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やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川/斎藤茂吉「白き山」

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「やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川」

斎藤茂吉『白き山』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

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やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川

読み:やまいより いえたるわれは こころたのし ひるふけにして こんのもがみがわ

歌の意味

病気が癒えた自分は心が楽しい。昼もたけなわの紺色の最上川が見えれば一層その思いが強くなる

歌集 出典

『白き山』-「ひとり歌へる」より

歌の語句

・最上川……山形県を流れる国内最長の川
山形県は茂吉の故郷であり、最上川はふるさとの川となる

・昼ふけ…… 「ふける」は度合いが深くなる意味の動詞だが、「昼ふけ」という言葉は、用例が見当たらず、本来はない言葉であると思われる。おそらくは「夜更け」の対語の作者の造語

表現技法と文法

「やまひより癒えたる」に時間の経過がある。

「たり」について

「たる」は基本形「たり」助動詞。完了と存続の二つの意味がある。

「たり」は、「つ」「ぬ」「り」とともに完了の助動詞であるが、「たり」の基本の意味は、「り」と同様に動作・作用が行われてその結果が残っていることを表す存続である。

完了と存続の見分け方については、文脈で判断しなければならないが、便宜的に存続の「…ている」「…てある」で訳してみて、文脈に合えば存続。そうでない場合は完了と判断すればよい。

・一般的に短歌の主語は「われ=作者」とみなされているので、特に「われは」は要らないのであるが、これも茂吉の特徴という人もいる

おそらく、今の状態から見て、「病気が治った」ことを、読み手に対して説明として入れているためのように思われる。

 

鑑賞と解釈

昭和21年から22年の山形県大石田の疎開中に詠まれた歌、「ひとり歌へる」中の一首。

「ひとり歌へる」は、『人間』誌において41首の大作として発表されたもので、塚本邦男の言うように、秀歌が多い。

肋膜を病んで治癒

茂吉が山形県に疎開し、昭和21年3月上旬には、肋膜を病んだ。今でいう肺炎と思う。

6月まで治癒するには、およそ3か月もかかったらしい。入院などはなく、住み込みの看護婦を雇って、自宅での療養であった。現代ならば、もっと早くに治ったと思われる。

それだけの間を病臥していたので、治った時の喜びはひとしおであったろう。

翌22年の作品

病が癒えた歌は、これよりも前に21年7月の作に見られるのだが、この歌は、昭和22年5月号の発表の歌であることも記載しておく。

治癒の直接の喜びからは日が経っており「病より癒えたるわれは」の部分が、やや説明調に思えるのもそのためかもしれない。

「昼ふけにして」の「昼ふけ」はおそらく茂吉の造語になるのだろう。

「こころ楽し」は「こころは楽し」なのだが、助詞を省略として、6文字の字余りで3句に収めている。

そのため、4句「昼ふけにして」と「紺の最上川」の定型、特に、結句の「紺」の弾むような音と「最上川」の体言止めが、よりくっきりと強調されることになっている。

字余りもこのような効果を踏まえて使われているとみるべきだろう。

塚本邦雄は、これについて、他の自祝作と比べて、この歌が特に優れているとして

「紺の最上川」は、歌の中から生命力があふれ出て、作者と最上川を荘厳しているようだ。秀作たるゆえんである」

と述べている。

塚本が、その前に対照したのが、茂吉も拙歌と自ら言う

病癒えて家をいづればみぎりひだりあはれ目につくほそき夏くさ

そして、

やまひ癒えてわが歩み来しこの原に野萩の花も散りがたにして

二首種目の歌は、最初の歌よりは良いと思われる。

しかし、なぜこれらの歌に比べて「紺の最上川」が、秀歌と感じさせるのかは、その決定的なことを述べようとしても、文法を解説するようにきっちり述べるのは難しい。

そして、その述べられない中に、短歌の秘密があるような気がする。




佐藤佐太郎の評と解説

「やまひより癒えたる」という言い方は、体から直に出た端的な言葉であり、「こころ楽し」も晴れ晴れとした風光を暗示している。このように状景の楽しさをいうために、自身のことをまずいうのが、作者の抒情詩の表現方法である。

「昼ふけにして紺の最上川」に至っては、重厚でさわやかで、胸の開く表現である。実質が充満していながら、遊んでいるような言葉である。「コン」というような跳ねる音を平然として融和せしめた力量も偉大である。

状景そのものにある、晴れた日の明るく濃厚な感じを、このように自信と自然とを不可分に流露せしめて、密度と容積とのある下句を据えたのは実に完備した表現である。

「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

道のべに蓖麻ま花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日

くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ

ふかぶかと雪とざしたるこの町に思ひ出ししごと「永霊」かへる

オリーヴのあぶらのごとき悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや

最上川ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも

--『白き山』-ひとり歌へる

 




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