる文章がある。
斎藤茂吉にとって故郷や故郷の人々は、「遠きにありて思ふもの」(室生犀星)でも「石をもて追」う(石川啄木)ものでもなく、むしろ苦難多きその人生を救う働きをした。茂吉は何とかの人生の危機を、故郷の風土の中で、獣が自らの傷を舐めるように慰して再起している。その歌が「血縁地縁にがんじがらめになった東北の農民の悲しい叫び」(奥野健男『現代文学風土記』)といわれるゆえんである。
そして、茂吉の美術鑑賞にも、右の特殊な連想を持つ歌に見るごとき、風土との関連を考えねばならぬであろう。
一連の歌
この歌が含まれる一連は、故郷の風景と勤め先である病院の風景とが交錯する作品で構成される。
18 折に触れて
くろぐろと円(つぶ)らに熟(う)るる豆柿(まめがき)に小鳥はゆきぬつゆじもはふり
蔵王(ざわう)山(さん)に雪かも降るといひしときはや斑(はだら)なりといらへけらずや
狂者らはPaederastieをなせりけり夜しんしんと更けがたきかも
ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ
をりをりは脳解剖書(のうかいぼうしよ)読むことありゆゑ知らに心つつましくなり
水のうへにしらじらと雪ふりきたり降りきたりつつ消えにけるかも
身ぬちに重大(ぢゆうだい)を感ぜざれども宿直(とのゐ)のよるにうなじ垂れゐし
この里(さと)に大山(おほやま)大将住むゆゑにわれの心の嬉しかりけり (十二月作)