かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火焔の香する沢庵を食む
斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
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かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火焔(ほのほ)の香する沢庵を食む
読み:かえりこし いえにあかつきの ちゃぶだいに ほのおのかする たくあんをはむ
歌の意味と現代語訳
留学から帰りついた家での早朝のちゃぶ台での朝食に火事のなごりの焦げ臭い沢庵を食べている
出典
「ともしび」大正14年
歌の語句
- かへりこし…帰る+来た 帰ってきた
- あかつき…夜明け、早朝
- ほのほ…火事で焼け残ったため焦げ臭い、との意味
修辞と表現技法
- 句切れなし
- 2句の「に」、3句の「に」に重複がある (以下の佐藤佐太郎の解説参照)
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斎藤茂吉『ともしび』短歌代表作品 解説ページ一覧
鑑賞と解釈
大正14年、斎藤茂吉はドイツ留学から東京の家に帰宅。船上で既に自宅と病院が全焼した知らせを受け取っていた。
「火焔(ほのほ)の香」というのは、焼け残った沢庵が焦げ臭いという意味である。
「ちゃぶ台」というのも、それまで使っていた食卓ではなく、家族が食事をするため、出してきた急ごしらえの食卓だったのだろう。今までの家ではなく、焼け残った建屋の方で生活したとある。
あとは、佐藤佐太郎の解説に詳しいが、先に抜き書きすると、
「ともしび」の初めの方の歌は新帰朝者の感覚であって、沢庵の香も日本的なものとして身に染みたかもしれないが、しかしそれよりも火炎をあびた匂いだというところに重点があった。(中略)島木赤彦の円熟期で、アララギ全体が澄んだ境地をめざしていた。その中にほとんど忽然として、こういう現実感の濃い響きの強い歌が現れたのである。」
斎藤茂吉の自解
『作歌四十年』の斎藤茂吉のこの歌の自註では
火難後の生活である。かろうじて焼け残った沢庵を食べれば、火焔を浴びて焦げ臭いもののみであった。自分は当時ひじょうに感動して、歌をもっと作るつもりでいたが、歌数があまり出来ずにしまった。
佐藤佐太郎の評
ひとつのちゃぶ台に集まって朝食をすると 沢庵が焦げくさい。それを「火焔の香」といったのは歌人としての力量だが、この覇気に満ちた言葉があって、一首は不思議な切実さを帯びている。
「家に」と いってさらに「ちやぶ台に」という渋るような調子も、「ちやぶ台」という俗な語も、現実の切実さと一体になって重厚に響く。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
とどろきてすさまじき火をものがたる稚児(をさなご)のかうべわれは撫(な)でたり
やけのこれる家に家族(かぞく)があひよりて納豆餅(なつとうもちひ)くひにけり
やけあとのまづしきいへに朝々(あさあさ)に生きのこり啼(な)くにはとりのこゑ
焼あとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶(た)えし空(むな)しさのはて
かへりこし家にあかつきのちやぶ台(だい)に火焔(ほのほ)の香(か)する沢庵(たくあん)を食(は)む
家いでてわれは来(こ)しとき渋谷(しぶや)川(がは)に卵のからがながれ居(ゐ)にけり