ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
斎藤茂吉『白き山』から、疎開中に詠んだ最上川詠の中の主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
語の注解と塚本邦雄の注解も併記します。
スポンサーリンク
ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
読み:ながらえて あればなみだの いづるまで もがみのかわの はるをおしまん
歌の意味
戦争も病も超えて生きながらえてここにある私は、涙の出るまで最上川の美しい春をいつくしもう
作者と出典
斎藤茂吉『白き山』 「ひとり歌へる」
歌の語句
歌の語句の解説です
ながらう
・ながらう
【永らふ/長らふ】「ながらえる」の文語形。
「命を長く存続させる。長く生きつづける」の意味。生きながらえる。
最上の川
・最上の川
「最上川」のこと
最上川は、山形県を流れる国内最長の川、山形県は茂吉の故郷であり、最上川はふるさとの川となる
おしまむ
・おしまむ
基本形「おしむ」 「愛しむ」とも書く「愛する。めでる。慈しむ」の意味。
表現技法と文法
・「あれば」順接の確定条件、「だったので」の意味。
・「おしまむ」の「む」は意志を表す未来の助動詞
鑑賞と解釈
昭和21年から22年の山形県大石田の疎開中に詠まれた歌、「ひとり歌へる」中の一首。
「ひとり歌へる」は、『人間』誌において41首の大作として発表されたもので、塚本邦男の言うように、秀歌が多い。
戦争と肋膜炎の治癒
茂吉が山形県に疎開し、戦争は終結。
しかし、昭和21年3月上旬には、肋膜を病んだ。今でいう肺炎と思うが、治るまで3か月かかるという重症であった。
「ながらえてあれば」は、その両方をからくも超えて、今ここに命があることを思う。
「最上の川の春」は、北国の春の特別な喜びとその美しさを表す。
せっかく命のある身、最上川の美しい景色を愛しもうという意味と同時に、生き残った己自身の命を大切に生きようとする作者の意志が宇かがえる。
同じ最上川詠に、直截に病気の回復を詠んだ
やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川
もあるが、こちらの歌は、単なる回復というのではなしに、もっと深い喜びが感じられるものとなっている。
塚本邦雄の評
「茂吉秀歌」の塚本邦雄のこの歌の評は以下の通り
「ながらへて」には、敗戦後からの、短くかつ無限に長い時間の流れと凝縮がある。まさに眼前の死を見ながら、あるいはしぬべきであったこの身が、生きながらえていたからこそ、また春に逅い得たのだ。
2、3句にまたがる、「涙のいづるまで」には、作差者の感極まった表情と、同時に心弱りが見える。
よくこそながらえていた。この、なにものかに対する謝意が「涙のいづるまで」であった。しかも、それは、母なる川、最上川に寄せる、作者独特の思い入れと考えてよかろう。
一連の歌
道のべに蓖麻ま花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく
やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川
うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日
くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ
ふかぶかと雪とざしたるこの町に思ひ出ししごと「永霊」かへる
オリーヴのあぶらのごとき悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや
最上川ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも
--『白き山』-ひとり歌へる