斎藤茂吉の「おひろ」は歌集『赤光』に詠まれた女性です。
おひろは斎藤茂吉の若い頃の恋愛の相手でもあったようです。この恋愛は実りませんでした。
『赤光』の短歌連作『おひろ』の背景と短歌現代語訳を別に提示します。
『赤光』の女性「おひろ」
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斎藤茂吉の歌集『赤光』は茂吉の処女歌集であり、当時の歌壇のみならず、文壇にも大きな影響を与えました。
斎藤茂吉が生涯で関わった女性は、永井ふさ子が有名ですが、『赤光』には、一連の主題となる2人の女性が登場、その1人が「おひろ」の一連の主題となる女性です。
「おひろ」の連作は44作品もあります。さらに、おひろとの再会を詠ったと思われる「屋上の石」の短歌作品も含めると、ひとりの人を主題とした作品数としては、たいへんに多いため、大作と言えます。
斎藤茂吉がどんな歌人かは
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
『赤光』解説ページ
『赤光』斎藤茂吉の歌集 短歌代表作を現代語訳付きで解説
おひろは薬局の娘
おひろとはいったい誰なのか、長いこと取りざたされてきましたが、斎藤茂吉自身は、それについて口をつぐんでいました。
作歌四十年の述懐では
「これも恋愛歌で、このように官能的なものもある。この女性は実在のものか、或は詩的なものか、或はどう、或はこうというモデル問題は穿鑿してももはや駄目である。この間の消息をいくらか知っていた中村憲吉君のごときも今はこの世の人ではないからである」
と述べていました。
「おひろ」のモデルは「福田こと」
しかし、後の研究で、この「おひろ」のモデルは、斎藤茂吉と同じく青山病院の書生であった人から、写真館の娘で、茂吉づけの女中「福田こと」であったことが判明しています。
その写真館は、浅草にあったということで、一連の短歌に「浅草」の地名が出てきていることからもうなずけます。
斎藤茂吉とおひろとの恋愛関係は
茂吉づけの女中であった福田ことと、斎藤茂吉は深い関係になります。
しかし、それが、養父の斎藤紀一に知られてしまい、ことは暇を出されてしまう、女中を首なってしまったわけです。
茂吉は、養父によって学費を援助され、さらには、娘輝子の婿養子となることが予定されていましたので、致し方ないとはいえ、おひろとの恋愛と別れは歌の中に切々と刻まれることとなりました。
おくにの短歌連作
「おひろ」の短歌連作は以下の通りです。
現代語訳付で詠みたい場合は、こちらの記事でご覧ください
おひろ『赤光』より
6 おひろ 其の一
なげかへばものみな暗(くら)しひんがしに出づる星さへあかからなくに
※この歌の解説記事
なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへあかからなくに 斎藤茂吉『赤光』
とほくとほく行きたるならむ電燈(でんとう)を消せばぬばたまの夜(よる)も更(ふ)けぬる
夜(よる)くれば小(さ)夜床(よどこ)に寝しかなしかる面(おも)わも今は無しも小床(をどこ)も
かなしみてたどきも知らず浅草の丹塗(にぬり)の堂にわれは来にけり
あな悲し観音堂(くわんのんだう)に癩者(らいしや)ゐてただひたすらに銭(ぜに)欲りにけり
浅草に来てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが帰るなる
はつはつに触(ふ)れし子ゆゑにわが心(こころ)今は斑(はだ)らに嘆きたるなれ
代々木野(よよぎの)をひた走りたりさびしさに生(いき)の命(いのち)のこのさびしさに
さびしさびしいま西方(さいはう)にゆらゆらと紅(あか)く入る日もこよなく寂し
紙屑を狭庭(さにわ)に焚けばけむり立つ恋(こほ)しきひとは遥かなるかも
ほろほろとのぼるけむりの天(てん)にのぼり消(き)え果つるかに我も消(け)ぬかに
ひさかたの悲天(ひてん)のもとに泣きながらひと恋ひにけりいのちも細く
放(はふ)り投(な)げし風呂敷包ひろひ持ち抱(いだ)きてゐたりさびしくてならぬ
ひつたりといだきて悲しひとならぬ瘋癲学(ふうてんがく)の書(ふみ)のかなしも
うづ高く積みし書物(しよもつ)に塵たまり見の悲しもよたどき知らねば
つとめなればけふも電車に乗りにけり悲しきひとは遥かなるかも
この朝け山椒(さんせう)の香(か)のかよひ来てなげくこころに染(し)みとほるなれ
其の二
ほのぼのと目を細くして抱(いだ)かれし子は去りしより幾夜(いくよ)か経(へ)たる
愁ひつつ去(い)にし子ゆゑに藤のはな揺(ゆ)る光さへ悲しきものを
しらたまの憂(うれひ)のをみな我(あ)に来(きた)り流るるがごと今は去りにし
かなしみの恋にひたりてゐたるとき白藤の花咲き垂りにけり
夕やみに風たちぬればほのぼのと躑躅(つつじ)の花は散りにけるかも
おもひ出は霜ふる谿に流れたるうす雲の如くかなしきかなや
あさぼらけひとめ見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり
しんしんと雪ふりし夜にその指(ゆび)のあな冷(つめ)たよと言ひて寄りしか
狂院の煉瓦のうへに朝日子のあかきを見つつなげきけるかな
わが生(あ)れし星を慕ひしくちびるの紅(あか)きをみなをあはれみにけり
わが命(いのち)つひに光りて触りしかば否(いな)といひつつ消ぬがにも寄る
彼(か)のいのち死去(しい)ねと云はばなぐさまめ我(われ)の心は云ひがてぬかも
すり下(おろ)す山葵(わさび)おろしゆ滲(し)みいでて垂る青(あを)みづのかなしかりけり
啼くこゑは悲しけれども夕鳥(ゆふどり)は木に眠るなりわれは寝(ね)なくに
其の三
愁(うれ)へつつ去(い)にし子ゆゑに遠山(とほやま)にもゆる火ほどの我(あ)がこころかな
あはれなる女(をみな)の瞼(まぶた)恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり
このこころ葬らんとして来(きた)りつる畑(はたけ)に麦は赤らみにけり
夏
農園(のうゑん)に来て心ぐし水すましをばつかまへにけり
藻のなかに潜(ひそ)むゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし
麦の穂に光のながれたゆたひて向(むか)うに山羊は啼きそめにけり
この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも
わらぢ虫たたみの上に出で来(こ)しに烟草のけむりかけて我(わが)居(を)り
念々(ねんねん)にをんなを思ふわれなれど今夜(こよひ)もおそく朱(しゆ)の墨(すみ)するも
この雨はさみだれならむ昨日(きのふ)よりわがさ庭べに降りてゐるかも
つつましく一人し居れば狂院(きやうゐん)のあかき煉瓦(れんぐわ)に雨のふる見ゆ
瑠璃(るり)いろにこもりて円(まる)き草(くさ)の実(み)は悲しき人のまなこなりけり
ひんがしに星いづる時汝(な)が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ (五月六月作)
おひろとの再会「屋上の石」
おひろとの再会を詠う屋上の石一連です。
おひろはこの時、信州にいたようです。おそらくは、既に嫁いでいたのではないでしょうか。
11 屋上の石
あしびきの山の峡(はざま)をゆくみづのをりをり白くたぎちけるかも
しら玉の憂(うれひ)のをんな恋ひたづね幾やま越えて来りけむかも
鳳仙花城あとに散り散りたまる夕(ゆふ)かたまけて忍び来にけり
天そそるやまのまほらに夕(ゆふ)よどむ光を見つつあひ歎(なげ)きつも
屋上(をくじやう)の石は冷(つ)めたしみすずかる信濃のくにに我は来にけり
屋根の上に尻尾動かす鳥来りしばらく居つつ飛びにけるかも
屋根踏みて居ればかなしもすぐ下(した)の店(みせ)に卵を数へゐる見ゆ
屋根にゐて微(かそ)けき憂(うれひ)湧きにけり目(ま)したの街(まち)のなりはひの見ゆ (七月作)
以上、斎藤茂吉の処女歌集『赤光』から、「おひろ」の連作短歌と、おひろの人物と作歌の背景についてお知らせしました。