7月10日は納豆の日、昭和56年に関西地域限定の記念日として制定されたのが最初です。
納豆で思い出すのは、斎藤茂吉の納豆の短歌「わが生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ」。
今日の日めくり短歌は茂吉の納豆の歌をご紹介します。
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7月10日は納豆の日
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7月10日は納豆の日だそうです。
「納豆の日」を決めたのは、消費量の多い、東北福島か、茨城かと思っていたら、なんと関西が発祥だというので驚きました。
最初は関西の地域限定であったというのですが、関西の人は納豆を食べないと聞いていたので意外でしたね。
納豆の日の成り立ち
納豆の日の説明は、以下の通りです。
納豆の日は、「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせから、関西納豆工業共同組合が関西における納豆の消費拡大のため、昭和56年に関西地域限定の記念日として定めました。 その後、全国納豆共同組合連合会が平成4年に改めて7月10日を「納豆の日」と決めたことで全国的な記念日になりました。―総務省統計局HP
今日の「日めくり短歌」は、納豆の出てくる、斎藤茂吉の短歌をご紹介します。
斎藤茂吉の記事:
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
わが生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ
読み:わがせいは かくのごとけむ おのがため なっとうかいて かえるゆうぐれ
歌の意味
出典は、茂吉の最後の歌集『つきかげ』。
この時茂吉は、68歳、自分のために納豆を買って日暮れの路を帰る、これが自分の人生であり、生活であるという意味です。
ある意味、寂しい老年の生活を伝える歌です。
鰻好きな斎藤茂吉
茂吉の食べ物の歌と言えば、有名なのは鰻なのですが、「ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過ぐと言はむとぞする」という歌があります。
年を取ったので、それまでの贅沢な好物すら、次第に口に合わなくなったようで、それゆえの晩年の質素な食の好みでもあるのでしょう。
この年の次には、
われつひに六十九歳の翁(おきな)にて機嫌よき日は納豆など食む
という歌もあり、けして納豆が侘しいものというのではなかったようです。
生のワンシーン
当時茂吉は、息子の斎藤茂太夫婦と同居、お嫁さんである美智子さんが茂吉の注文にこたえたお味噌汁なども作っていたことが、美智子さんによって伝えられています。
このような歌も残されているのは、家族関係が寂しいものであったというよりも、老年の心境も加わっているといえそうです。
「わが生はかくのごとけむ」で、素朴な生活のワンシーンに、これまでの人生を集約させる内容の一首です。