長塚節を詠んだ斎藤茂吉の追悼の短歌をご紹介します。
きょう2月8日は、長塚節の節忌日です。長塚節と斎藤茂吉の関係についても記します。
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長塚節とは
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長塚節は長塚節(たかし)は、茨城県生まれ。水戸中学の後、正岡子規に短歌を師事。伊藤左千夫と並ぶ、初期アララギの代表的な歌人の一人です。
斎藤茂吉は、伊藤左千夫の弟子として、アララギに入門、長塚節は、正岡子規に会って指導を受けましたが、斎藤茂吉は、正岡子規が亡くなった後の入門であり、伊藤左千夫は師、長塚節は、兄弟子にあたることとなります。
斎藤茂吉が『赤光』の評を依頼
長塚節と茂吉のかかわりで、大きな出来事は、『赤光』の評を節に茂吉が頼んだにも関わらず、出来上がらなかったということです。
長塚節の書きかけの解説文は、『赤光書入れ』としてまとめられていますが、完成はしませんでした。
理由の一つには、節が結核にり患したのでそれどころではなかったという説があります。
ただし、それよりも、節は、茂吉の短歌にそれほどの興味を持たず、熱心になれなかったのではないかとも推測できます。
いずれにしても残された、『赤光書入れ』は断片的なメモのようなものとなっていますが、たびたび引用がなされています。
斎藤茂吉の長塚節追悼歌
一周忌における、斎藤茂吉の長塚節追悼の短歌は、歌集「あらたま」に以下の作品があります。
うつうつと眠りにしづみ醒めしときかい細る身の辛痛(せつな)かりけむ
しらぬひの筑紫のはまの夜さむく命かなしとしはぶきにけむ
あつまりて酒は飲むともかなしかる生(いき)のながれを思はざらむや
つくづくと憂にこもる人あらむ此のきさらぎの白梅のはな
君が息たえて筑紫に焼かれしと聞きけむ去年のこよひおもほゆ
また、九州で長塚節を診察した九州医大の久保猪之吉博士とその夫人からも、節のことを伝え聞いたようです。
万屋に吾を訪ひまし物語るよりえ夫人は長塚節のこと
この久保夫人は、節が「鍼の如く」の代表作
白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くにみけり
を披露する場面が、藤沢周平の伝記小説「白き瓶」の一場面として書いています。