冬至の日は、日の長さの変化と共に、寒さがもっとも感じられる日でもあります。
斎藤茂吉の冬至の短歌、冬至の日に詠まれた歌をご紹介します。
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斎藤茂吉は山形県出身
斎藤茂吉は、山形県出身の歌人で、中学からは東京に出て過ごしましたが、雪深い厳しい寒さの感じられる東北の冬の体験があります。
山形から見れば、東京の寒さは何ほどのこともなかったでしょうが、それでも冬至の日の寒さを詠んだものもあります。
斎藤茂吉の冬至の短歌をまとめます。
うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日
作者:斎藤茂吉 歌集「小園」より
「冬至の日に」と題する一連です。
「冬のはての日」というのが冬至のことです。
一つの区切りとして、これまでにはない寒さが迫るとしているのでしょう。
そして、その頃になると、故郷山形には、雪が深く積もるようになります。
しかし、ここでは、その寒さよりも、その雪の景色の美しさに着目しています。
「まほら」というのは、その故郷をほめたたえる最高の言葉であり、同時にその中に身を置いている自らの幸福感をうたっています。
実際には、茂吉は、疎開やその他の事情もあって、東京を離れて不便な暮らしを強いられたわけですが、ふるさとにある安心感を籠めて、その美しさをたたえる心情が曇りなく表されています。
そこはかとない悲しみの上にあるために感じるふるさとの美しさだからこそ、このように胸を打つ歌が生まれたとも言えます。
この村にのがれ来し年の冬至の夜こほらむとしてしばし音絶ゆ
作者:斎藤茂吉
こちらの歌は、冬至の夜の寒さを詠います。
「のがれ来し」とは戦争中の疎開のことを指しますが、そのような辛い思いにある時の夜が、ちょうど冬至であり、この上ない寒さがそこに加わります。
さらに結句の「音絶ゆ」に寒さの厳しさと共に、作者の心の深刻さと状況の厳しさがうかがえます。
冬至の夜はやく臥処(ふしど)に入りにけり息切(いきぎれ)のする身をいたはりて
こちらは、『白き山』より。
冬至の夜だからということでもないのですが、冬が迫っているという意識があって、そのために、「はやく…」と言葉がつながっていくのでしょう。
十二月二十二日は冬至ゆゑひとりこもりて吾はゐたりき
こちらは最後の歌集『つきかげ』の収録歌。
とつとつと、事実だけを述べ、老齢の作者の様子がそのままに詠まれています。
冬至より幾日(いくひ)過ぎたるころほひか孤獨(こどく)のねむり窗(まど)の薄明(はくめい)
同じく「つきかげ」より。
病臥をしていた作者は、意識もぼんやりしていて、一人眠っていた日の日数を冬至の日をめやすに追っているのです。
冬至の日が過ぎれば、いよいよ冬が深まります。