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『赤光』の書評まとめ 斎藤茂吉の短歌の評価と功績

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『赤光』は大正から昭和の時代の日本の代表的な歌人、斎藤茂吉の代表作である第一短歌集です。

『赤光』は歌壇のみならず、文壇にも大きな影響を与えました。当時を含めて『赤光』の評価はどのようなものであったのか、『赤光』の書評をこちらにまとめておきます。

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『赤光』の書評

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『赤光』は、明治38年(1905年)~大正2年(1913年)の作品を集めて、大正2年(1913年)10月に東雲堂書店から刊行されました。

最初の歌集でありながら、評判がひじょうに高かったと言われています。

『赤光』について、各人が書評を書いたものをまとめました。

北原白秋の『赤光』の書評

北原白秋の『赤光』の評です。

私は驚喜して、心から推讃の私書を送った。不可思議な奇異な感覚、何よりもまずその奇異な感覚にうたれて了(しま)ったのであった。それに万葉の古調は却って別種の清新さを以て私に迫った。

また、白秋は『梁塵秘抄』を耽読したことと『赤光』の賛嘆と並列して

万葉の古語もそういう意味で、私に極めて珍奇に響いたのであった。

と斎藤茂吉の万葉調にも触れています。

 

芥川龍之介の『赤光』評

芥川龍之介は、斎藤茂吉の短歌を絶賛、斎藤茂吉の短歌の中のアイテムを書き並べ、ファンともいえるような愛好の情を示しています。

僕は高等学校の生徒だった頃に偶然「赤光」の初版を読んだ。

「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。爾来(じらい)僕は茂吉と共におたまじゃくしの命を愛し、浅茅(あさじ)の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。(中略)

僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になったのでもない。斎藤茂吉にあけて貰ったのである。―「僻見」より

 

土岐善麿の『赤光』の評

発表当時の『赤光』の評価は以下の通りです。

(前略)一首一首、みな驚かれるようなもののみである、驚かれるというのは、僕の平成接触⒮る世界、また僕の日常経験する世界とは全く別な、或いは別でないにしても、その接触のしかた、経験のしかたが、よほど違っているのである。―無署名「新刊」『生活と芸術』1913年12月)

その違いについては、

とにかく一種怪奇な天地である。それはこの著者の独自の世界である。キラキラしく顫(ふる)えるような、光とも影ともわからぬような、あらゆる音響の無くなってしまったような、ここにいてどうすればいいのかわからなくなるような、新しい世界の創造、僕はまず何よりもこの一つの事業をこの著者に祝福しなければならない。

以上は、匿名の評として、本誌に掲載されたものですが、この評の文章を紹介した品田悦一氏は、歌人の土岐哀果(土岐善麿)によるものと推測を述べています。

 

現代における『赤光』の評

斎藤茂吉の短歌を研究、解説する品田悦一氏の『赤光』についてまとめた中に、下のような総評があります。

『赤光』とは、生きてこの世にあることを大いなる奇蹟と感じた男が、まのあたりに生起するあらゆる事象に目を見張り、戦き、万物の生滅を時々刻々に愛惜し続けた心の軌跡なのだと思います。そこには自明なことがらは何一つありません。ことばを覚え始めた幼児にとってそうであるように、世界は真新しく、謎に満ちている。 燦爛と光が降り注ぐただ中に変な裂け目がいくつもあって、途方もない暗黒が覗けている。作歌を通して茂吉は、<世界があること>と<自分がいること>とが同時に開けてくるような次元を相手取っていたのです。存在の根源的な不可解さと向き合っていた、と言ってもいい。

品田氏は、『赤光』の特色を「異化」というキーワードでとらえ、『赤光』を「異化の歌集である」として、その内容を分析しています。

 

塚本邦雄の書評

現代短歌の歌人でもある塚本邦雄は、現代においても斎藤茂吉を高く評価するべきとして、以下のように『茂吉秀歌』の冒頭に記しています。

一首一首の、主題、意図するところは各論に詳述するとして、わずか7首を見ても、これが近代短歌、否、近代文学の画期的な収穫であったことはおのずから明らかであろう。またそれは「近代」のみならず、「現代」においても重要な意味を持ち、影響するところは大きい。滅びの詩歌であった短歌は、その最後の炎上を、この天才の誕生によって試み、以後我々の見るのは、ことごとく余燼ではないかとさえ私は時として考えるのだ。―『茂吉秀歌』

また、斎藤茂吉の短歌が生まれた背景として、当時の日本の文化の状況を下のように指摘しているところも見逃せません。

明治末年、すなわち20世紀初頭は、真に日本のルネサンス期であった。(中略)
作者の朴訥極まる自解の弁や歌論の文言からは、熱気を帯びた当時の文壇復興から爛熟に至る機運、雰囲気はほとんど窺い得ぬ。 だが、作品は決して偽らない。アララギの「写生」の枠内で、次のような、1901年以降13年のクロニクルに列記した証人が、龍力な示唆を与えてくれよう。

列記した証人というのは、与謝野晶子、上田敏、窪田空穂、夏目漱石、若山牧水、志賀直哉、北原白秋、石川啄木、泉鏡花など、歌壇や短歌にはとどまらない、文学者たちの登場を指します。

そして、斎藤茂吉もそのような中で生まれ、その作品の集成が『赤光』であるというのです。

『赤光』評まとめの終りに

以上、『赤光』の刊行当時と、現代における評価をまとめてお知らせしました。

『赤光』と斎藤茂吉の総論としては、斎藤茂吉の「万葉調」を含めた、品田悦一氏の詳細な解説のある本をおすすめします。

関連記事:
『斎藤茂吉 異形の短歌』品田悦一著 「死にたまふ母」解説

一首ずつの評に関しては、塚本邦雄の『茂吉秀歌』をぜひご覧ください。




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