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寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々と通草の花ちりにけり「死にたまふ母」斎藤茂吉『赤光』

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寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々(くろぐろ)と通草(あけび)の花ちりにけり

斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。

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斎藤茂吉の記事案内

 

『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。

「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々と通草の花ちりにけり

現代語での読み:さびしさに たえてわけいる やまかげに くろぐろとあけびの はなちりにけり

作者と出典

斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 13首目の歌

現代語訳

寂しさをこらえて山の茂みに分け入ろうとすると、アケビの花が黒々と散っていた

歌の語句

・アケビ…山野に生えるつる性の植物。実は甘く食用にされる

・「に」…完了の助動詞「ぬ」の連用形だが、この歌では存続の意味がある

・「けり」の文法解説

けり

動詞「く(来)」の連用形に動詞「あり」の付いた「きあり」の音変化から動詞・助動詞の連用形に付く。 過去に起こった事柄が、現在にまで継続してきていることを表す。「…してきた」の意味

句切れと表現技法

・句切れなし

・4句字余り




解釈と鑑賞

歌集『赤光』「死にたまふ母」の其4の13首目の歌。

作者茂吉は母の火葬の後、蔵王山の高湯温泉の旅館に滞在して帰京した。

周辺の山を散策する場面に母を亡くしたばかりの心境が反映されている。

初版との違い

なおこの歌は初版では

寂しさに堪へて分け入る我が目には黒ぐろと通草の花ちりにけり

というものであって、3句が改作されている。

「ほのか」の語

「ほのか」の言葉は、一連の2首目「ほのかなる通草(あけび)の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ」にもみられる。

どちらの歌も「ほのか」はアケビの花にかかるものだが、実は「寂しさ」とも組み合わせて使われているところに共通性がある。

 

初稿の「我が目には」は、作者自身のみを他の人と差別化する意味愛がある。

つまり「母を亡くしたばかりの自分」という意味合いだろう。

アケビの花の散る様は、母の命を象徴する喩として用いられている。

 

蔵王山の場所

一連の歌

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