斎藤茂吉の第3歌集『つゆじも』の代表作品の抜粋と解説のある歌のページの一覧です。
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『つゆじも』斎藤茂吉
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現代語訳と解説は代表作品を集めた『つゆじも』短歌一覧の方にまとめましたので、そちらをご覧ください。
斎藤茂吉の全歌集については
斎藤茂吉の歌集解説『赤光』~『白き山』『つきかげ』まで各歌集の特徴と代表作
『つゆじも』歌集収録の歌一覧
大正七年
漫吟
斎藤茂吉送別歌会
大正六年十二月二十五日東京青山茂吉宅に於て
わが住める家のいらかの白霜しろじもを見ずて行かむ日近づきにけり
長崎着任後折にふれたる
うつり来(こ)しいへの畳(たたみ)のにほひへ心がなしく起臥(おきふ)しにけり
聖福寺(しやうふくじ)の鐘(かね)の音(ね)ちかしかさなれる家の甍(いらか)を越えつつ聞こゆ
電燈(でんとうに)にむれとべる羽蟻(はあり)おのづから羽(はね)をおとして畳(たたみ)をありく
わが家の石垣(いしがき)に生(お)ふる虎耳草(ゆきのした)その葉かげより蚊(か)は出(い)でにけり
大正八年
雑詠
九月十日 皓台寺
ヘンドリク・ドウフの妻は長崎の婦(をみな)にてすなはち道富(だうふ)丈吉(ぢやうきち)生(う)みき
九月十日。天主堂
浦上天主堂(うらがみてんしゆだう)無元罪(むげんざい)サンタマリアの殿堂(でんどう)あるひは単純に御堂(みだう)とぞいふ
十月三十日。夜吉賀十二郎氏の「長崎美術史」の講演を聞く
南蛮絵(なんばんゑ)の渡来(とらい)も花粉(くわふん)の飛びてくる趣(おもむき)なしていつしかにあり
大正九年
漫吟
二月某日 臥床。私立孤児院は我家の向隣なり
朝な朝な正信偈(しやうしんげ)よむ稚児(をさなご)ら親(おや)あらなくにこゑ楽しかり
対岸(たいがん)の造船所(ぞうせんじよ)より聞こえくる鉄(てつ)の響(ひびき)は遠(とほ)あらしのごとし
五月四日 大光寺にて三浦達雄一周忌歌会を催す
外(と)のもにて魚(うを)が跳ねたり時のまの魚(うを)跳ねし音寂(さび)しかりけれ
藤浪(ふぢなみ)の花は長しと君はいふ夜(よる)の色(いろ)いよよ深くなりつつ
六月二十七日 血いづ。腎結核にて入院中の大久保仁男来りて予の病を問ふ
わが心あらしの和(な)ぎたらむがごとし寝所(ふしど)に居(を)りて水飲みにけり
くらやみに向ひてわれは目を開きぬ限(かぎり)もあらぬものの寂(しづ)けさ
七月二日。県立病院を退院す。三日より自宅に臥床して治療を専らにす
ゆふぐれの泰山木(たいさんぼく)の白花(しらはな)はわれのなげきをおほふがごとし
七月二十二日。高谷寛日々来りてクロールカルシウムの注射せり
年わかき内科医君(きみ)は日ごと来てわが静脈(じやうみやく)に薬(くすり)入れゆく
温泉嶽療養
大正九年七月二十六日。島木赤彦、土橋青村二君と共に温泉嶽(おんせんだけ)にのぼり、よろづ屋にやどる。予の病を治せむがためなり。二十七日赤彦かへる。二十八日青村かへる
この道は山峡(やまかひ)ふかく入りゆけど吾(われ)はここにて歩(あゆ)みとどめつ
うつでみの命(いのち)を愛(を)しみ地響(ちひび)きて湯いづる山にわれは来(き)
七月二十八日
たまたまは咳(しはぶき)の音きこえつつ山の深きに木(き)こる人あり
あそぶごと雪のうごける夕まぐれ近やま暗(くら)く遠(とほ)やま明(あか)し
遠風(とほかぜ)のいまだ聞こゆる高原(たかはら)に夕さりくれば馬むれにけり
七月三十日
湯いづる山の月の光は隈(くま)なくて枕(まくら)べにおきししろがねの時計(とけい)を照(て)らす
起きいでて畳(たたみ)のうへに立ちにけりはるかに月は傾(かたむ)きにつつ
八月一日。一切経滝等
幾重(いくへ)なる山のはざまに滝のあり切支丹宗(きりしたんしゆう)の歴史を持ちて
八月二日
たぎり湧(わ)く湯のとどろきを聞きながらこの石原(いしはら)に一日(ひとひ)すぐしぬ
ひぐらしは山の奥がに鳴き居(を)りて近くは鳴かず日照(ひて)る近山(ちかやま)
八月三日。広河原道
わがあゆむ山の細道(ほそぢ)に片(かた)よりに薊(あざみ)しげれば小林(をばやし)なすも
多良嶽(たらだけ)とあひむかふとき温泉(うんぜん)の秋立つ山にころもひるがへる
八月四日。渓。温泉神社(四面宮、国魂神社)苔の石原に沈黙せり
石原に来たり黙せばわが生(いのち)石のうへ過ぎし雲のかげにひとし
曼珠沙華(まんじゆしやげ)咲くべなりて石原へおり来(こ)む道のほとりに咲きぬ
八月五日。広河原池、絹笠山
この山を吾(われ)あゆむとき長崎の真昼(まいる)の砲(はう)を聞きつつあはれ
八月六日。晩景、渓
わたつみの方(かた)を思ひて居(ゐ)たりしがくれたる途(みち)に佇(たたず)みにけり
八月八日。林中、渓、山
石の上吹きくる風はつめたくて石のうへにて眠りもよほす
八月八日 林中、谿、山
けふもまたしづかに経むと夏山の青きがなかに入りつつぞ居る
しらじらと巌間(いはま)を伝つたふかすかなる水をあはれと思ひ居るかも
山みづの源どころの土踏める馬の蹄のあとも好(よ)きかも
石の上吹きくる風はつめたくて石のうへにて眠りもよほす
くだり来し谷際(たにあひ)にして一時を白くちひさき太陽を見し
八月九日 観音堂
吾が憩ふ観音堂に楽書(らくがき)あり Wixon, Nicol, Spark 等の名よ
八月十日 谿、林
谷底を日は照らしたり谷そこにふかき落葉の朽ちし色はや
谷かげに今日も来にけり山みづのおのづからなる音きこえつつ
魚の子はかすかなるものかものおそれしつつ泉の水なかにゐる
妙見へ雨乞にのぼり来し人らこの谿のみづ口づけ飲めり
八月十一日
午前三時、高谷寛、大橋松平、前田徳八郎等普賢嶽にのぼりぬ。おのれ宿にのこりて、朝食ののち林中を歩く
向山(むかやま)のむら立つ杉生(すぎふ)ときをりに鴉の連れの飛びゆくところ
おのづから夏ふけぬらし温泉(うんぜん)の山の蚕も繭ごもりして
八月十二日
久保(猪之吉)博士予を診察したまふ。また夫人より菓子を贈らる
ジュネーヴのアスカナシイの業績を語りたまひて和(のど)に日は暮る
この山に君は来りて昆虫この卵あつむと聞くが親しさ
わが病診たまひしかど朗(ほがら)にていませばか吾の心は和ぎぬ
温平(ゆのひら)の温泉(をんせん)の話もしたまひて君がねもごろ吾は忘れず
万屋に吾を訪ひまし物語るよりえ夫人は長塚節のこと
長崎
八月十四日、温泉嶽を発ちて長崎に帰りぬ。病いまだ癒えず。十六日抜歯、日毎に歯科医にかよふ。十九日諏訪公園逍遥。温泉嶽にのぼりし日より煙草のむことを罷めき
長崎に帰り来りてむしばめるわが歯を除(と)りぬ命を愛をしみ
暑かりし日を寝処より起き来しが向ひの山は蒼く暮れむとす
公園の石の階より長崎の街を見にけりさるすべりのはな
温泉(うんぜん)より吾はかへりて暑き日を歯科医に通ふ心しづかに
八月二十五日 福済寺
のぼり来し福済禅寺(ふくさいぜんじ)の石だたみそよげる小草をぐさとおのれ一人ひとりと
石のひまに生ひてかすかなる草のありわれ病みをれば心かなしゑ
長崎の午の大砲中町の天主堂うの鐘ここの禅寺の鐘
福済寺にわれ居り見ればくれなゐに街の処々に百日紅のはな
八月二十六日 仰臥
ものなべて過ぎゆかむもの現身はしづかに生きてありなむ吾よ
みづからの此身よあはれしひたぐることなく終の日ひにも許さな
しづかなる吾の臥処にうす青き草かげろふは飛びて来にけり
八月二十七日 仰臥 二十八日 仰臥、長崎精霊ながし
精霊をながす日来り港には人みちをれどわれは臥し居り
八月二十九日 北海道なる次兄より長女富子の写真をおくりこしければ
たらちねの母の乳房ちぶさにすがりゐる富子をみれば心は和なぎぬ
山たかく河大いなる国原に生れしをさなごことほぐわれは
とほくゐて汝がうつしゑを見るときは心をどらむほども嬉しゑ
唐津浜
八月三十日
午前八時十五分長崎発、午後一時三十五分久保田発、午後三時十五分唐津著、木村屋旅館投宿。高谷寛共に行きぬ
五日あまり物をいはなく鉛筆をもちて書きつつ旅行くわれは
肥前なる唐津の浜にやどりして唖のごとくに明暮(あけくれ)むとす
八月三十一日 木村屋旅館滞在
海のべの唐津(からつ)のやどりしばしばも噛(か)みあつる飯(いひ)の砂(すな)のかなしさ
うしほ鳴り夜もすがら聞きて目ざむれば果敢なきがごとしわが明日さへや
城址にのぼり来りて蹲むとき石垣にてる月のかげの明かるさ
九月一日 為刑死霊菩提、享保二丁酉歳九月十七日
砂浜に古りて刑死しの墓のありいかなる深き罪となりにし
満島にわたりて遊ぶ人等ひとらゆく月に照らされ吾等もい往く
九月三日 終日沙浜沈黙
日もすがら砂原に来て黙せりき海風ぜつよく我身に吹くも
九月四日 沙浜
飯の中にまじれる砂を気にしつつ海辺の宿に明暮にけり
はるかなる独り旅路の果てにして壱岐いきの夜寒よさむに曾良そらは死にけり
命いのちはてしひとり旅こそ哀あはれなれ元禄の代の曾良の旅路は
朝鮮に近く果てたる曾良の身の悲しきかなや独りしおもへば
朝(あさ)のなぎさに眼(まなこ)つむりてやはらかき天(あま)つ光(ひかり)に照(て)らされにけり
この病癒えしめたまへ朝日子の光よ赤く照らす光よ
唐津の浜に居りつつ城跡の年ふりし樹を幾たびか見む
砂浜(すなはま)にしづまり居(を)れば海を吹く風ひむがしになりにけるかも
孤独(こどく)なるもののごとくに目のまへの日に照らされし砂(すな)に蠅(はへ)居(を)り
日の入りし雲をうつせる西の海はあかがねいろにかがやきにけり
九月五日 高谷寛と満島にわたる
松浦河(まつうらがは)月あかくして人の世のかなしみさへも隠さふべしや
九月六日 男ひとり芸妓ふたり
隣間に男女(をとこをみな)の語らふをあな嫉ましと言ひてはならず
九月八日
沙浜
いつくしく虹(にじ)たちにけりあはれあはれ戯(たはむ)れのごとくおもほゆるかも
日を継ぎてわれの病をおもへれば浜のまさごも生なからめや
わがまへの砂をほりつつ蜘蛛はこぶ峰のおこなひ見らくしかなし
わたつみを吹きしく風はいたいたしいづべの山にふたたび入らむ
九月十日
高谷寛と来しかたあひ語りて
わが友はわが枕べにすわり居り訣れむとして涙をおとす
九月十一日
午前九時五十六分唐津発、十二時半佐賀駅にて高谷寛と訣ををしむ。軌道、人力車に乗り、ゆふぐれ小城郡古湯温泉に著きぬ
ねもごろに吾の病やまひを看護みとりしてここの海べに幾夜か寝つる
わがためにここまで附きて離れざる君をおもへば涙しながる
わたつみの海を離れて山がはの源のぼりわれ行かむとす
古湯温泉
九月十一日。佐賀県小城郡南山村古湯温泉扇屋に投宿、十月三日に至る
みづからの生(いのち)愛(を)しまむ日を経(へ)つつ川上(かはかみ)がはに月(つき)照(て)りにけり
秋づきて寂(しづ)けき山の細川(ほそかは)にまさご流れてやむときなしも
胡桃(くるみ)の実(み)まだやはらかき頃(ころ)にしてわれの病(やまひ)は癒(い)えゆくらむか
六枚板
十月十一日。西彼杵郡西浦上木場(こば)郷六枚板(ろくまいいた)の金湯にいたる。浴泉静養せむためなり
日もすがら朽葉(くちば)の香(か)する湯をあみて心しづめむ自(みづか)らのため
かかる墓もあはれなりけり「ドミニカ柿本スギ之墓(のはか)行年九歳」
油煙(ゆえん)たつランプともして山家集(さんかしふ)を吾(われ)は読み居(を)り物音(ものおと)たえつ
小浜
十月十五日。六枚板発。小女予の荷を負ふ。午前十時四十分長与発、午後一時小浜著、柳川屋旅館に投ず。学生立石源治静養に来居るに会ふ
覇王樹(さぼてん)のくれなゐの花海のべの光をうけて気(き)を発(はつ)し居(を)り
長崎
十一月二十二日。平福百穂画伯と浦上村をゆく
浦上女つらなり荷を運ぶそのかけごゑは此処まで聞こゆ
白く光るクロスの立てる丘のうへ人ゆくときに大きく見えつ
浦上の女等の生活異なりて西方のくにの歎きもぞする
長崎の人等もなべてクロス山と名づけていまに見つつ経たりき
斜なる畠の上にてはたらける浦上人等のその鍬ひかる
牛の背に畠つものをば負(お)はしめぬ浦上人(うらかみびと)は世の唄(うた)うたはず
黄櫨こきくれなゐにならむとすクロス山より吹く夕風
長崎より
このとし秋より冬にかけ折にふれて作りたる歌、大阪毎日新聞、大阪朝日新聞に公にせり
塩(しお)おひてひむがしの山こゆる牛まだ幾(いく)ほども行かざるを見し
雨はれし港はつひに水銀(みづがね)のしづかなるいろに夕ぐれにけり
長崎の港の岸をあゆみゐるビナテールこそあはれなりしか
大正十年
大正九年十二月三十日長崎発、熊本泊、翌三十一日熊本見物を終り、同夜人吉林温泉泊。
大正十年一月一日、林温泉より鹿児島に至る。一泊
秀頼が五歳のときに書きし文字いまに残りてわれも崇む
熊本のあがたより遠く見はるかす温泉が嶽は凡ならぬやま
光よりそともになれる温泉の山腹にして雲ぞひそめる
球磨川の岸に群れゐて遊べるはここの狭間に生れし子等ぞ
みぎはには冬草いまだ青くして朝の球磨川ゆ霧たちのぼる
青々と水綿ゆらぐ川のべにわれはおりたつ冬といへども
一月の冬の真中にくろぐろと蝌蚪はかたまるあはれ
白髪岳市房山もふりさけて薩摩ざかひを汽車は行くなり
大畑駅よりループ線となり矢嶽越す隧道の中にてくだりとなりぬ
桜島は黒びかりしてそばだちぬ溶巌ながれしあとはおそろし
鹿児島の名所を人力車にて見てめぐり疲れてをりぬ妻と吾とは
わが友はここに居れどもあわただし使を君にやることもなし
城山にのぼり来りて劇しかりし戦のあとつぶさに聞きて去る
開聞のさやかに見ゆるこの朝け桜島のうへに雲かかりたる
大隅は山の秀つ国冬がれし山のいただき朝日さすなり
霧島は朝をすがしみおほどかに白雲かかるうごくがごとし
霧島はただに厳しここにして南風に晴れゆきしとき
長崎
三月十四日。雪大に降、諸家に暇乞にまはる。夜茂吉送別歌会を長崎図書館に開く
長崎をわれ去りゆきて船笛(ふなぶえ)の長きこだまを人聞くらむか
帰京
大正六年十二月長崎に赴任してより満三年三月余、足掛五年になりて大正十年三月帰京しぬ
長崎の昼しづかなる唐寺(からでら)やおもひいづれば白(しろ)きさるすべりのはな
長崎にて暮らししひまに虫ばみし金槐集(きんくわいしふ)をあはれみにけり
山水人間虫魚(1)
林間
山ふかき林のなかのしづけさに鳥に追はれて落つる蝉(せみ)あり
松かぜのおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも
谷ぞこはひえびえとして木下(こした)やみわが口笛(くちぶえ)のこだまするなり
あまつ日は松の木原(きはら)のひまもりてつひに寂(さび)しき蘚苔(こけ)を照(てら)せり
燈下
高はらのしづかに暮るるよひごとにともしびに来て縋(すが)る虫あり
月夜
高原(たかはら)の月のひかりは隈(くま)なくて落葉(おちば)がくれの水のおとすも
ながらふる月のひかりに照らされしわが足もとの秋ぐさのはな
飛騨(ひだ)の空に夕(ゆふべ)の光のこれるはあけぼのの如(ごと)くしづかなるいろ
飛騨(ひだ)の空(そら)にあまつ日おちて夕映(ゆふばえ)のしづかなるいろを月てらすなり
わがいのちをくやしまむとは思はねど月の光は身にしみにけり
洋行漫吟
十一月二十四日。セイロン・コロンボ
椰子(やし)の葉をかざしつつ来(く)る男子(をのこ)らの黄なるころもは皆仏子(ぶつし)にて
十一月二十六日。印度洋
わたつみの空(そら)はとほけどかたまれる雲の中(なか)より雷(らい)鳴りきこゆ
十二月一日。アデン湾。三日。紅海
空のはてながき余光(よくわう)をたもちつつ今日(けふ)よりは日がアフリカに落つ
海風(うみかぜ)は北より吹きてはや寒しシナイの山に陽(ひ)は照りながら
砂原(すなはら)のうへに白々(しろじろ)と穂(ほ)にづるはしろがね薄(すすき)といふにし似たり
はるばると砂に照(て)りくる陽(ひ)に焼けてニルの大河(おほかは)けふぞわたれる
黒々としたるモツカを飲みにけり明日よりは寒き海をわたらむ
ルウヴルの中にはひりて魂(たましひ)もいたきばかりに去りあへぬかも
大きなる都会(とくわい)のなかにたどりつきわれ平凡(へいぼん)に盗難(たうなん)にあふ