あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり は斎藤茂吉の第二歌集『あらたま』の代表的な作品の一つです。
斎藤茂吉の短歌代表作の解説と観賞のポイントを記します。
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この歌の掲載されている歌集『あらたま』一覧は 『あらたま』斎藤茂吉短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
読み:あかあかと いっぽんのみち とおりたり たまきわるわが いのちなりけり
現代語訳と意味
あかあかと日に照らされた一本の道が野にまっすぐに通っている。それこそが私の命であるのだよ
作者と出典
斎藤茂吉 歌集『あらたま』 大正2年 6 一本道
歌の語句
- あかあかと・・・明るい意味での基本形「明かし」の「明々と」
あかあかと 注
なお、作者の他の歌には「あかし」他には、「明」か「赤」かの区別がはっきりしないもの、両方の意味を兼ね備えるものとがある。
- たまきはる・・・枕詞「いのち」にかかる。「魂極まる」「魂刻む」の意味で万葉時代から使われた
- なりけり・・・なり+詠嘆の助動詞「けり」
句切れと表現技法
- 三句切れ
- 「たり」―「なりけり」の韻も注意
解釈と鑑賞
第二歌集『あらたま』の代表歌とされている一首。
野原を通る道の情景を写生の技法で表し、風景自体は代々木原の実景を元にしたもので、「あかあかと」の色彩に西洋絵画の影響があると言われている。
もっとも読むべきは作者の当時の心境と重ねている点である。この歌の背景も合わせて述べる。
斎藤茂吉自身の解説
斎藤茂吉自身がこの歌を述べて、
「秋の一日代々木の原を見渡すと遠く一本の道が見えている。赤い太陽が団々として転がると、一本道を照りつけた。僕らはかの一本道を歩まねばならない。」
また、
「この一首は私の信念のように、格言のように取り扱われたことがあるが、そういう概念的な歌ではなかった」。
とも解説している。
概念的云々というのは、スローガン風の歌ではないという意味だろう。
歌の背景にある伊藤左千夫の死去
斎藤茂吉自身が、この歌について
「左千夫先生の死後であったので、おのずからこういう主観句になったものと見える」
という通り、当時の茂吉は、師弟関係の師であった、伊藤左千夫の急逝にあっており、その影響が出ていることを述懐している。
「僕ら」というめずらしい複数
「僕ら」はやはり当時のアララギのメンバーを差すのだと思うのが自然である。
師の伊藤左千夫の逝去後に自分自身を叱咤激励し、同時に他の面々にも呼び掛けたい気持ちもあったのだろう。
斎藤茂吉の揺れ動く心
なお、塚本邦雄はこの一首前の「野のなかにかがやきて一本の道は見ゆここに命を落としかねつも」に、上の作との心境の不一致を指摘しながら、「一首のみが独立して、人の口と呼ぶ恐ろしい次元を遊行する例証ではあるまいか」と締めくくっているのもおもしろい。
この場合は前の歌がなければ、後ろの歌も成立はしないことになるのだが、「命なりけり」と「命を落としかねつも」の両方が並ぶわけだが、なぜその両方を載せたのかを不思議に思わない人はいないだろう。
ゴッホの絵画との関連
斎藤茂吉は、自分でも絵を描くのが好きで、子どもの頃は、「絵描きになろうとおもった」というくらい絵がうまかった。
また、ゴッホをはじめとして西洋絵画にも精通していたという周囲の人の言葉も残っている。
芥川龍之介の指摘
芥川龍之介はこの歌を、ゴッホの歌と関連があると指摘している。
ゴツホの太陽は幾たびか日本の画家のカンヴアスを照らした。しかし「一本道」の連作ほど、沈痛なる風景を照らしたことは必しも度たびはなかつたであらう。(中略) これらの歌に対するのはさながら後期印象派の展覧会の何かを見てゐるやうである。―『僻見』
長塚節の解説
アララギで茂吉よりも年長の長塚節は、この歌について『斎藤君と古泉千樫君』において、下のように
一読して斎藤君の原作には言外に何者かが潜んでいるように見える。(中略)斎藤君には一人離れて何者も寄り付けないというような立派な特色があるのだけれど、自分にない他の特色を思い至る時、それが自分のものよりは遥かに小さいものであっても、それを非常に羨ましく思うのはこれも人間の至上である。だけれども、それは焦心苦慮しても、到底得られるものではない。そこに煩悶が伴うはずである。その結果できたのがこの歌である。我に与えられた一筋の大道が、荒野の間に通じている。我はこの大道を踏むより他に自分の生きる道はない。これやがて我が生命であると解釈するのが当然であろう。一方においては、大いなる確信の歌であるけれど、一方においては全く諦めの歌である。そこに悲痛の分子が抱蔵している。だから一読して痛切に何ものかを感じないわけにはいかない。―『斎藤君と古泉千樫君』
長塚節が「一方においては全く諦めの歌」と評したのが、興味深いところに思える。
本林勝夫の解釈
これについて、本林勝夫は、上の長塚節の言葉を引いた上で、
思うに、「一本道」は、かならずしも左千夫の死去や、「あらら備」の前途のみにかかわるものではあるまい。問題は歌人茂吉の下半身を蔽う私的生活の領域にもかかわっていたはずである。―『斎藤茂吉論』
と重要な示唆を行っている。
斎藤茂吉の自註
斎藤茂吉自身はこの歌について、下のように説明している。
秋の国土を一本の道が貫通し、日に照らされているのを「あかあか」と表現した。これも「しんしんと」流のものに過ぎぬが、骨追ってあらわれたものである。貫通セル一本の道が所詮自分の「生命」そのものである、というような主観的なもので、伊藤左千夫先生没後であったので、おのずからこういう主観句になったものと見える。「たまひはる」などという枕詞を用いたのも、単純に一気に押しゆこうという意図に本づいたのであった、この一首は、私の信念のように、格言のように取り扱われたことがあるが、そういう概念的な歌ではなかった。―『作歌四十年』斎藤茂吉著より
佐藤佐太郎の解説
佐藤佐太郎の『茂吉秀歌」の解説では
強烈に日に照らされて、行く手に見える一本の道は、自分の行くべき道であり、自分の生命そのものであるという、強い断定が一首の力である。
瞬間に燃えたつような感動をたくましく定着した点に注目すべき歌である。一首は荒々しく直線的に、単純で力強い。
「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
他に、全集の解説では
この直感の背後につながるゴッホの絵画をおもうこともできるし、「あかあかと」に芭蕉の句を、「命なりけり」に西行のかげをおもうこともできる。そういう影響は、消化されて血肉となって新しく生きている。(岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説)斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説(上)
一連の歌
一本道の一連の短歌
6 一本道
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり
野の中にかがやきて一本の道は見ゆここに命をおとしかねつも
はるばると一すぢのみち見はるかす我は女犯をおもはざりけり
我がこころ極まりて来し日に照りて一筋みちのとほるは何ぞも
こころむなしくここに来れりあはれあはれ土の窪(くぼみ)にくまなき光
秋づける代々木の原の日のにほひ馬は遠くもなりにけるかも
かなしみて心和ぎ来むえにしあり通りすがひし農夫妻はや