斎藤茂吉の飛行機に初めて乗った時の歌が、朝日新聞の「天声人語」にエピソードと共に紹介されていました。
歌集『たかはら』にある、斎藤茂吉の機上詠「虚空小吟」についてお伝えします。
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斎藤茂吉、土岐善麿、前田夕暮の「空中競詠」
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斎藤茂吉が初めて飛行機に乗ったのは、昭和4年11月、朝日新聞のイベント「空中競詠」でした。
その頃作られた飛行機、コメット第102号機に、歌人がのせられて、飛行機詠を競詠するというもので、同乗した歌人は、斎藤茂吉の他、土岐善麿、前田夕暮、吉植庄亮の4人でした。
あたかも空の只中で歌会を催すかのような、臨場感あふれる「空中競詠」との見出しが人々の興味を引いたのは言うまでもありません。
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飛行機詠「作歌四十年」から
その時、詠んだ歌の中から、茂吉自身が「虚空小吟」としてまとめ、歌集「たかはら」に収録。
その中から、茂吉自身の注釈である「作歌四十年」に取り上げた最初の部分が、下の歌です。
コメツト第百二号機はとどろけり北より吹ける風にむかひて
山なみの起伏し来るありさまを一瞬(ひととき)に見ておどろきにけり
くろき海の光を放つ時のまの寂しきを見つ天(あめ)のなかより
直ぐ目のしたの山獄よりせまりくるChaos(カーオス)きびしきさびしさ
いのち恐れむ予覚のきざしさへなしむなしき空を飛びつつぞ行く
まむかうの山間(さんかん)に冷肉(ひやにく)のごとき色の山のなだれはしばらくみえつ
山裏は白雲の凝り見えそめてみづのみなかみ寂しくもあるか
「なだれ」は山肌のこと
このうちの「なだれ」というのは斜面のこと。
斜面に木や緑の茂りがなくて、さむざむした山肌が「肉」のようだったということのようです。
なぜ唐突に「肉」がでてくるのかというと、どうも、『作家四十年』によると、事前にパイロットと何らかのやり取りがあったらしく
墜落死のことを種々聞かされたものだから、こういう歌もできたのであった
と言っていますが、この恐れは相当なものだったようで、天声人語には「緊張のあまり前夜は睡眠薬を飲んだ」とあります。
もっとも茂吉の睡眠薬の服用は、日常的ではあったようですが、あれこれ思いめぐらしたことが、飛行を無事に終えた後ではあっても、歌に詳しく読まれています。
そして、その感慨、つまり、飛行機に乗って墜落死するかもしれないという恐怖なのですが、その歌が実に印象的です。
飛行機から墜落の恐怖も
この身なまなまとなりて惨死せむおそれは遂に識閾(しきいき)のうえにのぼらず
「のぼらず」と、否定形で提示するという言説です。
塚本邦雄が『茂吉秀歌』にこの歌を取り上げています。
塚本邦雄がよくあげる「花ももみじもなかりせば」がそうですが、ないものがありありと見えるではありませんか。
さらに
ビステキの肉くひながら飛行士は飛行惨死のことを話(はなし)す
「ビステキ」は「ビフテキ」の誤植でしょうが、あるいは、飛行機に乗った後にでも、パイロットや関係者を交えて、会食の時間があったのでしょう、その折に、パイロットが何か話したと思われます。
これらの歌は新聞にも掲載されたのかどうかは、把握しておりませんが、やや悪趣味な感じが拭えません。
われより幾代か後の子孫ども、今日のわが得意をけだし笑はむ
初めて飛行機の乗ったのですから、「得意」ではあるでしょうが、あるいは、飛行機を降りてからはほっとして、自分でもその恐怖心を笑う気持ちにもなったのかもしれません。
天声人語に紹介の飛行機詠三首
今回朝日新聞の天声人語に掲載されているのは
飛行機にはじめて乗れば空わたる太陽の眞理を少し解(かい)せり
雲のなか通過するときいひしらぬこの動揺を秀吉も知らず
電信隊浄水池女子大学刑務所射撃場塹壕(ざんごう)赤羽の鉄橋隅田川品川湾
この一番下の歌は、見えたものをそのまま並べたというもので、「天のなかより」の視点で、今でいうなら、ドローンでテレビに映し出されているような、雰囲気なのでしょうか。
「茂吉にはめずらしい自由律」と天声人語の筆者が言う通りですが、空の景色の雄大さの中に何もかもが見える、その位置にいる、ということは、普段の視界を大幅にはみ出すものであって、それが定型の扱いにも反映しています。
佐藤佐太郎『茂吉秀歌』から
佐藤佐太郎が『茂吉秀歌』に取り上げたのは、他に
荒谿(あらだに)の上空を過ぎて心中にうかぶ”Des Chaos Toshter sind wir unbestritten."
読みは「デス カーオス テヒター ジント ヴィ―ア ウンべストリッテン」、ゲーテのファウストの中にある「わたし達は混沌の娘だ」という句であるそうです。
この「カオス」の語が、一連の中の秀歌、「直ぐ目のしたの山獄よりせまりくるChaos(カーオス)きびしきさびしさ」に用いられています。
稀な体験を歌に詠むという、茂吉のめずらしい一連です。
前田夕暮の飛行機の短歌
ちなみに、前田夕暮の同じく機上での歌は、
自然がずんずん体(からだ)のなかを通過する──山、山、山
二千メートルの空で頭がしんとなる、眞下を飛び去る山、山、山
というもので、これも前田夕暮の歌を紹介するときに、良く取り上げられるものとなっています。