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『赤光』斎藤茂吉の歌集 現代語訳付き解説

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『赤光』は大正から昭和の時代の日本の代表的な歌人、斎藤茂吉の代表作である第一短歌集です。

『赤光』の中の「死にたまふ母」は教科書にも掲載、日本の代表的な短歌とされています。

芥川龍之介も絶賛した『赤光』とはどんなものか、歌集の特徴、主要な短歌を抜粋し、現代語訳と文法解説、解説をまとめました。

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『赤光』の作者斎藤茂吉について

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『赤光』(しゃっこう)の作者は、歌人であり精神科医でもあった斎藤茂吉です。

『赤光』は、明治38年(1905年)~大正2年(1913年)の作品を集めて、大正2年(1913年)10月に東雲堂書店から刊行されました。

最初の歌集でありながら、評判がひじょうに高く、今でも斎藤茂吉のもっともよく知られる代表的な歌集と言われています。

・斎藤茂吉については下の記事に
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」

 

『赤光』の読み方は「しゃっこう」

「赤光」は、仏教の経典、つまり、御経の一部から採られており、その通り「しゃっこう」と読みます。

幼いころから仏教に親しんだ茂吉が、『仏説阿弥陀経』の

『池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔・・・』

の部分からとったことを自ら解説しています。

「赤光」の読みの「しゃっこう」は、上記のお経に詠まれている通りの読み方なのです。

斎藤茂吉の解説

斎藤茂吉はタイトルについて、自ら下のように後書きに記しています。

本書の「赤光」という名は仏説阿弥陀経から採ったのである。彼の経典には「池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔」というところがある。予が未だ童子の時分に遊び仲間に雛法師が居て切りに御経を暗唱して居た。梅の実をひろうにも水を浴びるにも「しゃくしき、しゃっこう、びゃくしき、びゃっこう」と誦して居た。

※タイトルについて詳しくは
『赤光』の意味と理由 

『赤光』の初版と改選版について

『赤光』には初版と、後に改定された改選版の二つがあります。

斎藤茂吉自身は、改選版刊行後はそちらを優先するように求めました。

『赤光』の改選版は『あらたま』の発行後に手直しの上刊行されました。

改選版が発行された理由は、作者の意向によるものですが、初版の方が当初から評価が高いところがあり、初版を用いた解説書も多く見られます。

『赤光』の評価

『赤光』刊行時の評価は、以下のようなものです。

北原白秋の『赤光』の評

北原白秋の『赤光』の評です。

私は驚喜して、心から推讃の私書を送った。不可思議な奇異な感覚、何よりもまずその奇異な感覚にうたれて了(しま)ったのであった。それに万葉の古調は却って別種の清新さを以て私に迫った。

また、白秋は『梁塵秘抄』を耽読したことと『赤光』の賛嘆と並列して

万葉の古語もそういう意味で、私に極めて珍奇に響いたのであった。

と斎藤茂吉の万葉調にも触れています。

芥川龍之介の『赤光』評

芥川龍之介は、斎藤茂吉の短歌を絶賛、斎藤茂吉の短歌の中のアイテムを書き並べ、ファンともいえるような愛好の情を示しています。

僕は高等学校の生徒だった頃に偶然「赤光」の初版を読んだ。

「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。爾来(じらい)僕は茂吉と共におたまじゃくしの命を愛し、浅茅(あさじ)の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。(中略)

僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になったのでもない。斎藤茂吉にあけて貰ったのである。―「僻見」より

 

土岐善麿の『赤光』の評

発表当時の『赤光』の評価は以下の通りです。

以下は、匿名の評として、本誌に掲載されたものですが、この評の文章を紹介した品田悦一氏は、歌人の土岐哀果(土岐善麿)によるものと推測を述べています。

(前略)一首一首、みな驚かれるようなもののみである、驚かれるというのは、僕の平成接触⒮る世界、また僕の日常経験する世界とは全く別な、或いは別でないにしても、その接触のしかた、経験のしかたが、よほど違っているのである。―無署名「新刊」『生活と芸術』1913年12月)

その違いについては、

とにかく一種怪奇な天地である。それはこの著者の独自の世界である。キラキラしく顫(ふる)えるような、光とも影ともわからぬような、あらゆる音響の無くなってしまったような、ここにいてどうすればいいのかわからなくなるような、新しい世界の創造、僕はまず何よりもこの一つの事業をこの著者に祝福しなければならない。

・・・

『赤光』の「赤」は斎藤茂吉のテーマカラー

さらに、本歌集の中に頻繁に出てくる赤い色は茂吉のテーマカラーともいえます。

ちから無く鉛筆きればほろほろと紅(くれない)の粉(こ)が落ちてたまれり

猫の舌のうすらに紅(あか)き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり

「赤」が出てくる短歌作品が多いため、茂吉は「くれなゐの茂吉」とも言われました。

斎藤茂吉の逝去時に、中村草田男が「残雪やくれなゐの茂吉逝きしけはひ」と詠んだ俳句があります。

 

赤光の代表作短歌

『赤光』の代表作の連作(短歌が複数まとまったもの)には下のようなものがあります。

  • 「死にたまふ母」
  • 「おひろ」
  • 「おくに」
  • 「悲報来」

そのうちでも、生母を失った際の「死にたまふ母」は『赤光』中の代表作とされています。

その次には、恋人との出会いと別れの「おひろ」、忠実な召使であった「おくに」は、どちらも女性との交流を詠ったものです。

それぞれの短歌は

他に、斎藤茂吉の短歌の師である歌人・伊藤左千夫の逝去の報を詠った「悲報来」も主要な連作となっており、初版では時間順に、この一連が一番最初に置かれました。

 

『赤光』「死にたまふ母」の短歌代表作

『赤光』の代表作はなんといっても、その中の「死にたまふ母」一連の作品です。

教科書にも掲載されて、皆に知られる作品となっています。

いちばんよく知られている歌3首を先にあげます。

みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

母の危篤の報を受け取って故郷に向かうまで、そして、母に付き添う場面、さらに母の死と火葬とその後に至るまでを全部で59首を1から4の4部の連作にまとめた構成となっています。

他の『死にたまふ母』59首、また、『死にたまふ母』のあらすじにつきましては、別ページ「死にたまふ母」全59首の方からご覧ください。

コンパクトに現代語訳入りで、全部を読みたいという場合は、斎藤茂吉『赤光』代表作解説全文(短縮版)からご覧ください。

 

『赤光』斎藤茂吉 掲載短歌一覧

『赤光』の「死にたまふ母」以外の代表作一覧です。

このページはインデックスです。各歌をクリックしてくだされば、各歌の解説ページに飛びますので、どうぞ一首ずつご覧ください。

『赤光』斎藤茂吉の代表的な作品

蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり

月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも

とほき世のかりようびんがのわたくし児田螺はぬるきみづ恋ひにけり

かへり見る谷の紅葉の明(あき)らけく天(あめ)にひびかふ山がはの鳴り

隣室に人は死ねどもひたぶるに箒ぐさの実食ひたかりけり

細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり

木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり

おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも

たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻垣にほこりたまれり

しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

さにづらふ少女ごころに酸漿(ほほづき)の籠らふほどの悲しみを見し

よにも弱き吾なれば忍ばざるべからず雨ふるよ若葉かへるで

赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

はるばるも来つれこころは杉の樹の紅の油に寄りてなげかふ

みちのくの蔵王のやま腹にけだものと人と生きにけるかも

長鳴くはかの犬族のなが鳴くは遠街にして火は燃えにけり

さ夜ふけと夜の更けにける暗黒にびようびようと犬は鳴くにあらずや

猫の舌のうすらに紅きてざわりのこの悲しさを知りそめにけり

ほのかなる茗荷の花を目守る時わが思ふ子ははるかなるかも

ものみなの饐ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ

けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬りたるかな

いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童のまなこ小さし

自殺せる狂者をあかき火に葬りにんげんの世に戦きにけり

けだものは食(たべ)もの恋ひて啼き居たり何(なに)といふやさしさぞこれは

わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきものを

かの岡に瘋癲院のたちたるは邪宗来より悲しかるらむ

遠国へ行かば剃刀のひかりさへ慣れて親しといへば嘆かゆ

神無月空の果てよりきたるとき眼ひらく花はあはれなるかも

いのち死にてかくろひ果つるけだものを悲しみにつつ峡に入りけり

ゆふ日とほく金にひかれば群童は目つむりて斜面をころがりにけり

雪の中に日の落つる見ゆほのぼのと懺悔(さんげ)の心かなしかれども

ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ

赤電車にまなこ閉づれば遠国へ流れて去らむこころ湧きたり

にんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけり

ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛吹きて行く童子あり

なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへあかからなくに

ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる

ひったりと抱きて悲しもひとならぬ瘋癲学の書のかなしも

わが生れし星を慕ひしくちびるの紅きをんなをあはれみにけり

うれひつつ去にし子ゆゑに藤のはな揺る光りさへ悲しきものを

この心葬り果てんと秀の光る錐を畳にさしにけるかも

ひんがしに星いづる時汝が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ

※解説ページ 斎藤茂吉の恋愛相手「おひろ」44首短歌作品連作 別れの理由

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり

どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも

ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり

めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり

ひた赤し煉瓦の塀はひた赤し女刺しし男に物いひ居れば

天そそる山のまほらに夕よどむ光の中に抱きけるかも

鳳仙花城跡に散り散りたまる夕かたまけて忍び来にけり

ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし

罌粟はたの向うに湖の光りたる信濃のくにに目ざめけるかも

氷きるをとこの口のたばこの火あかかりければ見て走りたり

ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍を殺すわが道くらし




-赤光

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