斎藤茂吉の新年詠は、歌集『遍歴』以降毎年詠まれています。
斎藤茂吉の、年頭に詠む短歌の代表的なものを各歌集よりご紹介します。
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斎藤茂吉の新年詠、新春詠
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斎藤茂吉が詠む、新春詠は、『赤光』や『あらたま』など初期にはなく、大正13年『遍歴』に至って初めて詠まれています。
欧羅巴にわたりて第三回のこの新年を静かならしめ 大正13年『遍歴』
父母のことをおもひていねざりし一夜あけぬるあまつ日のいろ 大正14年『遍歴』
茂吉の父伝衛門は、茂吉がウィーン滞在中の大正12年に逝去。
知らせを受け取った折のことを「七十四歳になりたまふらむ父のこと一日思へば悲しくもあるか」と詠んでおり、新年にさまざまのことが思われたのでしょう。
しみとほるあかときみづにうつせみの眼あらひて年ほがむとす 昭和2年 『ともしび』
新しき年のはじめに貧しきも富めるも食ひたきものを食ふらむ 昭和5年 『たかはら』
上はありそうな新年詠ですが、下はいくらかおもしろいものです。
あたらしき年のはじめは楽しかりわがたましひを養ひゆかむ 昭和6年 『石泉』
おしなべて戦いのごとくせまりけるきびしき世にしわれ生きむとす 昭和7年 『石泉』
年頭に自身の決意を詠む歌は多く見かけます。ありきたりになりがちではありますが、新年詠の常套でもあるようです。
あさ明けしわたつみのうへにしろたへの雲ひとつなし和(な)ぎにけるかも 昭和8年 『白桃』
新年の風景。昨日までと何ら変わることのないものでも、気持ちを新たにとらえるところで歌になるでしょう。
とことはのよはひを籠めてひむがしのわたつみのうへに雲しづまりぬ 昭和11年 『暁紅』
豊年(とよのとし)のはげみに集ううからやから朝早くより為事(しごと)初めせり 昭和12年 『寒雲』
この辺りから、戦争の影響が出ている歌も見られますが、変わらない雄大な自然、そして、ごく身近な情景を詠ったものも見られます。
白き餅(もちひ)われは呑みこむ愛染も私ならずと今しおもはむ 昭和16年 『霜』
『白き山』には、「春彼岸に吾はもちひをあぶりけり餅は見てゐるうちにふくるる」という歌があり、餅は好物だったようです。
「愛染」とは煩悩のことで、餅を味わっているこの時には、「煩悩」についての戒めなど自分に及ぶものではないという意味でしょう。
あまのはら亂(みだ)れむとするものもなくほがらほがらと朝明けわたる 昭和21年『小園』
この歌を塚本邦雄は『茂吉秀歌』の中で「ある意味抵抗歌の傑作」としています。
新年詠を詠むには
新しい年明けにふさわしい事物を詠むのがいちばんです。
上の茂吉の歌を参考にすると、「このようであってほしい」という新しい年への祈念、すがすがしい気持ちをもって見る新年の風景詠、新しい年の抱負や決意などを詠み込んでいます。
通り一遍になりがちではあっても、新春詠は毎年読みたいものです。どうぞ参考に、ご自分の作品をお作りになってみてくださいね。