死にたまふ母

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ 死にたまふ母 斎藤茂吉「赤光」

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斎藤茂吉の代表作短歌集『赤光』の有名な連作、「死にたまふ母」の「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の歌の現代語訳と解説、観賞を記します。

「赤光」の歌一覧は、斎藤茂吉「赤光」短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞にあります。
「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の語の注解と解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した「赤光」の歌の詳しい解説と鑑賞があります。

※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列していますので、合わせてご覧ください。

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我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ

読み:わがははよ しにたまいゆく わがははよ わをうましちたらいしははよ

歌の意味と現代語訳

お母さん、今死んでゆかれてしまうお母さん、私を生んでくださったお母さんよ

 

歌の語句

たまふ・・・尊敬語
生まし・・・ 生みし、ではない。よって尊敬語。「お生みになり」の意。
乳足らひし・・・足乳根(たらちね)のからの造語

表現技法

「よ」は詠嘆の助詞とその反復

解釈と鑑賞

この歌で議論されたのは「死にたまひゆく」の意図的な文法の誤用である。

「たまふ」は尊敬語であり、「死にゆく」はそれで一つの複合動詞なので、死にゆくを敬語としたいなら、「死にゆきたまふ」となるのが通常だが、作者は敢えて「死にたまひゆく」とした。

土屋文明はその点を「語法としては無理がないとは言えまい」と指摘。

塚本邦雄は「『死にゆく』を両断して一方を敬語かするのは、随分破格の措置と言わねばならない」とやはり誤りを指摘する。

斎藤茂吉のコメント

それについて、斎藤茂吉本人は

「詠嘆の助詞を3つも使っているので軽くすべっていったかと思ったが、必ずしもそうではなかったのは、感情が切実なためであっただろう」(「作歌四十年」)

塚本邦雄の分析

塚本邦雄は、それを、下句の字余りにあると分析する。

「わをうまし/ちたらいしははよ」の、5音8音の破調、「乳足らいし」という見過ごせない造語の工夫共に、作者のいう「すべっていく」、つまりカンカツになり過ぎることを避ける意図的な工夫があるとみてよい。

歌の内容は、母に対する呼びかけのみであるが、この歌はそのような工夫によって支えられている。

母の臨終時に際して、ほとんど瞬間的に迫った激 情を一気に表白している、こういう種類の歌は従来ほとんどなく、石川啄木に例があるくらいだが、啄木のはもっと余裕があって、これほど急迫した感情ではな い。
「死にたまひゆく我が母」でも「我を生まし」でも、実作者の立場から見ればその直接性は驚くばかりである。(「茂吉秀歌上」佐藤佐太郎)

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