斎藤茂吉が長崎のキリスト教徒を詠んだ短歌、斎藤茂吉の第三歌集『つゆじも』の作品は、長崎に赴任中に詠んだ短歌がまとめられていますが、その中に長崎のキリスト教徒の様子を伝える一連があります。
きょうの日めくり短歌は、「長崎二十六聖人殉教の日」にちなみ、斎藤茂吉の長崎のキリスト教徒の様子を詠んだ短歌をご紹介します。
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斎藤茂吉 長崎滞在中の歌
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斎藤茂吉の「つゆじも」の作品より、長崎のキリスト教会や、キリスト教徒を詠んだ作品があります。
斎藤茂吉は東北の山形出身、その後東京に移りましたが、西日本を訪れたのはこれが最初で、見るものすべてがめずらしく思われたようです。
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浦上天主堂無元罪サンタマリアの殿堂あるひは単純に御堂とぞいふ
浦上天主堂は庄屋高谷家の邸があった丘上の敷地に、新婦と信徒たちが30年の苦心経営の末に建てた、赤レンガの壮大な大建築の教会。
浦上郷の信徒たちは、200余年の圧政に堪えて信仰を守ってきた。御堂に集まる信徒たちは、多く質朴な村民であった。
その感動を直截端的に詠もうとした作。
西坂を伴天連不浄の地といひて言継(いひつぎ)にけり悲しくもあるか
西坂は長崎の中央部に突出し、旧市内と浦上戸を分かつ丘。昔の刑場跡で二十六人聖人殉教の地として、記念碑が建てられている。
教徒が処刑されたところなので、「不浄の地」と呼ばれているが、信者にしてみれば、そこは尊くも哀しい殉教の場であった。
しかも、それが豊臣秀吉の時代のことなのであって、この土地の人の長い苦難が偲ばれる。
現在、2月5日は、「長崎二十六聖人殉教の日」となっています。
浦上のキリスト教徒の生活
「つゆじも」より、浦上の人たちの様子が詠まれる一連の短歌。
浦上の女つらなり荷を運ぶそのかけごゑは此処まで聞こゆ
白く光るクロスの立てる丘のうへ人ゆくときに大きく見えつ
浦上の女等の生活異ことなりて西方のくにの歎きもぞする
長崎の人等もなべてクロス山と名づけていまに見つつ経たりき
斜なる畠の上にてはたらける浦上人と等のその鍬ひかる
牛の背に畠つものをば負はしめぬ浦上人うらかみびとは世の唄うたはず
解説:牛の背に畠つものをば負はしめぬ浦上人は世の唄うたはず 斎藤茂吉『つゆじも』
黄櫨(はぜもみぢ)こきくれなゐにならむとすクロス山より吹く夕風
長崎市北部の地域、西浦上の木場郷六枚坂というところの鉱泉に療養したので、浦上よりも奥地の人々の様子。
女性たちのキリスト信者らしい暮らしぶりを多く詠んでいる。畠の作物を牛馬に負わせないというのは、驚くべきことだったろう。
クロス山の歌については、浦上山里村の北部本源郷の辻の岡を土地の人は十字架山、またカルワリオと言った。
カルワリオ(髑髏 されこうべ)とは、キリストが十字架についた「ゴルゴダの丘」である。
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まとめ
斎藤茂吉の長崎の歌を詠むと、風物や人々の在り方が伝わってくる。
いつか、この地を訪れてみたいものだが、それにしても、当時、まだ飛行機のない時代に、東京から長崎というのは何と遠いところであったことだろう。
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