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かへるでの赤芽萌えたつ頃となりわが犢鼻褌を自ら洗ふ 斎藤茂吉「小園」

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かへるでの赤芽萌えたつ頃となりわが犢鼻褌を自ら洗ふ

斎藤茂吉の短歌を一首ずつ鑑賞、解説しています。『小園』から、斎藤茂吉の主要な代表作の短歌の解説と観賞を記します。

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斎藤茂吉の記事案内

歌人斎藤茂吉については
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かへるでの赤芽萌えたつ頃となりわが犢鼻褌(たふさぎ)を自ら洗ふ

読み:かえるでの あかめもえたつ ころとなり わがたうさぎを みずからあらう

歌の意味

もみじの赤い芽が見える季節となり、私は自分のふんどしを自分で洗うのだ

作者と出典

作者 斎藤茂吉  歌集『小園』疎開漫吟

語句と文法 

  • かえるで…「かえで」の別名
  • 犢鼻褌(たふさぎ)…ふんどし、下ばきのこと
  • 洗ふ…現在形

句切れ

句切れなし

小園の代表作
沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 斎藤茂吉『小園』代表作

 




解説と鑑賞

昭和20年4月からの山形県への疎開中に詠まれた歌で、「疎開漫吟」と題する一連の中の冒頭の一首。

「昭和20年4月14日より金瓶村斎藤十右衛門方に移り住む をりをりの歌」

との詞書がある。

この後が終戦となる年の春の出来事となる歌。

なお、斎藤十右衛門というのは、斎藤茂吉の妹なをの婚家に当たる。その土蔵を借りて住んでいたようだ。

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故郷山形での疎開生活

斎藤茂吉は、終戦後も、故郷山形県に疎開しており、大切に扱われていたとは思うが、他家の世話を受ける間には様々な気遣いもあった。

日記によると、この時は、稲刈りの季節で繁忙の時であったようだ。

東京の本宅に居た時には、妻は勿論、家にはお手伝いもおり、洗濯などをする必要はなかった。この歌は作者の生活状況と共に、戦時の厳しさをも伝えている。

もみじの芽が萌えるというのは、まだ春浅い頃のことなのだろうが、山形の雪がゆるみ、やや暖かくなったので、部屋の外に出て、自ら洗濯もしたのであったろう。

妹の婚家への気遣いから、農作業を手伝おうとしたことも会ったようだが、慣れない畑仕事は疲れて続かなかったようである。

この歌はそのような疎開生活の侘しさをも伝えているが、どこかほのぼのとした平穏な感じもある。

一首の構成

上句「かへるでの赤芽萌えたつ頃となり」の3句は「頃となり」の「なり」を加えて、間延びしたゆるい感じで、ゆっくりと下時間の流れを感じさせる。

「わが」「みずから」も繰り返しによって、自ら進んでする洗濯を強調するかのようだ。

妻のいない一人住まいの侘しさはもちろんだが、戦時のことで、それがその時の自然な行為でもあったのだろう。

 

佐藤佐太郎の評

「かえるでの赤目」は周囲の事実、「たふさぎをみづから洗ふ」は自身の行為である。なんの奇もなく、善も悪もない事実を並べたに過ぎない歌だが、言葉が安らかで、自然で、これが短歌だという感じが強い。作者は「古風なる短歌」という歌論で、当然のkとを当然に言って何となく味わいのある歌がいいと言っているが、これなどはその実例になるだろう。

一連の歌

蔵の中のひとつ火鉢の燠(おき)ほりつつ東京のことたまゆら忘る

競はむとする心は失せて独り居り薄縁(べり)のうへを幾たびも掃く

わが生(あ)れし村に来りて柔らかき韮を食むとき思ほゆるかも

松根を掘りたるあとの狭間まる新しき泉の水おとぞする

--『小園』疎開漫吟




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