斎藤茂吉

斎藤茂吉の戦争の短歌  歌集『小園』より代表作「百房の葡萄」

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斎藤茂吉の歌集『小園』から、戦争に関する歌、終戦前後の歌をご紹介したいと思います。

静かでありながら、厳しくも美しい終戦後の日々、疎開した故郷山形の地で、斎藤茂吉の日々を短歌で追っていきます。

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斎藤茂吉の戦争の短歌

斎藤茂吉は、戦争に協力する讃歌を作ったとして、その責任が取り沙汰された期間がありました。

しかし、ここで取り上げるのは、戦争の讃歌ではなくて、それ以外の作品です。

特に『小園』以降の作品については、胸に染み入るような、厳しくも静かで美しい歌が多いのですが、秀歌や佳作といったようなものではなく、一つ一つが批評の範囲を越えるものです。

まずは時間順に、第一歌集の『赤光』にさかのぼってみましょう。

『赤光』の戦争の短歌

第二次世界大戦よりずっと前、日露戦争については、

はるばると母は戦を思ひたまふ桑の木の実の熟める畑に

書よみて賢くなれと戦場のわが兄は銭を呉れたまひたり

斎藤茂吉の次兄富太郎が、日露戦争に従軍した際の歌です。

 

かへり来て今日のうたげに酒をのむ海のますらをに髯あらずけり

というような、帰還兵の姿も描かれています。

 

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり

一方、『赤光』のそれより後の方には、難解と言われたこの歌も有名です。

上海事変を詠んだものですが、上の句と下の句との間につながりがない、心境の形容などもないため、「難解」と言われたのでしょう。

茂吉本人は「そのまま読んでくださればいいのである」と言っています。

開戦の一つの気分を表そうという、鳳仙花を象徴として扱った歌であるでしょう。




斎藤茂吉『小園』の戦争の短歌

そして、明治時代の習作をも収めた『赤光』から、時が経って昭和18年以降の『小園』に移ります。

終戦は昭和20年ですから、戦争末期から『小園』は、終戦前後の歌を集めた歌集ということになります。

ここでは、『赤光』における戦争のように、もはや戦争は傍観すべきものではなくなっているのです。

終戦の前後の歌

終戦の前後の歌からご紹介します。

 

南瓜(たうなす)を猫の食ふこそあはれなれ大きたたかひここに及びつ

戦争中の食糧難を表す歌。

南瓜とはかぼちゃのことで、猫が思わぬものも食べようとした出来事を詠んでいます。

東京の食糧事情も厳しくなり、茂吉はその後郷里に疎開をします。

 

きぞの夜も猛火あがりぬといふなべに止みがたくして都し思ほゆ

空襲のニュースに詠まれた歌。

山形のこととて食べものの心配はなかったようですが、病院の残っている東京のことはやはり気がかりだったでしょう。

 

空襲の二日つづき雲凝りしここのあがたの山に日の入る

しかし、山形においても空襲とは無縁ではなかったことが、この歌でわかります。

終戦の日の玉音放送

そして、終戦の歌

新島ゆ疎開せる翁(おう)とつれだちて天皇のみこゑききたてまつる

ただ、淡々とその日の情景を表したものとなっています。

終戦から5日後の歌

停戦ののち五日この村の畑のほとりにわれは休らふ

秋たちてうすくれなゐの穂のいでし薄(すすき)のかげに悲しむわれは

これは、玉音放送から5日が経ったと示され、その時の行動と心境が察せられます。

この「悲しむ」は、やはり、終戦の後の悲しみでありましょう。




体験の一回性

ものなべてしづかならむと山かひの川原の砂に秋の陽のさす

秋晴れのひかりとなりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も

しかし、それから、やや時が経つと、作者茂吉は上のような歌を詠みます。

これらの歌について佐藤佐太郎は、

「二首とも赤い日の光で、遠い古から国土の上を幾度照らしたかしれない日の光であるが、この時ほど静かに明かな光はかつてなかった」といい、そういうただ一度だけの感慨をこの歌は持っている」

として、この光の体験の一回性を強調しています。

なぜかというと、それは敗戦の悲痛を背景にしての自然であるからに他なりません。

いつもと同じ景色ではあっても、見る人の心境が同一でない以上、景色も同一ではないのです。

この歌に表されているのは、「恩寵に対する感謝と癒えようとするものの希求」と佐太郎は表しています。

しかし、これで一気に晴れ晴れとした気持ちになってしまうわけではなく、「悲嘆と悔恨との谷」が『小園』にはいくつもあるのです。

 

水せまる岸のなぎさにたむろして草もみぢせりかなしきまでに

小さな水辺の草の紅葉にも、悲痛なものを見出す心境が表されます。

見る者にある種の痛みのようなものがなければ、このようには見えません。歌を作るのは、詠み手の情動なのだということがわかります。

さらに、

このくにの空を飛ぶときかなしめよ南へむかふ雨夜かりがね

なぜ雁に「悲しめよ」なのかは言うまでもなく、戦いに敗れたことへの悲しみが残っているためなのでしょう。

雁が飛んでいくその下には、戦いに敗れた国の山河がある、そこに作者は、国を持たない雁を見上げているのです。

「雨夜かりがね」は、雨の夜に飛ぶ雁からの造語に近い言葉ですが、「うらがれに しづむ花野の 際涯より とほくゆくらむ 霜夜こほろぎ」「おほははのつひの葬り火田の畔(くろ)に蛼(いとど)も鳴かぬ霜夜はふり火」などにも見られる、茂吉独特の体言止めの用法です。

「沈黙の絶唱-百房の葡萄」の代表作

そして「沈黙の絶唱」とも言うべき次の作品

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄の雨ふりそそぐ

むしろ、茂吉は終戦後に、戦争を鼓舞する歌を書いたということで、それへの批判が届いたこともあったようですが、それに対しての「沈黙」であったのかもしれません。

この歌は、この歌集『小園』の代表作品となっています。

くやしまむ言も絶えたり爐のなかに炎のあそぶ冬のゆふぐれ
目のまへに並ぶ氷柱(つらら)にともし火のさす時心あらたしきごと

戦いの後の諦観のようなものの隣り合わせに、見つめたものの中に、癒えようとする気持ちの反映もあります。

このような目を持って見る、東北地方の自然は、美しくまた厳しいものとして展開します。

蟄居する自分のことを茂吉は

 あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり

ユーモラスに詠みながら、

 

うつしみのわが息息を見むものは窗(まど)にのぼれる蟷螂(かまきり)ひとつ

と、自らの孤独を蟷螂に語らせるかのように表します。

『小園』には、まだまだご紹介したい歌がたくさんあります。

どうぞ、自らお手に取ってご覧になってみてください。

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